Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

帰省準備

2010年01月29日 | Weblog
今から、大阪へ帰省する。

秋の帰省は、葬儀出席のためだったが
今回は、自分のための帰省だとおもっている。
自分なりの、年末年始の帰省の感覚・・・。


荷物をまとめていて、服がない~とおもった。
この冬、まともな服をかっていないようにおもう。

帰省は、4~5日である。

実家に泊るものの、旅であるから
今回の予定にあった服をもってかえろうと
おもったが、キャリーバックにはいらないので
だんだん、めんどうくさくなって
いつもの普段着ばかりになってきた。
動くことを考えたら、楽なものをえらんでしまう。
それか、少々、くたびれていても
素材が気にいっているもの。

大阪にかえったら、昔の私の生活があるようで
今ではそれは非日常である。

旅のようで旅でない。
いろんな状況、気温なども
気にして、融通がきくものを選んでいたら、
やはり、いつもの帰省とかわりばえのしない
品揃えになってきた。

靴が一番、困る。

何回も移動しているのに、
私は、旅の荷造りが一番、苦手だ。

計画だけは、たてていくので
いつも、タイトスケジュールになる。
だらだらしている今年は、いい刺激になればいいな・・・。

今日の飛行機は窓側をとってある。
お天気がいいので、景色がみれますように。

では、いってきます。

友引の日

2010年01月27日 | Weblog
横浜横須賀道路の朝比奈インターを降りて
道を走っていると、
セレモニーホールがある。

葬儀場である。

ふと目についた看板に
「友引朝市」とかいてあったような・・・。

「ねえ、ねえ、『友引朝市』って
かいてあった!
友引には、お葬式がないから、
場所がもったいなくて
朝市するのかなあ?
野菜とか、安いのかなあ?

でも・・・。

あれ、本当かなあ??」

と私は、自分の発見に、興奮して、家族に
話しかけた。
全然、受けない。
面白くないかな?


次に通ったときにも、やっぱりその「友引朝市」の
看板があった。

う~む、いってみようかな?
と、好奇心がでてきたが
いまだいっていない。

****

数年前に、父、叔父、伯父、叔母と
立て続けになくし、
私は、友人に
「ブラックフォーマルは、おまかせよ」といった。
「こんなに詳しくなってしまって、
葬儀屋さんにやとってもらおうかしら」と冗談をいった。

友人は、
「じゃあ、『これから、ランチは、友引の日にしてね』って
いうの?」というので笑ってしまったことがあった。

友引の日しか確実にランチの約束ができないなんて・・・。
と、その仕事についていないのだが。

でも、セレモニーホールでの朝市ってどんなだろう?
と、ずっと気になっている。
ひょっとしたら、ものすごくお徳なのじゃないか?
と思って。

霊柩車?

2010年01月27日 | Weblog
先日、近所のスーパーに自転車でいった。
帰るとき、目の前を黒い大きな車が通った。

「ああ、こんな高級車でも
スーパーにお買い物にくるのね。」と思った。

ゆっくりとうごくその車。
なんという車なんだろう?
と思ったのかどうか、忘れたが、
ゆったした動きを自然と目で追っていた。

車の後ろに「霊柩車」とかいてあった・・・。

「霊柩車!?」

そういわれてみれば、洋式の霊柩車だ。

なんだか、変な気分だった。

昔、霊柩車は、ほとんど、宮大工さんが
作ったようなお寺か神社のような彫刻が
施されたお宮つきだった。

それは、目立ったし、不吉なものだった。
子供だった私は、急いで親指を隠した。
親指を隠さないと、親の死に目に会えないのだったかな?
忘れたが、樒やら、霊柩車をみると
禍々しくて親指を隠した。

ところが、いまや、霊柩車は、そんなに目立たない。
イギリスで、あちらの霊柩車をみたときは
綺麗なフラワーアレンジメントがあって、
おしゃれにみえた。

だからだろうか?
最近、日本でも、ほとんどが、洋式の霊柩車に
なったように思う。

それどころか、葬儀場が、斎場と同じ建物だったりするので
霊柩車にのりたくても乗れないのだそうだ。

それをきいて、私は、いっそのこと、
「宮つき霊柩車に乗りたい」と迷惑な遺言状を
書こうか、とおもったりする。

子供のときは怖かったが
今は、あの中にはいると極楽へいけそうな気がするのだ。

しかし、スーパーのあの車は、私の見間違いだったのだろうか?

もし、霊柩車の運転手さんが、なにか
買い物があって、スーパーにきたのなら、
あの車でくるのはやめてほしいなあ・・・・・。

犬・猫の生死

2010年01月26日 | Weblog
友人からメールがきた。

「M作とM里が結婚しました!
赤ちゃんが、3月3日にうまれる予定です。」

おめでたメールだ!

早速、「おめでとう~!
赤ちゃんが生まれるのが楽しみだわ」と返事した。

****

九十九里浜のリキちゃんから
写真いりのはがきがきた。

「1月1日に眠りにつきました。
おばちゃんからいただいたおやつ
おいしかったです。」

****

はじめは猫の話。
次は犬の話。
リキちゃんの知らせには
涙がでてしまう。



飼い主である「おかあさん」は
とても彼、彼女たちを愛して大事している。
それを知っている私は、彼女たちを尊敬し
そんな飼い主になりたいと思う。
赤ちゃんが生まれるのも
亡くなったのも
おかあさんにとっては大変なことだが
幸せな人生ならぬ猫生と犬生だと思う。
そんなおかあさんにめぐりあえてよかったね。

スーパーにいくと犬の里親募集の紙がはってあった。

何匹もの、立派な犬種の犬が
飼育放棄で、心に傷をおい
やせた状態で、保険所で処分をまっている。
その里親をボランティアさんが探しているようだった。

ゆるせな~い!

でも、私は、なんともしようがないので
ここに書くのである。

私は、近所に子猫がうまれたからといって
安易に猫をもらわなかった。
たい吉と出会ったのは、ご縁だと思っている。
人間も動物も一緒にくらしていると
煩雑なことはあるが、動物は、自分でいきられないのだから
責任をもって一緒に生活してほしい。

あのわんちゃんたちに今度は
恵まれた生活がまっていますように・・・・・・。

Japan Exprees 「49-94」

2010年01月24日 | Weblog
私は昨日、迷子になった。


急に横須賀の衣笠行政センターやらで
息子のクラブの保護者の集まりがあるのがわかり、
車でいくことにした。

私は初めてのところにいくのに
十分、地図を調べていく人間である。
昨日は、夫のパソコンでみたら
いつもの衣笠十字路からすぐと
いうことだったので
ナビに住所をいれたら、わかるだろう、
とおもっていったら・・・・。
なんともならず、全然わからず、何回もとおりすぎて、
しまいに、人気がない住宅街にいってしまった。

集合時間から30分以上たっているし、
「ここはどこ?」状態である。
べそをかいていた。
やっと人を見つけた。
宅急便のお兄さん。

さすがに詳しい地図をもっていて
説明してくれたのだが、そこから十字路まで
右折して左折して~とややこしい。
いよいよパニックになってしまった。

「もう少しまってくれたら配達がおわりますから
一緒にいってあげますよ。
ハザードをつけたら、左折したらそこが駐車場だから。
大丈夫ですよ」といってくれた。

ああ、本当に地獄で仏ってこのことだ。

先導してくれるJapan Expreesの車の頼もしかったこと!
ややこしい道だったが、スムーズについた。
十字路からは「こんなところだったのか!」という近さ。
看板がなくて、まったくわからなかった。

私が左折のウィンカーを出すと、
車両番号「49-94」の車は、安心したように
スピードをあげて走っていった。
かっこいい~!!

本当に本当にありがったかったです。

営業所にお礼の電話をいれたのは
いうまでもない。



高級菜ばし

2010年01月21日 | Weblog
私は、安物を衝動買いするときと
ほしいものだと奮発するときがある。
奮発するときは、結構時間がかかっているのである。


冬の初めに、菜ばしがほしいとおもって
デパートで、迷いに迷って、シリコン製の
一膳1000円近いのを買った。
それから、鍋つかみも
相当、年季がはいっていたので
思い切って新しくすることにして
こちらもシリコン製を二つかった。
オーブン料理も大丈夫な
アメリカ製である。

清水の舞台から飛び降りて・・。
は大げさだが、それまで使っていたのが
100円均一の菜ばしだったので
10倍の高級品である。

きっと料理するとき、気持ちいいだろう。
お鍋をしたら、おしゃれだろう。
とうきうきした。

ところが・・・。

使いにくいのである。
100円の菜ばしのほうが、細くて、持ちやすい。
ほんの少しだけしっかりして太くなっただけで、ものをはさむのに
力が必要で、握力がない私はもてないのである。
娘からも「使いづらい!」とクレームが。

鍋つかみのほうも、私の手にも、娘の手にも
大きすぎて、使いにくい!

というわけで、100円の菜ばしはいまだ、健在で、
鍋つかみのほうも300円ショップでみつけた
花柄が大活躍している。

シリコン製のへらがつかいがってがよくて
気にいったので、思い切ってかったのになあ・・・・。

時間があるとき
筋トレとおもってシリコンの菜ばしを使う練習をしている。
トホホ・・・・・・・・。

台所雑貨というのは重要なのは、お値段でないときが
あるものだ。

手作りコースター

2010年01月20日 | Weblog
昔昔、とても暇だったときに
千代紙で、コースターを作り、
裏に散らし書きをかいてみた。

ニスも自分で塗った。

・・・で、いまだにつかってもいないし、
捨てずに引き出しの肥やしになってしまっている。

私のお稽古、無用の長物?

なんだか、情けない。

童心

2010年01月20日 | Weblog
息子が帰宅して
書道の先生が、
「○○君のおかあさんは
字が上手ね」とほめてくださったという。

私がかいたものをもっていったらしい。

私は、自分がかいたものを
紙ごみに捨てたつもりだったので
ものすごく、恥ずかしくなってしまった。

清書したつもりでもなかったし。

しかし、
「本当!?
うわ~い!うわ~い!」と大げさに喜んだ。
小躍りまでした。

「先生が、『行間の空け方、いいですね』って
いってた」といわれて
「本当?本当?わ~い!わ~い!」とまた
喜んだ。


****

実は、私は、最近、自分の字の下手さに悩んでいる。
お習字もしたし、学生時代は、変体仮名のお稽古を
ずいぶんしたのに、パソコンをうつのは早くなったが
ペンで、メモやら、カレンダーやらに書き込みと
自分で愕然としてしまう。

字をかくことが少なくなったうえに
握力やら、手の運動神経が衰えたような気がして
ならない。

運筆やら、大きなひらがなの練習から
しようか・・。と真剣におもっているところなのだ。

「五十の手習い」というのは
こういうことなのかもしれないなあ・・・。
とおもっている。
新しい習い事もいいけれども
自分の力が衰えてくるので
復習する年齢というのが
五十なのかな?ともおもう。

昔、達筆な礼状をいただいたのに
最近、送られたものは、その人のものとは
思えないくらいの手だったことがある。
もう、ご高齢なので、いろんな筋肉が衰えて
字までも、思うようにかけないのだろうとおもう。
年寄りが字が上手とおもったら、大間違いであると
わかった。
書き続けた人が、上手なのだろう。

しかし、若いときに身につけたものは
なにかのときに、ひょい!とでてくるものなんだなあ・・・。

「おかあさん、人に習字、教えられるかなあ?」というと
息子は、「何段?」と聞いた。

仮名に関しては、検定などとらなかった。
第一、何十年も昔なので、まったく関係ない。
息子は、「じゃあ、だめだ」という。
「調子に乗るな」ということらしい。

そういう風に思われるのだったら、だめだと思った。

看板をあげるほどの腕前ではない。
どこかの団体に所属しているのでもない。

私の書道の先生は、専門は漢字のほうだったが、
大学時代にはいって、再入門したとき
仮名をしたくて、指導してもらった。

だから、段などとっていない。
それだったら、世間では通用しないのかなあ?
私が、学んできたことは
子供たちに多少の影響を与えただけなんだろうか?

そういうことを考えるとむなしく、悲しくなるのである。

私には、肩書きがない。
それでは、なんの役にも立たないみたいで・・・。

そういう思いで、むなしくなる。
だから、書道の先生が認めてくださったことが
童心にかえって、
とても素直にうれしかったのだった。

誰もほめてくれない生活をしているものなあ・・・。






2010年01月20日 | Weblog
あんなに時間を犠牲にしたのに、
息子の書道の日は昨日だった。

なんのためにあの日にかいだのだろう?
あれから、毎日、私は「提出した?」と聞いていたのに。


昨日の朝、書道があるというので
私は、「墨!墨!」といそいで
私の硯箱から墨を探した。

****

墨をするのは面倒くさいものだ。
私も嫌いだった。
小さいとき、苦痛だった。

しかし、墨の成分のなかには
精神を安定させるものがあり、
すっているうちに気持ちが落ち着き、
集中へと向かう。

そんなことを知ったのは、ずいぶんあとのことだが、
いわれてみたら、なるほど、そうだ。
と思った。
だから、子供たちが学校でも、塾でも
墨をすらないのをもったいないなあ・・。
と思っていた。
次女は、「墨をすっていたら書く時間がなくなるじゃない」というが
墨をすってこその「書道」であって、
墨汁では「お習字」にほかならないと思うのである。

まあ、面倒くさいことは面倒なので
私もお習字どころか筆ペンがせいぜいなのだが。

*****

私の硯箱は、まったくのお道具で、めったにあけることはない。
しかし、一式あったはず、とさがすと
墨が二つあった。

ひとつは、桐箱にはいった奈良の手向山八幡宮のもので
ひとつは、中国の山水画が描かれたものである。

奈良のほうは、手向山八幡宮にいった母のお土産だったと思う。
もう、ひとつは、中国との貿易をしていた父の友人からの
プレゼントだったかもしれない。

私は、やわらかい手向山の墨なんぞ、もったいなくて
息子に渡したくはなかった。
しかし、あの墨のかけらでは、あまりに恥ずかしいので
なんとか、今日はしのぎたくて、両方、息子に見せた。
すると、無骨な息子が
「こんなの、もったいなくて、使えないからいい!」と言い出した。

それで、私は満足して、中国製の堅そうなものを
「とりあえず、もっていきなさい」と渡した。

奈良は墨の本場で、古梅園の墨など、
本当に丁寧につくられる。
私がもっている墨も、そんなひとつだから
暴れん坊の息子になんて、つかってほしくないのである。
しかし、そんな彼でも、一応、上等なものとわかって
気をつかったので、もう、満足したのだった。
私は、なんて、けちなんだろう。

彼が、小学校のころ書道を習いたいといったとき
姉たちが学んでいた書道塾は、なくなっていた。
それで、知り合いにお願いしたのだが、
サッカーが忙しくなって、あまり長くできなかった。
だから、彼だけが、あまりちゃんとならっていないのである。
高校で、書道を選択したとき、私は、とてもうれしかった。




書初め事件

2010年01月20日 | Weblog
うちの、息子は内申重視の
神奈川県にあって、遅刻、未提出が
ひどく、昨年の高校受験は
それはそれは、こちらは、気苦労が大変であった。

持ち前の悪運の強さで、なんとか、いれていただいた
高校でも、相変わらず遅刻、未提出をくりかえし
秋の面談のときには
「これでは、落第の可能性があり」と
担任に断言されたほどである。

****

先週のある日、早朝から、父親が起こしているのに
「うるさい!」といったあと、
「今日は、書初めをしないといけなんだよ!」と
のたもうた・・・。
父親は「はぁっ!?」である。

****

私は、覚悟を決めた。
この子は、今日も遅刻か欠席をする!
しかし書道をするのなら、そちらを優先しよう・・。

かくして、息子は、十分遅刻する時間に
おきて、書道の道具をテーブルの上にだした。

すると、長女が、やってきた。
「私も書く!」といって、おもむろに
書初めをした。
太筆で、「野」とかいたので
むかえにすわっていた私は
「『野球』とかくのかな?」とながめていたら
「野心」とかいた・・。
「○○ちゃん、ギラギラしていやらしい!やめなさい!」
この子は、この春から就職するので
仕事をするにあたっての気持ちをかきたかったらしい。
「『真心』が大事でしょうが!」と私はいった。
すると、
『初心』とかいた。
「まあ、ゆるしてやろう・・。」

彼女の筆遣いは、豪快で、息子は
あっけにとられて眺めている。

つぎに、息子がだしてきたのは上等の
料紙である。
「こんなのに、いきなりかいたら、もったいない!
練習しないといけないが、紙がない。
いつも○○にもらっているから紙がない」
と息子が言い訳をいったとたん
ねぼこなまこでおりてきた次女が
「あるよ!」といって自室から
(まるでドラマ「HERO」で、なんでも「あるよ!」とだしてくれる
マスターみたいだった)

束になるどころか、何千枚もの和紙が箱ごとおかれた。
「私は、書道選択だったけど
一年しかしなかったから、もう、邪魔!」と次女はいった。


「うわっー!!」と息子は、のけぞった。
私は、おかしくて笑い出した。

お手本はというと、ないので、今、友達にメールで
文面をといあわせているという。
友達は授業中のはずだ・・・・。

それを息子はかきとめた。
そして、半紙にかいてみたが
へなちょこな字なので
つい、私もかきたくなって、書いてしまった・・・。

「うわ。おかあさん、うまい。
こんなにかけるのは、○○(女子の名前)くらいしかいないぞ」
と変なほめ方をする。
それで、「これをお手本にしよう」といって
結局、書いた。

変体かなを次にならうそうで、
今回はかなだけでよいのだそうだ。
ならば、少し、連綿にするのがいいとおもって、
私は、流れを大事にするように口を出した。

口答えをしながらも、
数枚、練習し、清書した。

「先生が、『これを提出しないと
いつも5の人でも3になります。
だから、○○くん(息子の名前)
わかっていますね・・・・。』
といわれた」という。

息子は3だったはず。
いわずもがな・・。である。

「先生に、『こんな硯と墨では
一時間かかっても、墨はすれませんよ』っていわれた」
というのでみたら、
息子の硯は、プラスチックのへらへらなので
びっくりした!
小学校のときの一式だと思う。
「墨は○○ねえちゃんのをとっておいた」という。
ほんの10センチくらいのかけらである。
こちらもびっくりした。

私は、子供たちに書道を習わせたつもりだったので
まさか、息子がこんなお粗末な道具だったとは
思わなかったのである。

習い事をさせていたときも
墨汁をつかって、墨をすらないのを
嘆いていたくらいなので、息子の書道の先生は
ちゃんとした、いい先生のように思う。
あわてて、姉の硯ととりかえさせた。

墨をする時間がないというので
私がいうのもきかず、息子は墨汁で
料紙にかいた。
すると、うすい平坦な情けない色になって、
墨汁がまるだしである。
息子が「これじゃあ、ばれてしまう!」といったものだから
おかしかった。

とにかく、提出物をかいて息子はようやく
登校した。
私は、学校へ電話して
「今、でました」というそばやの出前みたいな
ことばを報告した。

学校の先生に
「体調が悪かったのですか?」といわれて
「書道の、提出物の・・・。
さすがに本人もかかないとまずいとおもったみたいで・・。」というと
担任ではない先生だが
「(クスッ!)ああ・・。」と納得した言い方だった。
私は、
「こんな形で、遅刻してしまい、申し訳ありません」と
お詫びするしかなかった。

なにしろ、提出しないと、落第するといわれていて
一家総出で、協力したのである。

普段、仲良しでない、母、姉妹が、つぎつぎと
末っ子を支援した形になった。

「だから、あんたは安物なのよ。
苦労なしで、要領だけでいきていくって
いわれるのよ」と、あれから、息子にいっている。

しかし、あの時間は、私にとって
宝物のような時間だった。