Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

竜馬の妻

2009年12月31日 | Weblog
お正月が目前に迫り、
家の中も、テレビのなかも
華やいだ空気があふれてくる。

その中で、昨日のテレビ朝日の
朝の番組の時空ミステリーを
みていて、不覚にも
涙が出そうになった。

来年、ブームになるのは、確実のは
坂本 竜馬。

時空ミステリーでは、竜馬の妻のお龍さんの
人生となぞを取り上げていた。

一枚の写真があった。
それは、若き日のお龍さんとおもわれるものである。

もう一枚の写真がある。
それは、老婆の写真で、
竜馬の妻、お龍さんの晩年と
確認されているらしい。

ミステリーは、若い女性がお龍さんなのか?
ということなのだが、
その中で、お龍さんの波乱万丈の人生も
紹介された。

お龍さんは、京都の医者の娘としてうまれ
裕福な育ちであったが、父が、安政の大獄で
獄死したので一家離散したという。

京都にきていた竜馬と出会い、結婚する。
日本で初めて新婚旅行にいった夫婦である。

お龍さんが、京都を離れているとき
竜馬は暗殺されてしまった。
結婚生活、わずか3年。
お龍さんは、27歳。
遺言にしたがい、竜馬の実家に身を寄せるが
高知の暮らしは一年しかもたなかった。
京都にもどり、そのあと、
旧知の西郷などをたより、上京する。

そのころのとられた写真ではないか?
とおもわれるのが若い女性の写真である。
美しい人だ。
そのご、三浦の商人、と再婚し、
名前も西村 ツルとなのり、
30年余りの人生をすごすが、
60過ぎに、貧困の中で病死したらしい。
墓には、「竜馬妻龍子の墓」となっているらしい。

その墓があるお寺は横須賀の大津。

それをきいたとき、私は、涙が出そうになったのだ。

華やかな京の都にうまれ
幕末の志士と交流し、夫は維新の立役者ながら
暗殺されてしまった。
交流があった、西郷などは、政府高官になった。

夫の実家、高知にいってもきっと居心地がわるかったのだろう。
京から東京にいくときは
どんな気持ちだったろうか?
すごい決心だったことだろ。
あの時代、上方から江戸は、外国なみに文化もことばも
ちがったはずだ。

そして、商人と再婚し、最後は、流れ着いた鄙で貧困で病死。
悲しい人生ではなかった?
若い日の竜馬に愛された時間で一生
幸福な思いが支えになっただろうか?

大津は、今年何回かいった街だ。

京も、東京も、大津も私はしっているわけだが、
大津は、ひなびた地方の町である。

自分が流転の末にそこで人生を終わるとき
お龍さんの胸中はどんなものだったろう。

いくら大津が、暖かくてのどかな街であったとしても
彼女は、自分の人生に納得しただろうか?

そういう興味がわいてきた。

来年も大津に行く機会はあるとおもう。

あの街に坂本竜馬が、唯一愛した女性が
眠っているとは・・・・。

再婚した夫は、大事におもってくれのだろうか?
なくなったあと、「坂本竜馬にかえす」という気持ちがあって
墓標にも遺影にも竜馬のことがかかれてあるのでないか?
というのは、時空ミステリーハンターの意見である。

60歳。
老婆である。
今は、60歳は、まだまだ若い。
着物を自然にきれいに着こなしたおばあさんの姿は
最近では、稀有な姿。
老婆であるが、凛とした気骨がある性格が垣間見えるような
表情だった。

昔の日本の女性だった。


お正月飾り

2009年12月30日 | Weblog
28日に、玄関の飾りをお正月のものに
変えた。

若松もつけた。
寄せ植えを少しまわして
葉牡丹が前面にくるようにした。


本当は、家の中のお正月準備を終えて
年神さまに、お知らせしお迎えするのが
門松の意味らしいので
我が家は、まだなのだが、
そんなことをしていたら、年が明けてしまう。
いや、いつまでも準備完了にならないので
お飾りができない。

29日はさけたいので、今年は28日になった。
お花もかってあるが、まだ生けていない。

そういう話を実家の母にしたら
「あんたは、そういうことはたいそうにするね」と
いわれた。

私も妹も、そうことは「たいそう」にするたちである。
そういう風に育てたのは、親だとおもうのだが・・・。

昔、実家のお正月準備は、我が家の比ではなかった。
独り暮らしになった母は、なんでも省略である。
反対に、私が、「今日は28日です。
お正月飾りをする日です。
各自部屋の掃除をること!」と子供達にむけて貼紙をしてみた。
28日に掃除をしたのは長女だけで、
次女は、29日、長男はなし・・。(ごみ屋敷状態)
私も、部屋は、カーテンをあらっただけで
これからである。

でも、今年は、玄関ドアーを磨いておいたので
お飾りをしてもいいかな?
とおもって早めに若松も飾った。

・・・というわけで、早めに壁紙もかえてみました。

携帯でもらったプレゼント

2009年12月28日 | Weblog
私も、今年、たくさんのものを
いただいた。

ほんの数日前に、なんということなしに
気落ちしていることを知っている友達から
携帯電話のほうにメールがきた。

イルミネーションの風景がついていて、
それが、きれいでうれしかった。

今年は、イルミネーションをみにいけなかった。
自分の家でもしなかった。
めずらしく光のないクリスマスだった。

だから、さっきも、携帯の中のイルミネーションを
見直していた。
きらきら光る。
きれいだなあ・・・。
小さな枠の中に、優しい気持ちの風景が
おさめられている。
そんなプレゼントも、うれしかった。

年末のプレゼント

2009年12月28日 | Weblog
今日は、朝から、銀行、郵便局、
デパート、スーパーのはしごをして
お買い物。

今年、最後のプレゼントを買った。

昔、友人に「Poncoは記憶に残るものを
くれる」といわれたことがあって
いつのまにか、それが私の贈り物の
ポリシーになっている。

親しければ親しいほど、
変なものをさしあげることがある。

今日の贈り物は
秋に「もう、しもやけができてしまったよ」と
メールをもらった友達に、手袋と靴下を
贈った。

どういうわけか、しもやけができたことが
気になってしかたなかった。
私だって、子供のときにはしもやけになった。
しかし、大人になってからはない。

私とその家族がぬくぬくした怠惰な生活をしているような気が
してならない。

彼女のどこにしもやけができたか?
とにかく、「中華街からタイガーバームを送ろうかしら?」
とかおもいながら、今日、手袋とくつしたをおくったのだった。

彼女には、暖かい家族もきょうだいもいるのに、
おせっかいにも、そう雑貨をおくった。
私が贈りたかったのは
おかあさんのような気持ちである。

彼女には、もう、ご両親がいない。

「Poncoは、いつも変なものくれるわ・・。」
と笑うかもしれない。
笑ってくれたら、大成功だとおもっている。

なにしろ、つい最近は、三浦大根を五本
農園から、送ってもらった。

それも、自分で面白いな~。と思った。

私と彼女は、都会のど真ん中の生まれ育ちなのに
いまや、農作物を交換する仲になっているのも
面白い。

気心がしれた仲の友達がいるのは
いいものだ。


恋 (松山千春)

2009年12月27日 | Weblog
恋 (松山千春)


今年を振り返る時節になった。
今年の私はどうだったかなぁ?とおもったら
このフレーズが頭の中で流れてしまう。

「愛することに疲れたみたい・・。」

今年も
私は、たくさんのものを愛したよ。
大切に想った。
でも、報われないなあ・・・。っておもうこと
しばしば・・。

そういうことが、ここのところの
「なんだかなあ・・・」っていうやりきれなさなのかな?

この歌みたいに恋に疲れたというわけじゃないけれども。
たいちゃんでさえ、こんなにかわいがっても
きまぐれでいうことをきいてくれない。
なにかを期待して、愛しているわけじゃないけれども
やっぱり、こちらの一方通行って、私にはつらいことなのよね。

冒頭の疲れた歌い方が、みょうに惹かれてしまう。

めずらしく、掃除三昧で疲れているからかしら?

自分の部屋は、後回しでちっともきれいにできない。
がんばっているのになあ・・・・。

クリスマス・イブイブ

2009年12月23日 | Weblog
今年は、クリスマスといっても
生木でリースをつくり、
注文でつくってもらった寄せ植えの
中央にあかいリボンと金のオーナメントを
さげてツリーにみたてただけで
私としては、不十分である。
イルミネーションも、一部さえ出していない。
ガーランドは一年中、飾っているのでありがたみがない。

昔は、クリスマスは力をいれたものだった。
我が家のクリスマス用品をだすと、
お正月飾りに変更するのがいやに
なるくらい、あれこれあった。

息子に
「いい子にしないと、サンタさん、こないって。」といってやる。
「どうせ、こないじゃないか」
「いいや~。
昔はきていたよ。」
「昔はね・・。」と彼はうそぶく。

****
ある年のこと。
私は、子供たちの前で
クッキーをミルクを台所において
「サンタさんがきたら、これを食べてくれるんだよ」といった。
そして、子供たちが寝ると私が、クッキーをかじり
ミルクを飲んだ。
子供たちへのプレゼントを枕元においた。

また、ある年は、自分も子供もおしゃれをして、
横浜港のマリンタワーに上った。

山手カトリック教会、鎌倉雪ノ下教会。
あちこちの教会の厳粛な飾りをみせたくて
走ってもらったこともあった。

また、ある年は、ご近所の数軒で
持ち寄りのクリスマスパーティーをした。

****

そんなことを、子供たちは憶えているだろうか?
もう、まったく憶えていないような気がする。
私の努力も水泡に帰したような気がする。

最近は、「うちは、ブディストだから」といって
プレゼントもしない。
飾りだけ。
そういうわがやには、クリスマスツリーはない。
10年くらい前に捨ててしまった。

ツリーをもっていないときは、緑の紙でつくったことがあった。
生のモミの木をかったときもあった。

来年からは、生のモミの木もいいな~とおもっている。
今日、ガーデンセンターにいったら
日本でも、こんなに安くなったのね・・。
という値段で売っていた。


考えてみたら、私は、クリスマスプレゼントをもらったことが
そんなにない。

思い出に残っているのは、はるか昔、目が覚めると枕元に
大きなお人形があったことだ。
それを「マリアちゃん」と名づけてかわいがった。
父は、「クリスマスケーキは、25日になると安くなるんだ」といって
イブにお祝いなどする家ではなかった。

両親は、年末は夜おそくまで
仕事をしていた家だった。

****

娘は美味しいケーキを少しでいいといい、
息子は、大きなケーキが食べたいというので
とりあえず、大きなケーキを買いにコストコにいってきた。
すごい混みようで、ケーキと猫のえさをかっただけだった。
今日は、日本では、休日だから
クリスマスは、前倒しになるようだ。

私としては、部屋の飾りもない、
物足りないクリスマスなのだか、
カードを3枚かいたし、とりあえず、
まあまあなのかな?

この数日、掃除ばかりしていて
今年は、そちらのほうへ気力、体力を使っている。

日本の年末は、忙しい。
野暮用ばかりで、あんまりうきうきもしない
師走を過ごしているが、
主婦としては正しい師走なのかもしれない。



お歳暮リース

2009年12月15日 | Weblog
モミの木などがあるうちに
またリースを作った。


土台とベルは、お店で既成のものを買った

赤い実やら松ぼっくりを家の近所で
拾って、完全オリジナルでつくるのが
目標であったが、さすがにそこまで手間をかけられなくて
バラは、持っていた造花である。

これを今年も野菜を下さったご近所の
おじさんへ感謝をこめたお礼とした。

Ponco流 お歳暮である。

血痕が!

2009年12月11日 | Weblog
火曜日のことである。

往復8キロの道のりを自転車で
走り、ふらふらで帰宅すると
私の部屋のベットに血痕があった。

「ぎょっ!」
はじめは、息子が、すり怪我をしてシーツに血がついたのかと
思った。
しかし、床の上の血をみて
「これはおかしい・・。」

娘が入れ違いに帰宅したようなので
留守にしたのは3時間ほどだし、部屋にでかけたとき以上に乱れはない。

猫が怪我をしたのか?

しかし、普通に歩いている。
ーじゃあ、なんだ、これは!?
「きゃ~!!」と娘を呼んだ。
「警察に電話したら?」

大げさな娘がいう。

まてよ・・・。
床をよくみたら、大きな猫のつめがおちていた。
猫の爪は、雲母のように、上からはがれることがあるが
それにしても、こんな形のままは、珍しい。

猫を追いかけると、怖がって逃げる。
朝、粗相をしたので、思い切り叱ったせいか
怖がっている。

よくよくみると、爪は一枚だけではなかった。
小さい爪の破片もいくつかあった。

推測だが、猫のたい吉は、出窓に飛び乗ろうとして
あやまって爪をひっかけて、爪が根元からはがれて、流血騒ぎになり
自分でも痛かったので、うろうろしたのであろう。

指を確かめようとすると
「ぐぐぅっっっっ!!」と呻る。
このうなり声も、以前、怪我をしたときと同じだ。
普段、決して出さない、手負いの獣の声である。


左のくすり指らしいというところまではわかった。
娘たちは、「お医者さんにつれていったら?」というが、
おとなしいので、様子をみている。
ただ、この数日、私は、たいちゃんに優しい。
すると、連続で、粗相をしていたのが、
やんでいる。
あれは、ストレスがたまっていて、反抗していたのだろうか?

いたわられると、体調もよく気持ちも穏やかになるのね。

私も、先週、「だれか~いたわってよっ~!!」とストレスを抱えていた。

この数日は、猫をいたわることで、自分も穏やかになろうとしている。
シーツなどの洗濯は、結構大変で、へとへとになったが・・・。

「猫にも血液型とかあるのかな?」
って、たいちゃんに聞いても、答えてくれないのが
残念。





クリスマス・リース(フレッシュ)

2009年12月05日 | Weblog
さて、本日のメインイベントは
上郷森の家でおこなわれた
クリスマスリースの講習。

生の枝をつかってリースを作るというので
申し込んでいたのだ。

*使った材料*

モミの木枝
ヒムロスギ
クジャクヒバ
ギンネズ枝
ユーカリ
バーゼリア
赤い実、花
木の実
オーナメント
リボン。

帰宅して、以前、遊歩道で拾ってあった
小さな松ぼっくりやら、ムラサキシキブの実も
ついでに加えた。
ワイヤリングが、わかったので、今度から
自分でもたくさん実をつけられそう。

時々、自己流でリースを作るので
先生が教えてくださると
とっても、ありがた~い。

家に帰ると、森の香りがした。
ヒバなど、本当に森林浴しているように
思えるので、端剤もすてられず、ポプリみたいに
器に盛ってみた。

炭焼き

2009年12月05日 | Weblog
散策していると雑木林クラブがあった。
ボランティアの方たちが、炭をやいたり
森の保全をしている。

炭をやいたときでる煙から
木酢液もつくっている。
精製した透明な木酢液もつくっているところを
みせていただいた。

野菜やハーブの防虫にいいし、
お肌にもいい。

廉価で少しわけていだいた。
すると、竹炭となにかの炭も
「ほい~!」という感じでくださった。

ほっこりとした方たちだった。
炭をいこしてあたたまりたいな。