Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

白い秋

2011年10月29日 | Weblog
秋は、白い。
 
では、ほかの季節は?というと・・・。
 
春は、「あお」→ 「青春」
夏は 「あか」→ 「朱夏」
冬は、「くろ」 →「玄冬」
 
これらの言葉、どこかで聞いたり
目にしたことがないですか?
 
私は、これを知ったとき
「ああ、それで!」とおもったことがあっった。
 
「青春」は、有名すぎるが
 
「朱夏」は、宮尾登美子さんの本の題名だし
「玄冬社」という出版会社もある。
 
「白秋」は「北原 白秋」
 
テレビの料理番組で、私より若いお料理の先生が
「食材も、秋は「白」ですよ」
 
つまりは、しいたけや山芋。
なるほど~。
 
春は、青物(葉っぱもの)が美味しいし
夏は、トマトやスイカ。
秋が、しいたけや山芋。
 
では「くろ」の冬は?
「ごま」なのだそうだ。
 
アジアの食材の旬、または、そのころ、摂取すればいい栄養とこれらの言葉。
えらくリンクしていて、語源やら、由来をしりたいが
今日は、まだ調べていない。
 
放射能のことに、少しは気をとられつつ
にくづきのよいしいたけをみたら、買わずにはいられない昨今。

横須賀遠足

2011年10月26日 | Weblog

昨日は、友人と横須賀に遠足にいってきた。

遠足といっても、車でドライブで、歩かない・・・。

しかも、今月4回目の横須賀だが、芸術の秋ということで「恋人の聖地」に

認定された横須賀美術館http://www.yokosuka-moa.jp/index.htmlにいけるのは、やはりウキウキすることに違いはない。

「トリック&ユーモア展」 エッシャー・マグリット。国芳から現代まで

という特別展示が、お目当てである。

 マグリット

 

 歌川 国芳の浮世絵。題名が、しごく面白い

「みかけは こわいが ほんとうは よいひとだ」 

顔と手が、人間でできていて、無気味である。「でも、いい人なのね~」

「これ、欽ちゃんの『仮装大賞』の発想と同じじゃない?」と、感想を小声で言い合う。

  U.G サトーさんの「蝕まれた日本列島」 実物は、ある場所からみると、日本が、浮き出てくるというもので、ビューポイントを探すのが大変だった。

世界地図バージョンもある。

U.G サトーさんは、友人の母方の親戚の方で、かの「ヤクルト」の容器やロゴのデザインも

作品なのだそうだ。

ヤクルトには、お世話になっています~。

谷内 六郎さんの懐かしい絵をみて、併設のイタリアンレストラン「アクアマーレ」で

ブイヤベースをいただく。

前回きたときは、寒いときで、空いていたが、昨日は、待ち時間があった。

今度は、電話で、テラスを予約したい。

晴天のこの場所は、正面に、浦賀水道が広がり、東京湾を出入りする大型の船がみえる。

絶景のスポットだ。

おしゃべりがすぎて、京急観音崎ホテルの「スパッソ」は、取りやめにした。

白亜の美術館には、蒼い海と、グリーンの芝生。

そして、海に浮かぶ船のちょっとした赤の色がよく似合う。


仕上げは、おばあちゃ~ん(!?)

2011年10月21日 | Weblog

ジムでウォーキングマシンでテレビをみながら

歩いていたとき、チャンネルをかえたらN.H.Kの「おかさんといっしょ」の

「はみがきじょうずかな?」のコーナーだった。

懐かしくて、おもわず、みていた。

http://youtu.be/uqvVjrlJ2DY

「クチュクチュ~♪ クチュクチュ~♪・・・・

(そうそう、私も、これみて、子供たちにしてあげたものだったわ)

しあげは おかあさ~ん~♪」と心の中で、読んだとたん

テレビの中では「しあげは おばあちゃ~ん♪」

となり、60代くらいのおばあちゃんが、登場。

「ええ~!!」とびっくりした。

私の時代は、おばあちゃんが登場したことがあっただろうか?

きっと、このおばあちゃん、普段から、子育てならぬ孫育てをしていて

歯磨きの仕上げもしているのだろう。

私の同級生の中にも、仕事をしているので

娘3人を実母にほとんど、育ててもらった人がいる。

そのおばちゃんは、私も よく知っている。

保育園の送り迎えから、しつけ。

しっかりした人だった。

しかし、うちの母たちの仲良しグループの中で、一番早くなくなってしまった・・・。

みんなは、「きっと、孫を育てて疲れたんだろう」と言った。

うちのお姑さんは、同じ年齢で、やはり、うちの子供たちに、よく尽くしてくれる人。

「近所でなくてよかった」と、今ごろいっている。

帰省時に、私は、実母も姑も、頼りまくっていた。

本当に、よく世話をしてくれた。

これで、近かったら、必要以上に、がんばってくれていたと思う。

今の時代、夫婦で仕事をするのは、あたりまえだろうし「専業主婦」が、希少になるかもしれない。

そうなると、育児に活躍するのは、「おばあちゃん」「おじいちゃん」か!?

今日の新聞にも、「夫婦で、持つ子供の数は2人をきった」とある。

しかし、昔は、なんともなかった、歯磨きの仕上げ磨きは

腰がいたいだの、力が衰えた中高年には、なかなか、重労働。

こき使われた挙句、施設に入れる算段をしそうな、うちの子供たちの性格。

気をつけよ~とおもってしまった。

そうでない、親孝行のお子さんをもった中高年の方たちは、孫の育児を

がんばろう~。

子供をがんばって育てることは、生きがいになるだろうし。

仕上げをしてもらった孫ちゃんたちは、おばあちゃんを大切にしてね。


愛の夢

2011年10月17日 | Weblog
http://youtu.be/d6GXdWcl6i0

昨日、次女のピアノの発表会だった。
弾いたのは、リスト「愛の夢」
とても、辻井信行さんの足元には及ばないが・・。
長女がピアノのレッスンに通いはじめて約20年。
今回の次女の発表会が最後になるかもしれない。
... それは、長いようで短い。あっという間で長い時間だった。
指2本で、5歳上の姉と母親と3人で、「大きな古時計」で、ピアノの発表会に
デビューした次女は、この曲で、いったんのピアノ生活を休止する。
私にとっても思い出深い一曲になった。

朝の連ドラ カーネーション

2011年10月13日 | Weblog
今度のNHK朝の連続ドラマ「カーネーション」をみていると
懐かしさで、胸がいっぱいになる。
 
私が、この時代に生きていたわけではない。
私の、祖父母、父が生きていた時代の大阪が
そこにある。
 
ヒロインの糸子は、呉服屋の娘なのに
ミシンにあこがれる。
父は、洋服の登場で、呉服屋の商売が
思わしくないものだから、洋服屋だの
ミシンだの、大嫌いだ。
 
ナレーションでは、「昭和のこの時期、ミシンがあるところは
珍しかった」と語られる。
その珍しいミシンを使って、糸子の父が仇みたいに
おもっていた時代の先端だった商売を我が家の祖父は
生業にしていた。
 
大正年間に、梅田から、淀川を隔てた場所に洋服店を開き
お弟子さんを抱えた大将であった。
大阪では、商店の主を「大将」と呼ぶ。
父が生まれたころは、商売もうまくいっていて
大阪市長の大礼服の注文を受けたことが自慢だった。
その写真をみたことがある。
歴史の教科書にでてくる明治のえらい人がきているものものしい
服である。
 
父とそのしたの叔母が育ったころは、我が家には
女衆仕さん(おなごし)さんがいて、祖母はお弁当なんぞ
作ったことがなかったらしい。
「卵焼きやいて、いれといたって~」といったらしまいだった。
と父は、よくいった。
 
祖母は、船場のご寮人さんほどではないが
商売人の奥さんだからか?
麻生 裕未さんが、結っているいるような小さな丸髷だった。
死ぬまで、髪を短髪することなく後ろで、自分で小さな髷を作った。
 
この時代のことを、私は、祖母や父からよく聞いたような気がする。
劇中のおばあちゃん、糸子のおばあちゃん役の昭じ 照江さん。
すばらしい! これぞ、大阪の商家のおばあちゃん。
トミーズ雅のパッチ屋の大将。
糸子の父の小林 薫のドスのきいた大阪弁。
(商売人としての台詞の間合いもすばらしいな)
こういう大将、昔は いたいた!
 
商売人ワールド!
 
最近、足ふみミシンが見直されて、祖母、母のものを
修理して、つかいたいと注文が殺到しているらしい。
 
我が家の足踏みミシンは、現役で、今日も母が、一日中
カタンカタンカタン・・。と音を立てている。
洋服屋には、音がある。
本当に味わいがある音ばかりだった。
 
90年ちかくの家業の廃業届けを七年前に書いた私は、
おじいちゃんに、本当に申し訳ないことをした・・。とおもっている。
時代の趨勢もあり、跡継ぎがいる洋服屋でも
廃業している世の中だ。
 
祖母の着物のお直しができあがってきた。
一つ紋をいれた私の寸法に合わせた着物は
祖母の面影がないかもしれないが、こういうことで
埋め合わせをしたいとおもう。
ああ、洋服屋の娘が呉服を好きなのもおかしいものだ。
 
今は、こういう世界が大阪でもないのだろうが・・・・。
私は、タイムスリップを楽しむべく、目が離せない。
 
それにしても、糸子の子役、可愛かった。
大好きなアニーみたいだった。
また、みたいな。

寄り道にて

2011年10月09日 | Weblog

 

鯖を堪能し、割りとローカロリーだったと、満足していたが・・。

「すかなごっそ」 というちょっと話題の直売所をみつけてしまい

野菜をもとめていったのだが、時間が遅くて、あまりなく、ルッコラをかった。

走水の湧き水でつくったという「ペリーサイダー」

ラベルがレトロで、楽しい。

そして、葉山牛いり、コロッケとメンチカツも発見。

「買います!買います!」

「今度は、葉山牛を食べにいくよ~」といっていたのだが、横で売っていた葉山牛のステーキ。

やはり、ちょっとお高くて、自分では、満足する調理をする自信がなくて

お手軽なコロッケに・・。

しかも、関口牧場の濃厚ソフトクリームも一個、食べて、満足し・・・。

(春に菖蒲園にいったとき、関口牧場もお店がしまっていて食べ損なったリベンジができてしまった)

全然、ローカロリー生活にならなかった。

でも、今日は、ピンポイントで、良質で美味しいものに出会えたと思う。

 


松輪さば

2011年10月09日 | Weblog

  最初に葛で固められた海草の小鉢がでてきた。

そして、連れ合いが注文した「サバ丼」

ジャジャジャ~ン!

私が注文した、松輪さば トロの炙り(夫のものより、高価。この際、がっつり食べるぞ!)  ポン酢でいただく。アサリのお味噌汁も、お漬物の大根も美味しい!さすが三浦半島。

 

この食事にありつくまで、結構、時間がかかった。待つ間に説明を読んでいた。

サバを生で食べるのは、関西人くらいだが、その関西人をもうなられせるサバ。とのこと。

へえ~!

私は、関西人であり、父は、バッテラも〆サバも好きだった。

しかし、私は、絶対に食べられなかった。

それは、なんだか、生臭いのと、生の青い魚は、蕁麻疹がでるので

絶対に、火が入ったものでないと、怖くて・・。

よほど、フライか、塩焼きにしようか・・。と迷ったのだが

せっかく、ここまできたのだから!と、数量限定の炙りを食べることにした。

一人では、食べきれないので、夫にも、食べてもらった。

目の前の海から、水揚げしたて、さばきたてのサバのとろは、脂がのっていて

もちろん臭みもなく、くせもなく、ピカピカだった。

肉厚にきられた刺身を食べるときには、そのたびに心の中で「いただきます」とサバにいった。

レストランの前には、サバを丸ごと一匹うっているお店があって、気のいいおじさんがいた。

私が、魚をさばけるのだったら、買いたかったが、無理なのであきらめて、みやげ物の三浦半島で取れる海草をかった。

伊丹空港で、『焼き鯖寿司」を買うことがある。

それも、美味しいが、今日の鯖を食べてしまったからには、しばらく、どこの鯖でも納得しないだろうな・・。と思った。

福井の小浜から鯖街道があり、京都に通じている。

京都人や、大阪人は、自分のところでは鯖がとれないくせに、鯖をもってきて

加工して、食文化を築いてきた。

なんて、傲慢だったんだ。っておもった。

大阪で生まれ育ち、食道楽の父のおかげで、食べるものには、貪欲な私。

そして、環境の変化で、食文化についていけず、やせたり体調を崩した日々。

食べること、食べるものは、とても大事だとつくづくおもう。

最近は、産直というより、自分が産地にいってしまうことも・・。

産地で食べる、新鮮なものは、素材そのものの味だけで本当に美味しい。

魚が嫌いだったのだが、最近は、そうはいえないかも。


松輪さば

2011年10月09日 | Weblog

以前より、興味があった三浦半島の松輪に鯖を食べにいってきた。

西の関さば、東の松輪さばとならび称されるブランドサバ。

・・・といっても、サバが、特にすきなわけではなく、どちらかというと、昔から

バッテラは食べれられいので、苦手だった。

しかし、松輪さばは、生でたべられるという!「黄金の魚」として、知る人ぞ知る特別なサバらしい・・。

江奈湾にある漁業組合が運営するレストランへ。

幹線から、「この道でいいのかな?」というでこぼこ道をいくと、そこに忽然とあわられる。

そして、車と順番を待つ人がたくさん・・。