Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

父の着物

2011年04月29日 | Weblog
最近、たんすの肥やしになっている
着物類を見直している。
 
先日、男物の着物をだしてみた。
この着物は、私の父が、夫にあげたものだったかな?
お義父さんのものだったかな?
 
ちょっと迷った。
父がきていたもののような気がする。
 
長襦袢をみて「結構、派手」
 
羽織の裏をみたとたん
びっくりした。                        
地味な表とは裏腹に
派手な絵柄。
 
富士山とひょうたんの中の山水画のような
絵。
 
こんなおしゃれをするのは、実家の父にちがいない。
舅は、着るものにお金をかけない人だった。
 
さて、この羽裏の絵模様。
なかなかいい。
 
裏地に凝る。
父らしいおしゃれは、洋服だけでなく
和服もだったのだな。
 
父は、夕食の前に入浴し、この着物をきて
黒の兵児帯を結んで、晩酌をした。
毎晩、毎晩。
着物をあっというまに、羽織った。
 
おもわず、着物を鼻につけて
父のにおいがないか?
とさぐってみた。
ウールのにおいだけなのだろが
懐かしい懐かしいにおいがした。
 
こういうことをしたのは、人生で、数少ない。
 
私がはおってみたら、父は小柄だったから
そんなにぶかぶかでもなくて、
ついたけにして、冬の湯がありにきようかな。
とおもった。
 
父の羽織を甥は、半纏代わりにしているという。
息子が帰宅したので、長着をあててみたら
息子のほうが小柄で、びっくりした。
彼は、筋肉がつきすぎて、身長ものびていないのだな・・・。
 
兵児帯は黒で、白いカビがはえていたので
ブラシで、とって、新しいたとう紙に包みなおした。
着物の手入れは、面倒だが、こういう、余裕があるときにすると
楽しいもだなあ、と思った。
 

ローズマリー・春のリース

2011年04月26日 | Weblog

本日は、ローズマリーのリースを作りました。

地植えにした、ローズマリーが大きくなったので剪定して、つくることに。

それをキッチンにつるしておくと、料理にも使えるという、便利な食べられるリース。

15CMくらいの束をいくつもつくって、リースのそって、たいだい、デザインする。

このリース台は、一昨年の秋に生木でクリスマスリースをつくったものだったので

はすずのが、厄介でした。

ワイヤーをつけた束をリース台にそって、つけていきます。

ためていたリボン類。どれを使おうかな~。

結局、どこも使いませんでした。

リボンの色は楽しいし、おすそ分けやら、ラッピングするときに

便利。でも、ちょっとたまりすぎたかな・・。   

 

 

                               

 

淡いピンクのシフォンのリボンを大きく結んで、まわりにも、くるりと這わせました。

お花は、造花の、カーネーションとピンクの小花。

お嫁さんチック。ふんわか~。

リボンは、娘がつくってくれました。仕事で、贈答のリボンを結ぶので、上手です。

 

  白いレースの上だとわかりにくいかな?と色を後ろにもっていきましたしたが、携帯のカメラ、ぼけています・・・・・・。

 

春のリース、できあがり。

残りの束は、キッチンの窓辺につるして、ドライにしようとセッティングしました。

 


リセット

2011年04月16日 | Weblog
木曜日に、独身時代の
同僚とあった。
 
○年前とかわらず、素敵で綺麗だった。
末っ子、次女の彼女の思考は
私には、刺激になる。
しなやかで、強い。
 
そのあと、前から鍼灸治療がしたいなあ・・。
とおもっていたので、見つけたところに
なんとなく、はいって、感じがよかったので
施術してもらった。
 
腰が悩みなのだが、首、肩も相当こっていて
鍼は、結構、効いた。
昨日も、でかけず、今日あたりは
動けるか?とおもったら
今日こそ、うとうとと寝てしまった。
 
だらだら・・。というか、
最小限度のこともしていなかもしれない日常。
私は、いろんなことに疲れていたんだろうな・・。
 
数年前にしていたモニターを今年もすることになった。
昨年は、積極的に関わったことで、悔いはないが疲れたことは
確かなので、私なりに区切りをつけ
この春からは、また、私らしい生活がしたい、という気持ちもある。
まだ、できるほど、エネルギーがたまっていないと思う。
少しずつ、少しずつ。
体と心をリセット。
 

ベゴニア

2011年04月15日 | Weblog

今年は、椿園にいけなかった。

その代わり、ベゴニア園で、お花見。

ベゴニアが、こんなに多種多彩とはおもわなかったなあ。

香りがない。そして、いろが、しっかり鮮やか。

フワラーセラピー、十分できたと思います。

 

 

バラみたいに、みえるけれども、これもベゴニア。

すばらしい!


天然素材

2011年04月04日 | Weblog
昨日、アルパカをみにいくのに
狐の襟巻きはしていくものじゃないなあ・・。
と、反省。
動物が好きなのか?
残虐なのか?矛盾している。
 
 
私は、「素材」がなにであるか?
に 興味がある。
毛皮は、確かに暖かい。
だからといって、毛皮のために
動物を殺すというのには
反対で、だったら、しなければいいじゃないか、
と、グリーンピースに怒られそうな矛盾をもっている。
自分では、毛皮のコートを買いたいという発想はなく
昔、フェイクのファーコートを買ったくらい。
 
それで、たまたま、私のところにやってきた
動物系の自然素材は、とにかく「貴重品」であるから
大事に愛用したい、というのが
私の今のポリシーである。
 
一番、愛用しているのが、狐の襟巻きで
次が、たい吉の毛(?)
この冬は、たい吉の毛の温かさが有り難かった。
娘は、ラクダの毛のハーフコートを愛用しているが
それは、もともとの持ち主が誰だったか?
わからないくらい昔にうちの実家にやってきて
今、彼女は、着たおしているから
裏地にやぶけたりして、普通なら、捨てても
おかしくないくらいであるが
軽くて暖かいので、手放せないらしい。
 
ちょっと、申し訳ない、とおもっているのが
ラッコの襟巻きで、今は、ワシントン条約があるから
とても、手にはいらないだろう。
あんなに可愛いラッコなのに
襟にまくなんて・・・。と、思うのだが、
襟巻きになったラッコは、本当に柔らかく、肌触りがいい。
これも、誰かが、オーダーで持ち込んだものだと思う。
そして、一番の極め付きが、アザラシの帽子。
これは、亡き父が、妹夫婦が、アンカレッジによると
きいたとき「おい、アザラシの帽子があればかってきてくれ」と
冗談とも本気とも、わからないことをいったのだが
アラスカのアンカレッジには、あったので、妹たちは
買ってきた。
ご満悦の父は、そのロシア人がかぶっていそうなアザラシの
帽子をかぶり、サングラスをして、ダブルのコートをきて
妹たちと和歌山の田舎のほうに遊びにいったそうだ。
すると、人々に、遠巻きに「外人だ、外人だ、ソ連の人ちゃう?」と
騒がれたという。
 
もう、20年くらい前の話である。
父は、洋服屋であったから、背広やネクタイは、普通人より
派手であった。
 
私も、父の写真を飾っていて
「洋服屋なの」といったら
「ああ、よかった、かたぎじゃないのかとおもいましたよ」と
いわれて笑ったことがある。
 
アザラシの帽子は、そういう父のいちびり(ふざける)
というか、ユーモアの象徴であったが、私自身はみたことがなかった。
12月の父の七回忌法要のあと、古いたんすの中からでてきた
アザラシの帽子をはじめてみた。
 
なるほど、フカフカで、柔らかく、暖かそうだ。
しかし、サイズが小さい。
その場にいた、私、娘、妹夫婦の誰も
きつくて、かぶっているのが大変そうだった。
父の頭は小さかったのだろう。
しかも、はげ頭だから、これをかぶると
暖かく、極楽であったことだろう。
 
アザラシの帽子は、、また、たんすの中へしまわれた。
 
ラッコのほうは、今は私の手元にある。
娘は日常的に使うのが、どうももったいなくて
着物とともに、お蔵入りである。
 
こうやって、私の手元にやってきた動物系のものは
大切に使いたいと思う。
これもまた、命を「いただきます」といって
もっていたいと思う。
 
化学繊維で軽くて暖かいものが多い昨今。
私も、そういうものに囲まれた冬だった。
 
夏は、麻が、着たくてたまらなくなる。
植物性は、気が楽だ。
 
人間は、傲慢にも、ほかの生き物を
利用して、生きてきた。
だから、粗末にしてはならない、とおもうのである。
 
 

アルパカ牧場

2011年04月02日 | Weblog

アルパカ牧場

今、アルパカ牧場にいってきた。

 

この動画をお借りした。

茶色のアルパカちゃんが、もう少し大きくなっていて

私のてにのせたえさをよく食べてくれた。

ふわふわして、目はつぶらで、おとなしい。

優しい動物。

狐の襟巻きをしていってしまっていた。

アルパカも羊も、刈り取った毛を利用するのですき。

うちには、らくだの毛のコートも、ラッコの襟巻きもある。

アルパカも、洋服屋の実家では、聴きなれた素材の名前。

このふかふかをつむいで、人間を暖かくしてくれていたんだなあ・・・。

私は、今、残念ながらアルパカ素材のものはもっていないが

アルパカちゃんに接していると、心が温まる。


Cl醇Pmentine / 上を向いて歩こう (Sukiyaki in French)

2011年04月02日 | Weblog

Cl醇Pmentine / 上を向いて歩こう (Sukiyaki in French) [parts:eNozsDJkhAMmJhMjUyZjU2NGJgszSyPTNEuLdN/U8pQSM6+g/GImGDA2xS4P1czEhKQSAPInEBw=

この数日間、私は、下ばかりむいて、泣いている。

上を向いて、歩くこと・・。

こんな簡単なことができない。

ずっと寝ているので、起きるとフラフラするし・・。

上を向くと、悲観的な感情にならないのだろうだ。

ねていて上を向くのではなく、まっすぐ前をみた状態で

上を向き、胸を広げる。それが、気持ちの上で、ネガティブにならないのだそうだ。

 

4月は、大嫌いである。

心の調子が悪くなる時期だから。

 

がんばってきたことを自分で、ひっくり返す。

それは、丁寧につくりあげたきた、洋服を一瞬にして

破ってしまうこと、みたいな感じ。

こうでもしないと、我慢して、また、がんばり続けるだろうから

自分で、退路を断つみたいな・・・・。

人を傷つけ、自分も傷つく。

そんなことが、重なった数日だった。