Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

学校閉鎖

2008年04月30日 | Weblog
お弁当をもっていったはずの娘が
10時に帰宅した。

学校閉鎖になったそうだ。
麻しんでである。

これから5月9日まで、学校がない。
10日の土曜に私は、娘の学校にいくが、
娘は、月曜日までいかない。
ゴールデンどころかプラチナ・ホリディーに
なるのかな?2週間ちかく、お休みだ。

もともと、今日、予防接種をしに行くはずだったので、
一人で行かせた。

うちの子供たちが幼児だったころ、
新三種混合ワクチンの副作用が取りざたされた。
そして、打つ、打たないは親が選ぶことになっていた。
だから、ワクチンをうっていない人も
結構いたようだ。

私は、副作用をさけたかったので、
任意で、麻しんを別に受けたのだと思う。

3人分の母子手帳を前にすると、
育児の時代は、医者通いもたくさんした。

人も子供も、「子供が元気でおかあさん、よかったね」という。
「おかあさんは、ディフェンスにつとめたのよ」といった。
予防できると思われることは
予防に努めた。

人並みの病気はしたが、大きな病気がないのは、
本当にありがたい。

でも、元気な人、強い人は
弱い人の痛みや苦しみが
わからない・・。
優しくない・・・。
と、時々、思う。



予防接種

2008年04月28日 | Weblog
大学生の娘が
「私、はしか、した?」と聞いてきた。
学校に、申告しないといけないのだそうだ。

今度は、高校生の娘も、
「麻しんで、学級閉鎖になっている学年がある。」といい
学校から、申告の手紙をもらってきた。

今、「麻しん」と「風疹」の予防接種を
するように、すすめられているようだ。

私は、子どもたちが小さいとき、
多分、全部の予防接種をしてきたはずなので、
安心していた。

さっき、次女の母子手帳を見ながら、
申告書に記入していると、
「これまでにかかった病気」のらんに
じぶんで、「風疹」と記入していた。
そのあとで、予防接種もしている。

麻しんのほうは、1回目の義務になっているのは
もちろん、していた。
学校からの手紙によると、小学校入学まえに
任意の期間があった。
それの記入は、母子手帳にはないので
していないようだ。

私は、自他ともに認める記憶魔、記録魔である。
その私でさえ、15年以上まえの
子供の予防接種を、全部、記憶しておらず、
記録に頼るのだが、母子手帳がないとか、
子供が多くて、忘れてしまった場合も、ありがちだと思う。
私も、3人の子どもの注射に保健所や、クリニックに行くのに、
とても忙しい思いをしたものだ。

小学校入学して、やれやれ、母子手帳も、
そんなに、使わなくなった・・・。
と、安心していたら、高校、大学になって、
照会することになった。

女の子なので、風疹は、重要だ。
それに、過去の経験から、子供の病気を
大人になって罹患すると大ごとになったことも
あるので、あなどれない。

ゴールデンウィークの合間、
「忙しい!」といっている子供に
注射にいくように、やいやいといわなければならない。
気ぜわしいことである。




2008年04月27日 | Weblog
昨日の長野聖火リレーを
見ていた。

政治的な意見は、差し控えたい。

私が、自分の感覚の中で、
驚いたのが、「旗」の威力である。
旗は、布とデザインで、象徴する。

その大きさも、威力があるのだなあ~!
と思った。

どこの国旗も大切にするべきものだ。
旗は、人の気持ちがこもっているものだなあ・・。

中国語を学ぶ若者が、旭日旗のシールを
ペンケースにはっていたので、
注意したことがある。
見た目、勢いがあって、かっこいい、
と思ったのかもしれないが、
認識不足だ。

中国にも行くらしいが、気をつけたほうがいいと
思う。

昔は、祝日の日には、国旗を掲げ、
「旗日」といったが、最近は、そんな家は
あまりない。
(奈良町で、祝日に国旗をみたとき、
そんな言葉をふと、思い出した)

布に思いをこめられるのは、
人間の知恵。
自分のものも他のものも
誇りと敬意をもつもの。
それを少しずつ、若い人に
伝えたいものだ。


藤棚

2008年04月26日 | Weblog
昨日、子供の中学の修学旅行説明会にいってきた。
行くまでに、同じく花好きの
ママ友にあい、花談義をしつつ、
学校へはいったのだが、
彼女は、中学に藤棚があることを
しらなかった。
「ここよ」といって一緒にいくと、
藤と白いあやめ?が咲いていた。
「こんなところにあったの・・。」

隣の小学校との境にあり、目立たない。
今、見ごろだ。

藤は、やはり、そんなに派手な花ではない。
でも、中学生諸君、なかなか,いいよ!
と思うのだが、みんなに楽しんでもらう
手立てはないのかな?
エネルギッシュな若者に静かな花は、
目にとまらないのかもしれない。
私も高校のとき、学校の中心にあった、
藤棚の下には、よくいったのだが、
楽しんでいたか?というと、そうでもない・・。


子供たちの修学旅行は、奈良・京都だ。
春日大社は、無理かもしれないが、
「平等院をみてきなさい。」と、薦めている。
(「茶団子をお土産に」といって、
「無理!」と無視されそうです。

2008年04月24日 | Weblog
近所の藤が咲き始めた。


うちの近所の藤は、
野生と人の手によるものと
ふたつある。
私が、藤をしげしげとみたのは、
野生の木である。

桜の木に、薄紫の煙のように
ところどころ、まとわりついて咲いている。

私の高校には、藤棚があった。
子供の学校にも、藤棚がある。
いろんなところに、「藤棚」があると思う。

藤は、「つる」である、というの
野生に生えている花をみて
しみじみと思ったのだった。

とても、強そうだ。
なるほど、この蔓だと、なにか生活に
役にたつものをつくってみたくなることだろう。

今年も、その藤が、すこし、煙ったように
色づいた。
近づいて、手にとってみると、
房の下のほうは、まだ、咲いていないのだった。

私は、その強い藤の蔓が、実は苦手だ。
その生命力が蛇を彷彿とさせて恐ろしいのである。

自転車を走らせていると、あるお宅の庭先に
見事に手入れされて、棚になっている一本の
太い幹になった藤をみかけた。
その木をみたら、なんだか、ほっとした。
上品な大人の女性のようである。

野生の藤のほうも、大人の女性を
感じさせるが、それゆえに怖いのである。

しかし、藤色は、
大好きな色だ。




煙草と白熱球

2008年04月22日 | Weblog
白熱球が、減る傾向だそうだ。

禁煙がすすみ、飲食店でも
禁煙にしないといけないのだそうだ。

蛍光灯の、禁煙の場所で、
男と女がむきあっていて、
お酒を飲んでいても、
全然、美味しそうじゃないし、
恋にも、落ちなさそう・・。


煙草は健康に悪い。
周りの人の健康にも悪い。

百害あって、一利なし!
という人もいるが、
私は、煙草を素敵に吸う人を
何人もしっている。
反対に、とってもいやな吸い方を
する人間も目につくのは
確かだ。

我が家はほとんどが白熱球なので、
夏は暑いし、高熱費も、賢くないだろうが、
全部、蛍光灯になるのは、とてもいやだ。

これらは、いわば、嗜好品。
ムードの問題だ。
・・・と私は思う。

周りに迷惑をかけず、
モラルがあれば、「素敵なもの」なのに、
それが、お上からのお達しでなくなる傾向は、
無粋に突き進んでいるような気がする。
いや、時代に逆らっても、
好むのが、かえって粋になるのかな?



4ケタの数字

2008年04月21日 | Weblog
最近、「4ケタの数字」がたくさん
必要だ。

自分だけのものなら、
秘密の数字を決めればいいのだが、
家族で使うものには、そうはいかない。

先日、家族で、「4ケタの数字」でもめてしまった。

ちょうど、息子の誕生日だったので、
その数字を決めたところ、息子が、
大反発!
で、次には、他の家族が
「自分の誕生日の数字を!」といいだし、
誰かが、反対し・・ともめて、
結局、もともとの数字に落ち着いた。

どうでもいいような、
とても、大事な4ケタの数字。

大事なのは、個人情報に関係なく、
忘れられない数字であること。

縁起をかつぐ、余裕もなく、
いろんな数字が必要な現代。


一発芸

2008年04月20日 | Weblog
昨日、駅前に買い物に行くと、
江ノ島や逗子のさざえや、生しらすが
あったので、うれしくなってしまい、
結構、買い込んでしまった。

そのあと、車の調子が悪いので、
メーカーの工場にいったところ、
そのまま置いてかえることになる・・。
で、担当の人に送ってもらおうと思ったら、
忙しいので、車を貸すから自力でかえるように
いわれ、顔面蒼白で、初めての車を
こわごわ、運転して帰った。

坂が多い街なので、サイドブレーキが
いつもの位置じゃないというのが、とても、
怖かった。
いつもは、危ないので、バイクを通さないようにするのに、
昨日は、「先にいって~!!」と
運転席で、叫んでいた。

とにかく、無事に帰宅できたので
緊張が解けた私は、疲れた子供たち相手に
サザエをつかって、一発芸をしてしまった。

猫にサザエをあてて、
「たいちゃんの耳は、サザエの耳~!!」と
叫ぶのであった・・。

なにか、自分で、テンションをあげたかったみたいだ。

長野五輪の思い出

2008年04月19日 | Weblog
長野でのリレー問題がゆれている。

長野五輪から10年経ったらしい。

開会式の日、子供たちが、学校があった。
私は、どうして、この国際的なイベントを
子供たちにリアルタイムで見せないのだろう?
と思った。
せっかくの機会なのに、もったいないではないか!?
と・・・。

そこで、小学校と幼稚園に「急用がある」と連絡し、
子どもたちを引き取りに行った。
先生方は、心配してくださった。

家に帰って、家族でテレビをみることに
したのだが、子供たちは、疲れてしまって、
みんな、居眠りをしていた。

無駄なことだったのかな?
あれから10年。
我が家が、めざましい国際化をとげたとか、
子ども達のグローバル化が進化したとか、
全然ないが、私が、うちの子供のときより、
外国は、身近にあるかな?とは、思う。
海外は、とくに構えることもなく
旅行にいけるし、外国の人も
ものも日常の中で目にしても
違和感がない。
(経済的に、無理なので、自力でいってください、
というところだ)

私が、海外に旅たつ日、見送りにきてくれた友人に
言わせると、「悲壮感があった」そうだ。
隔世の感は、確かにある。


たくましさ

2008年04月18日 | Weblog
うちの周りは、自然に恵まれている。

もともと、農村だった。
都会育ちだった私は、
いろいろと珍しいことと
出会った。

しかし、自然は、厳しいものだ。
今は、文明のお陰で便利な思いを
しているが、もし、なにもない時代であれば、
この土地で生きていくのは、
私には、難しいことだと思う。

私は、力が欲しいと思う。
それは、なにもなくても、
生きていける力である。

今年は、2回、土筆つみに挑戦した。
つむのは、簡単だったが、そのあとが
面倒だった。
それで、メイン・ディッシュにはならない!