Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

海のYeah!!~湘南の旅~

2009年09月29日 | Weblog
海のYeah!!~湘南の旅~


おひさま、燦々の海辺にすわって、
波うち際をみていると
頭の中には、「鎌倉物語」のメロディーが
鳴り響くのだったが、海の風景がみたくて・・。

湘南海岸につくと
目についたもの。
みなさん、サングラス!
ここでは、サングラスがよく似合う。
私も、サングラス。
わんちゃん。
大型犬が海岸を喜んで
走り回る姿は、みていて、ほほえましい。
元町のわんちゃんと、また、趣がちがう。

それから、外車。
Billsの駐車場は三階建てで
うちの上には、大きさが同じくらいなのだが
品川ナンバーのベンツが・・・。

ベンツは、なんだか、えらそ~。
うちの愛車を押しつぶさないでね、
といいたくなった。

やたら、ベンツが多かった。

気がむいたから、ちょっと湘南海岸まで・・。
と、なりたいとおもいつつ
交通情報をきいて、「いくのは、無理だ」とおもってしまう。
抜け道をマスターしてからでないと、とても行く気にならない。
今回、鎌倉駅をさけて通る道でいったので
ぜんぜん、渋滞しなかった。

こんなに海に近いのに、
うちの子供たちを海水浴に
つれてきてやれなかったことが
とても残念で、もったいなかった。

「あとは、自分で、サーフィンなり、しなさい!」と
いっている。
水上スキーが豪快な音をたてて、気持ちよさそうに
走っていた。

 

七里ガ浜

2009年09月29日 | Weblog
日曜日に、鎌倉・七里ガ浜にいった。

「世界一の朝食」とうわさのBillsが
お目当て。
レオナルド・デカプリオが、通いつめて
太るので、監督から、禁止命令がでたという。

日曜日にいくなんで、もっとも、私が
いやなパターンだが、とりあえず、最初は
夫に車でいってほしかったので・・。

待ち時間が一時間だったので
七里ガ浜の駐車場で開催されていた
マーケットを散策。
レザーのキーホルダーに名前をいれてくれる店があった。
若い男性が、とても感じがよかったし、
お値段もやさしかったので、即、注文。
目の前で、名前を刻印してもらっているところ。

私のでは、ありません。
そのあと、Billsで、名物の
リコッタ・パンケーキと、スクランブルエッグを
シェアして、いただく。
美味しかったデス!
こちらのお値段は、やさしくない。
後から、わんちゃんづれのお嬢さん、二人が
物慣れた様子ではいってきた。
わんちゃんも、ぜんぜん、めだたず、お利口である。

隣の席では、お子さんが、めだっている。

平日の朝、食べにこないといけないな~。
と、つくづくおもった。
車で走っていけたら、気持ちいいだろな~。
というロケーション。
目の前の海をみながら、ゆっくりしたい空間だった。




だみ声

2009年09月26日 | Weblog
あるとき娘が、
「大阪弁はだみ声になりやすいんだって」
といった。

そうかな?
とちょっと考えた。

だみ声の友達の顔が浮かんだ。
たしかに、大阪弁だ。

私も大阪弁のときののどの使い方が
ちがうかもしれない。

「そう・・。
そうかもね。
京都弁だと、だみ声にならないかもね。」

みんながあてはまるわけではない。
私の大阪の友人には、きれいな声や
やさしい大阪弁の人もいる。


今週、月曜日に大船の商店街をあるいていたら
すごく威勢がいい女性のだみ声がきこてきた。

魚屋さんである。
パナバ帽子をかぶって、濃い目のお化粧をしている。
お客さんと掛け合いながら、
魚を売っている。

「魚屋さんは、だみ声でなくっちゃ・・。」

生まれ育った商店街の魚屋さんのだみ声を思い出す。
活気があった、昔のことだ。

そういう風情が、懐かしい。
だみ声は、市場に必要なものである。


声が老ける

2009年09月26日 | Weblog
最近、のどが変だなあ・・。
とおもっていた。

声が低くなったというか、
発声練習をした後のような声が
でなくなった。

合唱の練習やカラオケで
うたったあとはあきらかに
ちがう。

今は、自分ののどがなにかいやだなあ・・。
とおもっている。
のども太って声帯が狭くなったのだろうか?
肥満でひょっとして、無呼吸になっているんじゃないだろうか?

いろんな想像をしている。

****

高校の先生で、美しい声の女性だった。
昨年、友人が
「先生に電話したら、おばあちゃんの声になっていた」という。

そのことばにびっくりした。
おばあちゃんの声になるって、どういうことだろう?
高校のときでも、そんなに若いわけではなかったので
私の頭では、あのまま、お年を召された姿しか想像できない。
声も、あの声で想像する。

声が年をとる、ということ。

その話をきいてから、いろんな人の声が気になった。
確かに、お年をとっても、若々しい声と
若くても、ふけて聞こえる声がある。

そういうわけで、もともと、声に自信がないのに、
これ以上、悪くなるのはいやだなあ・・。
と、おもっているのだ。

今さっき、合唱クラブにいたときのように
鏡をみながら、発声練習の「あ~」という声をだして
びっくりした。
発声すると、のどの筋肉があがる。
私って、のどの筋肉まで、たるんできたの!?
と思った。

最近は、カラオケにいっていないし、
家で、歌もうたっていない。
娘がピアノを休んでいるので
鼻歌さえしない。
友達とわいわい、おしゃべりすることも
少なくなった。

ああ、女の声は、しゃべっていないと年をとるのに
違いない。
うちの母は、お店だし、おしゃべりだし、おまけに唯一のお稽古が
合唱なので、声だけは、若いと思う。

のどの筋トレもしないと、おばちゃんの声になってしまうのね・・。
と思うと、ああ、忙しい。面倒くさい!
とおもってしまった。

ヨガで、いくら首をあげて、のどを伸ばして
若返りに効果があるといわれているポーズを
しても、声まで若く保つのは、努力が必要なのか?
ある意味、生活習慣なのだと思った。

伝統行事は、ご都合主義

2009年09月23日 | Weblog
先日、ご近所さんから、
「Poncoさんは、しきたりとか、
シビアそう・・。」
といわれた。

友人が、初孫ができて
お宮参りについておしゃべりをしたときの
ことである。

「そうなの~。
厳しいの。
いやな姑になりそう・・・・。」
「娘にも、うるさいわよ。
お金を出したら、口もださせてもらうわよ。
お金を出さないのだったら、口もださない。
お好きにどうぞ。っていう。」
自分がしっていることを
子供に一応伝えたい、
という気持ちが強い。
目をつむるときは目をつむろうとおもっている。

行事、しきたりに厳しくて、いけないか?
知ってしまったことは
気持ちいいようにしないと気がすまないだけなのだ。

長女のお宮参りがしきたりどおり
生後30日くらいでいったら、とても寒くて
赤ちゃんの世話も大変だった。
次の子供からは、首がすわり、帰省したときに
したりして、融通は利くのである。

四季の行事のその日の特別な食べ物も
そのまま、いただくことがある。
その日はメニューを考えくてすむから。

日本の気候としきたりのものは、
うまくできている。
それなりの理屈がある。
だから、のっかるのだ。

さて、今日は、秋分の日。
お彼岸であるから、店先には
仏花がならび、おはぎをうっていたりする。

どうしようか・・。
我が家には、仏壇がない。
だから、写真の前にお花をかざることはあっても
お線香をたてることがない。

そういう習慣が我が家の子供たちには
ないので、今日は、早々にクラブやアルバイトに
でかけてしまった。
それでも、帰省すると、姉妹で争うように
お墓参りにはいくので、私は、できるだけの
しつけをしていると、思いたい。

仏壇がないので、お花はやめた。
とりたてて、仏さんを拝むこともないお彼岸。
夕焼けをみながら、あちらが、真西だ、
とおもった。
彼岸花も、律儀に咲いている。

もし、私が、故郷に戻り、
仏壇やお墓参りを好きにできるようになったら、
お彼岸は、忙しくなることだろう。
今は、子供たちを食べさせることが
優先。

でも、もち米をかってきて、おはぎはたくさんつくっても
いいかな?とおもっている。


死んでも許せないこと

2009年09月21日 | Weblog
父が亡くなって、通夜の準備などで
本当に取り込んでいたときのことである。

我が家で、ドラゴンさんとよんでいた
ドラゴン洋服店の奥さんがお参りに
きてくれた。

父が亡くなったのをとても残念がってくれた。
自然、話は、先になくなったドラゴンさんの
思い出話になった。
ドラゴンさんは、豪快なおっちゃんで、
まさしく、ドラゴンであった。

父が、「戦争の前線で闘った人は
やはり、違う。
きつくて強い人や」といつかいっていた。

干支が龍年だったから、
店の名前が「ドラゴン」になったのだったかな?
私には、いつも、面白いことをいってくれたり、
健康のことを教えてくれたり、なにかとかわいがってもらった。
親切で、親戚の頼もしい伯父さんのようだった。

そのドラゴンさんの人徳を懐かしく思い、
惜しい気持ちを話していたときのことである。
奥さんは、屹と、目をつりあげ
「なにを、なにを・・。
死んでも、許されへんわ!」とつぶやいた。

なにか、奥さんは、腹がたつことを
思い出したのだろう。

穏やかな口調ながら、死んだ夫が
許せない!と、つぶやいた。
その勢いに、うちの家族は、はっとして
口をつぐんだ。

取り込んでいたこともあって、
奥さんの話をきいてあげることも
できなかった。
奥さんが帰ったあと、
妹と
「なにがあったんだろう?
よっぽど、腹に据えかねることがあったんやね」と
いいあった。

料理上手で、賢明で温厚な賢夫人の
あの奥さんの怒りと哀しみ。

なんだか、とても印象的で
その話をきいてみたい気がしてならない。

人に話しているうちに、「許せる気持ち」に
ならないだろうか?
笑い話にならないだろうか?
あの年齢で、許せないことがあるのは
つらいことだ。
相手は、すでに、この世の人ではない。
詫びてくれて、気がすむことは、
永遠にないのである。

他人からみたら、どうして、そんなことで
そんなに怒りがでるのか、わからないことが
男と女の間ではある。
それは、男と女だからか?
夫と妻だからか?
家族だからか?
親と子だからか?

他人だったら、笑えるのに、
家族だから、許せない。

そんなことが、この世にはたくさんある。
おこりんぼうの私は、瞬間湯沸かし器のように
一瞬で、怒りでつらくなる。
許せば、楽になる。
と、えらい人は説くけれども、
未熟者はぜんぜん、許せない。

死ぬまでに、楽な性格になっているかなあ?





まねき猫

2009年09月20日 | Weblog
私は、猫が好きなので
家には、猫の飾り物雑貨がいくつかある。

結婚して、最初にかったのが、
招き猫。

地元から離れた、厳しい生活になり、
お金がないことがつらくて、つらくてたまらなかった。

そんなとき、横浜ルミネの雑貨店でふと、目についたのが
金運アップのまねき猫。
そんなに高いものではないので
すがるように買った。

あれから、○○年。

その猫さんの顔はよごれ、
先日、本物の猫のたい吉が棚にあがったときに
あたって、下へおち、腕がくだけてしまった。
抱えていたお金も、いつのまにか、どこかへいった。

だから、いやだなあ・・。
とおもっていた。
捨てるに捨てられない。

貧しくて、
この子をみるたびに、ああ、お金がたまればいいのに・・。
と願った。

今だって、たいしてお金持ちにはなっていないが、
ここまで、家族が無事に生活できた。
子供たちに、苦しいなかから、
習い事もさせられたし、学校にもいかせたし、
すむ場所もある。

それで、なんとか、同じものがほしいなあ・・・。
と、漠然と思いながら、欠けた猫を眺めていた。

****

先週、横須賀のどぶ板通りの入り口の
お土産やさんのウィンドーの前を通ったら、
たくさんの日本情緒の置物の中に
同じ招き猫があった。
「あっ!」といって
即、店にはいって、「あの招き猫、お願いします」といっていた。
値段も、○○年まえもこれくらいだったような・・・。
私が、瞬時に購入を決めるのは
奇跡的である。

「○○年まえのすごくお金がないとき、同じのをかったんです。」
というと、御年70歳くらいの店主のおじさんが
「あら、そんなに、古くからあるの?
私より、古いね~」

そのユーモアに、ほっとした。
このお店で買えることになって
よかった、と思った。
「これをみて、がんばって、やっと三崎のマグロが
かえるようになったんです。
(たかだか、1000円の柵ですが・・。
○○年前は、1000円のマグロなんて、買えなかった)
割れたから、探していたんです!」と、そういう話をしながら
たくさんの置物から探して、包んでくれるのを待った。

どこにでもある、招き猫である。
新しい猫さんを置いたら
顔が白くて、神々しい。

前の猫さんの薄汚れたこと。
本当にありがとうね。

この猫さんは、私を支えてくれたものの
ひとつだったことは、間違いない。
何とか、きれいにしないくちゃね・・。
とおもいつつ、まだ、そのままにしてしまっている。
元気があるとき、この猫さんに第二の命をあたえよう、
とおもっている。





懐かしのムカデ競争

2009年09月19日 | Weblog
私の高校の体育祭には
伝統の競技や演目がいくつかあった。

その中で、「ムカデ競争」という競技が
ある。

クラス全員の足が、ロープにつながれ
一斉に前に進むのだから、
息があわないと、転倒あり、足を引きずられて
痛い目あり・・。
と大変な競技である。

背の順にならぶが、男女、混合。
少しでも早くゴールするためには
列を短くするために、前の人と
隙間をつめるので
前の男子の背中に胸をくっつけることになる。
男子は男子で、女子を挟んで二人前の男子の肩に手をおいて
前の女子の髪が顔のあたりに
後ろの女子の胸が背中に、という
高校生にしては、ドキドキのうれしはずかしの競技だった。

女子としては、はずかしいし、いやなのだが、
朝練習などして、息をあわせ、リズムをあわせるのに
必死になっているうちに、恥ずかしいなどという人はいなくなる。
全員参加だった。
この競技をボイコットしたという人の話はきいたことがない。

*****

このムカデ競争を、母校か遠く離れた
息子の高校の体育祭で、今日、お目にかかった。
懐かしかった!!

足元は、ストッキングなので、あんなに痛い目はしなくていいし、
女子は女子で固まっていたから
恥ずかしいさも半減。

でも、スタート前は、リズムとり係りが、大声で、手をたたいたりして
テンポをとっている。みんなの士気を高めている女子もいた。

緊張のスタートのピストルがなり、
うちの息子のチームが、私のほうにちかづいてきた。

「ああ、私と同じ経験をしているのね。
みんなと息をあわせて!
転ぶといたいんだよ。
がんばれ!がんばれ!」とビデオを撮りながら応援していた。

息子はどこにいるか、わからないから、みんなの顔を順番にとっていた。

あれっ!?

あの笑いながら、大声をあげて、列にくわわらず、
横で、声を張り上げているのは・・・・。

「ムカデに参加していないのかぁ~!!」
と、突っ込みをいれたくなった・・・。
リズムをとる音頭をとる担当のようだった。
でも、単に楽しんでいるだけのような気がする・・・。


ムカデに参加していないとは、さすが、協調性がないわが息子。
ダンスも、いい加減だから、センターからはずされたらしい。
今回も、ひょっとして、あまりの協調性のなさに、戦隊からはずされた?

ムカデ競争をみて、あまりの懐かしさにうるうるしていた
お母さんは、私くらいじゃないだろうか?


あるチームのムカデは、2回、足並みがそろわず、ストップした。
足元をひっぱられられ、倒れる人もいるなか、
形をととのえ、息をあわせ、リズムをとりながら、
ゆっくり進む。

それは、なにか、つまずくことがあっても
忍耐づよく、すすむ、
ということを学べるように思えた。

自分は、当時、学んでいないけれども~。

あの競技の目的はなにかな?
クラスの調和?

裏地でつくった衣装での応援合戦もあり、
それもまた、私の高校時代と同じ。
不器用なのに、裏地で、ピンクの衣装をつくったな。
私は、とても苦手で、いやだった。
でも、そういうことがいい思い出。

息子は後夜祭で、まだ帰宅しない。

まさか、今はもう、滅亡したとおもわれる
ファイアーストームなんでやっているのだろうか?
フォークダンスとか、あるのかなあ?
興味津々。

パンフレットに「後夜祭は、本校生徒のみです」とかかれて
あって、「な~んだ、私、みられないの~」とおもったが
今、考えたら、他校の生徒はお断りってことかな?

この学校の大先輩の有名政治家からの
祝電もあった。
この自由な校風は、○○温泉とよばれた私の母校に似ている。
そうそう、私は帰り、ガソリンスタンドで、ポリタンク入りの本物の温泉をかった。

息子を家で温泉に入れて上げられる。

しかし、本当に○○高校は○○温泉のような気がしてきた。

ガソリンスタンドのおじさんと話しをしたら、
息子さんもその高校らしいが
「もう、勉強しないで、一浪して、○○大学くらいしか
いけなかったよ。」
こういう話、いっぱい、きいた、ウン十年前。

来月、ウン十前に、一緒にムカデ競争した同級生たちと
再会できるかな?




薫さんとみゆきさん

2009年09月16日 | Weblog
今日、日本の新しいファーストレディが
誕生する。

幸夫人って、本当に魅力がある女性だ。

鳩山家の女性たちの歴史が
テレビで、特集されるたび、
「ああ、そうだ、そうだ。」とおもうことがある。


私の人生において、最も重要な関係の女性
のうち、ふたりが、鳩山家の女性と同じ名前だ。

薫さんとみゆきさん。

薫さんは、完全に「鳩山 薫」夫人に
ちなんで、名づけられたそうだ。
賢夫人として、名高かった薫夫人から
名前を決めたのだという。
最近、薫夫人の写真をみられて
納得のたたずまいの女性である。


みゆきさんは、鳩山家とは、ぜんぜん、関係ないが、
我が家や私を支えてくれる、大きな力。

私が、もし、無人島につれていくとしたら、
誰かいい?
ときかれたら、この二人が、最優先。

著名な人と同じ名前であることに
たいして意味を感じなかったが、
あやかりたい、という、小市民の
ささやかな希望。
年をとったせいか、わかる気持ちになってきた。
幸夫人のご活躍を楽しみにしている。

そうそう、この春は「ゆり」さんが、強運だったと思う。
愛子さまが、飼われている、雑種の犬が
「ゆり」ちゃんなのだという。

こういうことでも、うれしいことは
うれしく思おう。



軍港

2009年09月15日 | Weblog
横須賀は、海軍の街。
最近、話題の軍港クルージング。
この写真の手前の白い船がそう。

これから出航するところだった。
この写真では、わかりにくいが
この中にも、軍艦が映っている。
何隻も映っている。
写真が悪いせいもあるが
目立たないのは、さすが、軍艦。

目立っては危険!
この単純なことが
写真にとって初めてわかった。

*****

最近、このクルージングにいきたい自分を
不思議に思っていた。

反戦の気持ちはあるはずなのに
なぜか、心惹かれる。
「どうして?」
と自問自答する日々だった。

今日、ふと閃いた答えがあった。
そうか・・・。
ちょっと、納得した。

ここで、うまくいえないが
ひとことでいうなら
私には、覇気が必要なときはあるのに
体力、気力がない。
攻撃されたら、されっぱなし。
はねかえす強さがなくて
どうしていいのか?
悲しくてなくしかないときがある。

そうすると、窮鼠猫をかむ。
みたいな・・・。
交感神経が優位になってしまう状態に。
みたいな・・・・。

それは、つらいことだ。

大きくて、強いものを求めているのかもしれない、
と思う。

自分が弱いから。

いつか、近いうちに、軍港クルージングにいきたい。

軍艦が呼んでいる。