Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

懐かしのハロウィン 2

2007年10月31日 | Weblog
今朝、末の息子が、探しものが見つからないので、
私のせいにして、「インネン」をつけて、すごんだ・・・。
「この子は、将来、どうなるのだろう・・。
外で、本当の悪人になったら、どうしよう・・。」
と、涙にくれた朝だった・・。

さきほど、ハロウィンや、小さいころの写真をみせたら、
「かわいい~。」というので、
「この写真をばらまくぞ!」と脅したら、
「いいよ! 好感度、上がるだけだから!」といって、
去ってしまった。
よって、好感度があがるか、どうか、試してみることにする。

姉が、2人とも、セーラー・ムーン。
そして、見上げる、末っ子の弟。
この力関係は、今も続いているような気がする。

私も、この頃は、「母親」をがんばっていたな~。
どうして、あんなに、がんばれたのだろう?
子供が、可愛いかったから。
そんな、単純なことを、長い間、忘れていた。
たまには、昔の写真をみると楽しい。

懐かしのハロウィン 1

2007年10月31日 | Weblog
ハロウィンのことを書いたら、
どうしても、あのにぎやかだったイベントの
写真を見たくなって、探した。

ちょうど、13年前の10月31日。
セーラー・ムーンがたくさんいた。
たぶん、5人以上いた。
(正確には、セーラー・ジュピターかもしれない)
ディズニーのキャクターや、お化けも・・。
「ぬり壁」がいたことも・・。
ママたちの手作りの衣装もあった。
カラー・ごみ袋の「工作派」から、
本格的なミシンでのコスチュームを作った人も。
私は、一回だけ、マントに星のスパンコールを縫いつけた。
それは、なんといったかな?
セーラー・ムーンにでてくる「ナイト」のつもりだった。

ハロウィン

2007年10月31日 | Weblog
今日は、ハロウィンだ。
このお祭りをしって、もう、20年たつ。

スコットランドに降り立ったのが、9月中旬。
そして、まもなく、街のあちこちに
日本ではみたこともない、大きなオレンジの
かぼちゃが、目、口をくりぬかれ飾られていた。

日本に帰ったあと、同じ住宅の子供たちと盛大に、仮装する
イベントをした。
アメリカ帰りの人の提案だった。
あの頃は、「セラームーン」の仮装を
多くの女の子がしたがった。
アメリカに住んでいた身内から、ハローウィンの人形が
送られたりして、今ほど有名でなかった頃に、
結構楽しんだ。


この日は、お菓子を用意するのが、大変だった。
近所の子供たちも、うちの子も、
夕食は、お菓子になった。

先日、私は、子供の部屋で、すごいコスチュームをみつけた。
フィットネスクラブでも、仮装している人たちがいた。
楽しいものだ。

今年、我が家は、プラスティックのジャック・オウ・ランターンを飾ってあるだけだ。
実は、あの頭だけ飾るのは、ちょっと怖い。

 ハロウィンは、クリスマスと同じく、
宗教に関係なく、日本の風物詩になってきている。
私も、本当は、ちょっと、「仮装」してみたい・・・。
私が子供のころは、こんなイベントは、なかったから。
家のどこかに、子供のセーラ・ムーンの写真と
王冠だけつけた私の写真もあるはずだ。


ランチ・デート

2007年10月30日 | Weblog
今日は、ランチ・デートした。

指定されたフレンチのレストランは、
私のような主婦が、まったく知らない場所だった。

道はいつも、通っているのに、
2階にあって、知らないと入れないような場所だし、
表のメニューも、絶対、一人では入る気がしないお値段だった。

「予算を決めてあったのに、
このお店は、大丈夫なんだろうか?」
と思った。

横浜・関内は、大阪でいうと、
淀屋橋の風情がある、とやっと思い当たった。
歴史とビジネス街。
今と昔が交差する街。
そんな、仕事をする人たちの昼休みに、専業主婦の私は、
「ビジネス・ランチ」という、そのお店にとっては、特別の
サービスメニューで、いい時間をすごさせていただいた。

待ち合わせより、早めについた私は、
予約席に椅子をひいて、座らせてもらい、
洒落た設えの店内と窓からの景色、
そして、ゆったりと流れる音楽に目を瞑ると
ほんわかといい気持ちになり、眠ってはいなかったが、
陽だまりのような幸せな遠い思い出を
心の中で転がしてみたり、
今の状況は、一体なんだろう?
と思ったりしていた。

「お待たせしました」と、待ち人がきて、
美味しいランチが始まった。
メインは、金目鯛のポアロ。
普段は見た目が苦手な金目鯛は、とても美味しかった。

今日の午後1時は、シンデレラが帰る12時と同じ。
楽しい時間が終わる時間。

私たちは、「じゃあ、またね!」といって別れた。
違った街にみえていたのに、いつもの街に
戻った瞬間。

私の「いい男」の条件は、
「その人と一緒にいたら、美味しいものと楽しい話ができる人」だが、
女性もそうだと、確信した。
今日のデートのお相手は、とても、「いい女」だった。

またのデートが楽しみになった。

人と・・。

2007年10月29日 | Weblog
人は、誰かを好きになると
幸せな気分になる。

その人に、大事にされると
もっと幸せになる。

もし、その人が、自分の気持ちに
応えてくれなかったら、ちょっと寂しい。

その人が、自分のことを
嫌いみたい・・。
と思うと、悲しい。

人は、誰かに、好きになってもらうと
うれしい。
その人のことが好きだと
もっとうれしい。

その人が嫌いな人だと
ちょっと、いやだな・・。
と思う。

誰かのことが好きだった。
その人も、自分を大事にしてくれた。
だから、幸せが、もっともっと、
幸せになれると思った。

でも、
だんだん、そうじゃなくなったとき
だんだん、幸せでなくなった。

その人を好きでなくなったとき
少し、楽になる。
嫌いになっていったら、もっと楽になる。
「さよなら・・。」といって、
お別れできたら、幸せだ。

でも、そんなに簡単に別れられるものじゃないから
どこかで、つながっている人や
形だけでもつながっている人とは
どうしても、その人の気配なり、姿なりを
目の当たりにすることになる。

その人を好きになれない自分が、苦しい。
そういうとき、つらいな・・。っておもう。

これは、男女のことだけじゃなく、
会社でも、家庭でも、学校でもあることだ。
大人でも、子供でもあることだ。

自分が、「会いたくない」と思う人と
会わずにすんだら、どんなに楽だろう。

でも、そういう状況は、心にきついけれど、
受け入れることができたら、いいな~。
そんな、人間になれたら、どんなに幸せだろう。
・・・と思う。

英国の石鹸屋さん

2007年10月28日 | Weblog
昨夜は、ローズ・ウォーターのアロマキャンドルを
つけているうちに、寝てしまった。

「CRABTREE&EVELYN」のもので、
アメリカ土産だ。
でも、もともとは、英国のもので
「英国の石鹸屋さん」と私はよぶときがある。
(こうよぶのは、「Tree」と「Eve」の正しい発音ができないからである)

ここの製品が、お気に入りである。

そして、昨日のように、知らないうちに
寝てしまって、
夢で、懐かしい人に逢えたりすると、
「やはり、すごい!」と思ってしまう。
エッセンシャル・オイルも、大好きだ。
うちの街のショップには、オイルは売っていないので、
どうしようか、と思っている。

はじめは、英国の街で店構えにひかれて、
なにも知らずに入ってみた。
そのラッピングがすばらしかった。
残念ながら、英国以外で、そのリボン使いは、
見られないが・・。
どういうわけか、アメリカにいったときも、
気になって知らずに入ってみたお店が、
「英国の石鹸屋さん」なのだ。
西海岸でも、東海岸でもなのだから、
よほど、好きみたいだ。
そして、私の住む街のデパートに
たまたま、ショップができたので、
そのデパートにいくと、必ず、
香りだけは楽しみに行く。


家で、毎日毎回、使っているわけではないが、
なにか、思うところがあるときに使うと、
ちゃんと気持ちに応えてくれる、私にとっては、
ありがたいもの。
昨日は、ちょっといやな気分だったので、
キャンドルをつけているうちに、
夢の中へとなったのである。

できたら、ずっとなにかしらは、
生活の中にあって愛用していきたいグッズである。


花束

2007年10月26日 | Weblog
日曜日に、娘のピアノの発表会があった。
お客様からお花をいただいたので、
我が家は、今、とても華やかだ。
とても、うれしい。
一日でも、長く、この気持ちを保ちたい。
猫が、食べてしまうので、置場所に、四苦八苦
しているが、お花の手入れをしているときは、
本当に幸せだ。

今回、先生へ贈るお花を私が手配したので、
花屋さんと連絡をとることが多かった。
この花屋さんを、信頼している。
前日、注文の内容が変更になったのだが、
うまく対応してくれた。

私は、花屋さんを選ぶ。
贈る用途、相手さまの性別、年齢、
好み、イメージなど、できるだけ、伝えて、
うまく表現してくれたフローリストに出会えたときは、
とても、Happyになる。
また、贈った相手から、
「好きな色でした。
 一番、長持ちして、いまだに楽しんでいます」
と、ずいぶんたった後、コメントをいただいたときは、
あれこれ、考えた甲斐があったなあ・・。
と、ご褒美をいただいた気分だった。

でも、ここまで、くるのに、長かった。

昔、まだ、若くて貧しかったころ。
知り合いが、コンサートに出演するというので、
お花を、と思ったのだが、予算がなかった。
駅前の花屋さんで、予算をいったところ、
「そんな、金額ではできません」と無愛想に言われてしまい、
本当に、情けない思いをした。
今のように、小さな金額で、洒落たブーケなどなかった時代。

先日、なにかで
名前に見覚えのある店名にであった。
私が、意気消沈した花屋さんだった。
街では、大きな花屋さんだが、
私が、あのお店で、花を注文することは、もう、ないだろう。

「花」は、贈る人、もらう人、それをつなぐ人も、
気持ちをこめたものでないといいものにならないと思う。
今回、いただいた花たちは、大きい、小さい、関係なく、
とても、気持ちのいい花たちばかりだ。
それが、私は、うれしいのである。
でも、私自身は、花をいただく機会に恵まれない・・・・。
「裏方」が多いからかな・・。

女子学生 靴下事情

2007年10月17日 | Weblog
ひところ、「ルーズソックス」という
靴下が、女子学生の間で、大流行。
なかには、「スーパー・ルーズ」というツワモノも
いた。

「あれは、とっても重いのよ。
洗濯して、小物干しに、ぶら下げると、
バランスをとるのが大変なの・・。
スーパー・ルーズのときなんて、
もっと大変、片方を反対側にぶら下げないと、
小物干しが、ひっくり返りそうなの・・。
それに、乾かないから、冬は大変・・・。」

そんな苦労が、ルーズ女子学生の母親にはあった。

今、主流は、紺か、黒のハイソックになった。
「あれは、大変よ。
まず、主人のと区別がつかなくて、
娘の引き出しに、主人の靴下をしまって、
怒られるの。
それに、何足か、いっぺんにだされたら、
洗濯をして、たたむとき、
黒ばっかりなのに、柄は、それぞれはいっているから、
ペアにしないといけないでしょう?
まるで、トランプの神経衰弱をしているみたいに、
『ワン・ペア! ツー・ペア!』って、
いいながら、たたむのよ。
目に悪いわ・・・。」

そんな苦労が、ブラック女子学生の母親にはあるようだ。

さて、ルーズ女子学生も、そろそろ、ママになっている時代。
すぐ、ブラック女子学生も、追いつくだろう。
彼女たちの娘が、学生になるころには、
どんな、靴下が流行るのだろう?

とても、楽しみだ。
おばあちゃんに、洗濯とか、家事を任せないように、
祈ろう。

歩速

2007年10月16日 | Weblog
新しくビデオカメラを買った。
使いかたを全部マスターするのに、
時間がかかりそうだ・・。
でも、機能は、満載なので、家人は、どんどん、
パソコンにインストールを始める。
「待って!待って!私は、理解していないのに、
『次へ』をクリックしたくない!
めくら判を押さされているようで、いやだ!」

子供の半年分の携帯代を検証して、びっくり。
携帯会社へ電話して、対策を考える。
未成年の使用したお金が、知らないうちに、
どんどん、親の口座から引き落としされるのって、
変じゃない?
「待って!待って!もっと、いい方法があるはず・・」

私なりに、歩みはしている。
人の歩く速度は違う。
都会の雑踏や、高速でコンピューターを使っている人たちからみれば、
私は動いていないのと同じ速度なんだろう。
携帯のことも、パソコンのことも新しい電子機器のことも
なれた人からみたら、私の歩みは遅すぎて、じれったいから、
突き飛ばしたくなるんだろう。

文明の進歩は、大事だ。
でも、急ぎ足で、落としてきたものは、誰が、拾うの?

私も、かつては、歩く速度が日本一早い街を歩いていた。
ちゃんと流れにのって。
今も、その街にいくと、早足になる。

でも、自分ひとりなら、早く歩こうが、
遅く歩こうがいいけれども、
一緒にいる人の「歩速」をまったく無視する人間に
なりたくない。
だれかと一緒なら、少しの時間なんだから、
同じ歩速で歩きたい。
それが、「余裕」とか、「優しさ」というものじゃないのかなあ?
・・・と思う。

馬車道の名残

2007年10月12日 | Weblog
馬車道十番館で、「牛馬飲水」の文字を見つけた。
馬車を牽いた馬のための水のみ場が、そのまま残っているのだろうか?
想像したら、おかしくて、昼休みのサラリーマンが、
食事をとりに、急ぐ中、私は観光者気分で、携帯で写真をとってしまった。
これまで、目につかなった。

周りは、すっかり現代の街なのだが、そこだけ、時代がとまったようだった。