Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

Poncoという名前

2008年10月20日 | Weblog
そうそう・・・。

小学校3年のときに
出あったK子ちゃん。

私と同じ名前である。

相手を呼ぶのに、自分の名前を呼ぶことになる。

それで、あだ名をつけあった。
その名前が、「ぽんこ」なのである。
私は、丸顔で、豆狸のようだからだそうだ。

それ以来、私は「Ponco」と呼ばれている。



柿の思い出

2008年10月20日 | Weblog
子供のとき、友達のお母さんに
連れられて、柿の名産地、
奈良・五条にいったことがある。

友達のお母さんの故郷なのだ。
柿の収穫の時期で
農家の軒先に大きな
収穫した柿をおく柵(?)
があった。
わらぶき屋根のように
大きな柵である。

そのおばさんは、園芸も得意で
大阪の下町のごみごみした街中で、
見事な大輪の菊を咲かせていた。

おばさんと出あったのは、私が
小学校3年のとき。
K子ちゃんと同じクラスになり、
意気投合。
土日になると、商店街のK子ちゃんの
大きなお店にいった。
友達の家にお泊りしたのは、その家が初めてだった。

K子ちゃんは、低学年のときにお父さんを亡くした。
あの頃の「母子家庭」という響きは、本当に悲しかった。
しっかりものの、おばさんは、しっかりとK子ちゃんと
弟さんを育て、お店も守り、
K子ちゃんの3人の子供たちも、育てた。

私が、帰省したおり、商店街であうと、これから、保育園に
迎えにいくときだったりして、
「こんな年になって、子供育てるの、しんどいわ~」と
いっていた。
本当に、しんどかったことだろう。

40歳前に寡婦になり、
大店をひきつぎ、なさぬ仲の子ども達、
自分の子ども達、孫たち。
すべて、引き受けたのに、いつも
店先に静かにすわっていた。
おしゃべりすると、とても面白いのに、
たたずまいは、静かな人だった。

****

土曜日、姑に電話をいれたら、
泣いていた。
K子ちゃんのお母さんが、先週なくなり、
姑は、お葬式にいった。

その前から、入院していて、姑と仲がよかったので
意識が朦朧としていても、姑がお見舞いにいくと
「ありがとう・・。」と喜んでくれたそうだ。

この2週間、私の親世代の方の訃報が続く。

しかし、私の生活にその不幸の影はない。
子供の学校や、私の同窓会のことで
頭がいっぱい。
もし、地元にいて、お葬式にいったら、
痛い哀しみを味わうだろうが、
「亡くなった」ということを
体にしみこませることだろう。

この目でみていない、ということは
嘘のようで、帰省したら、いつも通る
店先に、静かに座っているおばさんの
姿を探すに違いない。

嘆く姑を励ますために、冗談をいい、
たしなめられ・・・。

受話器を握って、涙を流している私であった。


渋柿

2008年10月20日 | Weblog
柿が色づき、
美味しいそうな季節である。

これは、いただきものの柿。
2年ぶりにいただいた。

美味しそうだが、
美味しくない!
だって、これは、渋柿だから。

皮をむき、糸で括って、お日様に干す。

2年前、初めてつくってみた。
お日様の光は、渋を熟成し
甘いものに変える。

お店でうっているようないいものに
ならないから、私しか、食べなかったが、
私は、手塩にかけた渋柿を
愛おしく、大事に食べたのだった。

早く、皮をむいてほさなくては・・・。
とあせっている。