Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

心が折れる

2011年07月31日 | Weblog
最近「心が折れる」という言い方をよく聞く。
以前は、こんな表現しなかったような・・・。
それで、「心が折れる」とか「心が折れそうになった」
状態をなんていっていたかな?
とずっと気になっていた。
 
言葉は、いきているし、時代とともに
流動的だから、この言い方も当たり前になるのかもしれないが・・。
 
あるとき、テレビで、誰かが「くじける」と行った瞬間
「そうだ!『挫ける』って、昔はいわなかったっけ?」とおもった。
 
あきらめる Give up より、もうすこし
自分ではなんとかならない感じ。
そう、「くじける」
 
たいてい「あきらめる」で事足りるような気もするが
がんばっていたのに、能動的にやめるのが
「あきらめる」なら受動的にやめざるをえないのが
「くじける」状態かな?
それが「挫折」
 
心は、折れるみたいに一直線じゃないとおもう。
もっと、広がりがありイメージがする。
なにかの漫画の中で「心が折れる」っていっているのかなあ?
今日、子供がみていたので一緒にアニメ「ワンピース」をみたら
そんな表現をつかっていそうだった。
 
「折れる」という言い方が、あまり好きではない。
「挫折」からは、たいてい、乗り越えていくイメージがあるけれども
「心が折れる」って、なにか救いようなないから。
 
この表現は、日本語の中で、定着するのだろうか?
 
 

クラブの駐車場

2011年07月30日 | Weblog
久しぶりに土曜日のヨガにいった。
車でいったら、案の定、クラブの駐車場は
満車で、いつもとめる場外パーキングにいくと
満車じゃないが、バックでいれる場所が、空いていない。
住宅に接しているところは、前向き駐車なので
いり口からまっすぐいれられるところしか、
私は自信がない。
先日も、その隣ならなんとかなるだろうと
とめたら、出すとき、冷や汗もの。
泣きたくなってしまった。
 
もともと狭いパーキングに前向き駐車は、
すごく苦手。
それで、仕方ないからもっと遠い場外駐車場へ・・・・。
 
ここはさすがにすいていた。
「確か、駐車場代、高かったな・・。」と注意して
2時間半ででてきたのに、いつもの倍。
う~む・・。
割引券をもらう手続きも面倒だし
高いし、遠いし、いいことないなあ・・・・。
 
クラブにいくんだから、自転車か歩いていけばよさそうなものだが
そのあと、お風呂にはいって、買い物にいくことを考えたら
暑いときに、できるだけ、疲れたくない・・。
と、自分を甘やかせている。
 
買い物にいって、寝具やら、かごいっぱいかったので
車じゃないと無理だったし、帰宅して
それなりに疲れて、寝てしまった・・・。
やせるためじゃなくて、ストレッチとか体調維持が
最近、ほとんどなので、なんだか、会費が「浪費」のような気もするが・・。
 
うちのお姑さんは、毎日、歩いてプールへいき
1キロ弱泳いで、スーパーによって帰る。
そんな生活を20年近くして、今は80歳を越えているのに
元気でスマート。
 
そういう元気なお年寄りを目指していたが
私は、無理みたい・・・。
友人にあうとそちらも車できたときき、ほっとしたりする。
 
土曜日のヨガの先生は好きなのだが、駐車場、困るなあ・・・。
(ここのクラブ、開設いらい、駐車場はずっと困っているんだけど)

男の子の成長

2011年07月30日 | Weblog
もうすぐ、甲子園の季節。
 
今日は、神奈川県の高校野球
決勝をテレビでみていた。
 
うちのお隣の息子さんの高校が
ベスト4にはいった。
小さいときから息子とよく
遊んでいた。
高校の野球部にはいって
ぐんぐんと背がのび、
今は、息子は完全に抜かされている。
 
高校野球、甲子園には、特別な思い入れがある。
関西人であり、甲子園によくいっていたこと。
父の母校の応援もいったし
自分の母校も昔むかしは、でていた。
母校の野球部は、特別扱いだった。
高野連の幹部も我が高の先輩だった時期がある。
 
甲子園球児は、特別なものだ。
タカラジェンヌとともに
身近にいそうでいない、特別な人。
 
今回、横浜創学館は、準決勝で優勝の横浜に惜敗した。
お隣のTくんは、2年生で、試合にはでていなかったようだが
知り合いの子が、野球部に在籍していて甲子園にでるのは
今までの人生でないので
私は、帰省の予定がなかったが
「もし、Tちゃんの学校が甲子園にでたら、お母さんは応援にいく!」宣言をした。
来年もそうだ。
下の弟君も楽しみだ。
 
神奈川県の野球のレベルとは比べ物になならいけれども
うちの息子も春の大会で、県ベスト4の成績だった。
お隣通同士の幼馴染が県大会ベスト4(3位)って
すごくない?こっそり、横断幕、掲げたいよね?
って。メールで、ママにお祝いを伝えた。
普段、外であうと
「洗濯、大変だよね~。」って励ましていた仲。
お母さんたちは、くたくただ。
 
うちの息子は今、スポーツを引退したが
小さいときからしっていて、性格もいい子が
がんばって結果を出しているって
こちらも、感動をもらえるし、明るいニュースだとおもう。
 
甲子園へ道は、負けた昨日から始まった。
「おばちゃんをアルプススタンドで応援させて~!!」
この1年、とても楽しみだ。
Tちゃん がんばれ~!!って
朝、走っていく背中に心の中で声をかける。
ただし、この子達、小さいとき、結構、こまったいたずらもしてくれたものだ。
武勇伝、武勇伝・・・。
 

同期会 2

2011年07月24日 | Weblog
関東に住む同期は、結構いることが
数年前、大阪の本家の幹事をして
名簿をみたことからわかってきた。
 
もともと、親しい友達とは、交流があるので
わざわざ夜にあうこともないわけで
私は、一体、なにのために、さほど親しくもなかった
「同期」というだけの人たちに会いにいくのだろうか?
と自問自答してみる。
どうやって、お話しすればいいのだろう?と
行く電車のなかで、どきどきする。
 
数年前から、自分で、こちらの学生時代つながりの
人たちと交流をしたくて、幹事をかってでて
会をしたことがあった。
先輩も後輩もまじめて、それはそれでもりあがり
楽しかった。
 
うちの高校は、「期」がとても大事で、先輩は、兄姉
後輩は、弟妹みたいな縦社会が存在する。
では、同期は?というと、
同じ年の、「きょうだい」「みうち」感がある。
同級生というのは、いいものだ。
 
昨年、同期の男性が、名乗りをあげてくれて
けっこう大掛かりに手間をかけて、連絡をとってくださった。
そのへんの行動力は、主婦の私には、真似のできないこと。
そして、大盛り上がりの会になったのである。
クラスが一緒になったことがなくても話しているうちに
「ああ、隣のクラスね。廊下でみかけたような気がする」
「○○君、しっている?」
「○○さんとつきあっていたんだよ」「うっそ~!!」
だんだんと、気分は、高校生のきゃぴきゃぴしたものになっていく。
 
修学旅行の思い出。
それぞれに、忘れがたいことがあった。
「天井をやぶいてしまって、担任におこられた」
「門限におくれて、担任に殴られた」
 
私たち、女子は、「え~、そんなことがあったの。知らんかったわ」
私たちも、それぞれ、自分の青春の「大事件」で、ほかの事件は
眼中になかったのである。(笑)
 
現在は、いい大人で、ほとんどが、子供がいる父親、母親であるから
子供のことで、頭がいたい話もすると
アドバイスしてくれたりして、すごくうれしかったりするし
また、自分が経験したことを伝えると
「そうか~」とうなずいてくれたり。
 
大阪市内の限られた地域から入学した高校の校舎ですごした仲間。
いろいろな事情で、今は、首都圏にいる。
 
私は、大阪と大阪の仲間が恋しくて、同窓会には
ほとんど参加してきた。
交通費、家の段取り。
すごい気合いとエネルギー。
大阪の同窓会に参加するには、
結構、大変だけど、がんばってきた。
その分、とても楽しかった。
 
そんな同じ思いをしてきた仲間が、まあ、少し離れているけれども
東日本にいる。
大阪とは、空気がちがうなあ。というのはある。
人数が少ないし、みんなのカラーは似ている。
男性は、仕事で、東京勤務なので、東京のビジネスマンである。
今、出世もして、公私ともに、充実している人たちが多いと思う。
女性は、同じく、首都圏で働くご主人について、こちらで生活している
というパターン。
環境が変わるなかで、子育てをして、仕事もして、精一杯いきてきた。
 
地元ではいないので「家業をついだ」とか「自営」「教師」が少ないのが特徴かもしれない。
海外出張で、「時差がきつくなってきた」「単身赴任なんだよ」
も、割りと多い話題。
とにかく、移動距離が大きい人種じゃないかな?
10数人あつまって、普段は、関東のアクセントでしゃべっているだろうに
のむほどに、もりあがるほどに、大阪弁でそこだけ、異空間。
 
前は、そういうのは、恥ずかしいとおもっていたが
大都会東京の繁華街では、いつも、いろんな言葉がとびかっていることだろう。
 
さて、会社に縛られるのも、子供に縛られるのも
あと少しになってきた。
まだ、間があるのだが、これくらいの年齢で、古くて新しい交流ができるって
とても素敵なことだ、と、思う。
子どもが離れていくと、友達がちかづいてきてくれたら
とってもHappy!じゃない?。
青春。朱夏。白秋。玄冬。
青春というには、おこがましいから、「白秋」になるのん?
っておもうけど、また、楽しんでいきまっしょい!!
 
幹事さま、ありがとうございました!

同期会

2011年07月23日 | Weblog
今日は、どっぷり疲れている。
疲れているのに、昂奮しているのか?
書きたいことが山ほどある。
 
昨日、東京で高校の同期会があった。
その会の前に、参加をしない友人と
待ち合わせをして、銀座にいった。
新橋、銀座口で待ち合わせをして
お茶をする予定が
信号を渡ったところで「カタログハウス」の
店舗を発見!
私は、みたい商品があったので、即、入店したら
まあ、楽しいこと。
 
女友達とおしゃんべりしながら、「掃除機」やら
「姿勢が正しくなる椅子」(膝をついて、変わったすわり方をする)
に並んですわりながら近況報告の合間に
「あら、これ、気持ちいいね~」なんてね。
 
そして、同期会の場所を確かめてから
お互い、「椿屋珈琲店」をチェックしていたので
ここも、即、決定で入店。
 
ロイヤルコペンハーゲンのカップで
上品なサービスを受けて飲む。
落ち着いていて、居心地がよかった。
そこは、花椿通りで資生堂本社の近く。
 
考えてみたら、私は、資生堂工場がある、大船から
きたので、生産地から、表の顔の街へ一気に移動してきたのだ。
大船にも、花椿通りみたいにかわいい旗が翻らないかしらんね。
 
そのあと、同期会へ。
大阪の高校を卒業し、縁あって銀座7丁目に集う。
不思議な感覚。
在学中、知らなくて「はじめまして」の人もいた。
だけど、こういう会から、根っこが同じの新しい人間関係がはじまって
クラス替えで、顔を合わせたみたいな新鮮な気持ちになる。
 
私は、一足先に帰路についたが
やはり、東京から帰るのって、疲れる。
駅からタクシー。
家の前で、料金がぴっと上がって、少し悔しい。
 
****
 
今日は、香道のお稽古の日だったので
浴衣をきて、車を運転して、いってきた。
昨夜とうってかわって、静かな時間。
そして、狭い電車に揺られたのと
着物をきたのとで、肩がこったようで
今、めちゃくちゃ、楽な格好をしている。
 
山奥様の上京後は、緩んで、
日常へまた、もどる。

祖母好みの着物

2011年07月19日 | Weblog
母から着物を送ってもらった中に
鼠がかった紫の色無地があった。
みたことがない着物だ。
母が着ていた記憶がない。
 
母に聞くと、「おばあちゃんのじゃないかな」という。
父の母で、同居していたハツエおばあちゃんのものかもしれないという。
着物をみているうちに
「絶対にそうだ!」と感じた。
地模様があって、色といい柄といい
おばあちゃんがきていそうだった。
ハツエ好み。
たぶん、50年以上前にあつらえたもの。
色あせ以外は、全然いたんでいない。
 
その人の「好み」であるというのは
身近にいて、よくしっていないとわからないものだ。
そして、その人を深く感じるものだ。
夏の暑いとき以外、着物をきていたおばちゃん。
時代もあるが、着物がよく似合っていたおばあちゃん。
趣味がよかった、と今になって思う。
 
その着物を私は、どうしても着たいと思った。
 
それで、いろいろと調べて、染め替えと仕立てを
してくれるお店を探した。
そして、とりにきてもらって、色を決めたのが5月のこと。
あれから、なにもいってこないなあ・・。
とおもったら、先週、できあがったので、反物になったものをもってきてくれた。
思ったより、地味。
しかし、染め替えなので、もとの色より、濃くしないといけない。
身幅が広くなった私に合わせて、仕立てなおしてもらうことが希望。
一つ紋をいれて、幅ひろく使えるものにしたいこと。
紋は、関西人なので、女紋。実家の紋を縫い紋にしてもらった。
この色でこの形態なら、慶弔、お茶会など使えるのだ。
 
そして、身丈やら、袖丈を昔からもっている着物にあわせて
測ってもらっていたが、「襦袢は?」というので
もう、小さくて絶対に着られないから娘に譲ろうとおもっていた
つけ下げにあわせた襦袢を出したところ
「これはいけません!胴裏が、こんな色に」といわれた。
絹の同裏は、見事に変色している。
私にしたら、別にいいのだが、襦袢も仕立て直しができる、という。
今、絹物の襦袢をもっていない。
安い化繊の襦袢でしのいでいる。
もう、自分で、仕立てることも考えていなかった。
しかし、仕立て直すと、小紋も、つけ下げも色無地も
すべて、使えるというので
おもいきって、作り直すことにした。
 
染物やさんがかえったあと、「私って、NOっていえないお客脳?
おばかさんだろうか・・。」とちょっとへこんでしまった。
あっというまに、予算をオーバーしたからだ。
 
電話がかかってきた妹にいうと
「あら、私なんて、ミュージカルやコンサートにいくから
あっというまにそれくらい使うよ~。
私は、着物にお金をかけないけど、なににお金をかけるかは
それぞれちがう?」というし
その場にいた娘も
「あれだと、形に残るからいいんじゃない」といってくれた。
 
仕立てあがってきたら、絶対にきたい、
とおもうが、はたして、柔らか物の着物を着る機会があるだろうか?
 
目標は、慶弔に使える色無地を慶事にきること。
この数年で、弔事がたくさんあったから
これからは慶事がたくさんあってほしいがために、染め替えたのだ。
出来上がりは、冬まえの予定。
(悠長だが、仕方ない、予定もないし)
 
****
 
さて、着物一着で、このように、手間もお金もかかってしまう。
誰かがなくなると、たんすごと、リサイクルショップに処分を
依頼する、というのも、うなずける。
日本の着物文化、危うし・・。
 
私は、25年ぶりに小紋の袖を通したら
見事に、ぱっつんぱっつんになって
完全に娘向きになっていた。
残念、残念・・・・・・・。

特異日(誕生日)

2011年07月18日 | Weblog
もし、1年のうち一日だけ絶対に
ゴキゲンでいられる特異日を
もてるとしたら、私は、まちがいなく
誕生日を選ぶだろう。
 
しかし、残念ながら、ゴキゲンでいた年が
少なく、いつもなにかトラぶっているような気がする。
不幸ではないのだが、ごたごたしていることが多い。
 
7月で梅雨があけない湿気が多いときもある。
お祭りの前で、地味な日であることもある。
そういう私を「子供だ」とけなさたこともあった。
親や祖父母にしたら、長子であったにもかかわらず
たいしてお祝いしてもらった記憶がないのだ。
あるとき、私の誕生日に、母は私が大嫌いな
魚のおかずを出した。
そういう無神経さを私は、いやがり
子供たちの誕生日は、大事にしてきた。
 
といっては、ばちがあたる。
今年も、たくさんのお祝いの言葉やら
プレゼントをいただいた。
 
その前日から私は自分が不機嫌にならないように
注意していた。
あまりに注意していたから、ちょっとのことで
爆発してしまったのかもしれない。
息子の不用意なことばで、感情がふっとんでしまい
寝込んでしまった。
 
「オマエノコト、キライダカラ」
異性にいわれて、へこまない人がいたら
相当強い。
まして、自分が大事に思っている人からいわれたら・・。
 
若いときだって、そんなこといわれたことなかったのに
息子は、じゃんじゃん傷つけてくれる。
 
****
8年前の今頃、私の心は長女のことで荒んでいた。
自宅を離れて、養生をかねて実家で暮らしていた。
あの繰り返しだけはすまい、
というのが、我が家の大きな目標だった。
ちょうど、同じ高校3年生の爆弾を抱えた気分の今年。
暴言に泣いていた私に
娘たちは優しかった。
私を憎んだ娘から、豪華なお花のアレンジが届き
マグをほしいのを我慢していた私に妹娘は
フランス製の小粋なものをプレゼントしてくれた。
私の好みをぶち壊してくれる夫も
結局、自分の好みをおしつけつつ
気をつかってくれたみたいで・・。
私は、テンションアゲアゲにならないまでも
なんとか、起きれるようになった。
 
友達からのメール・コメントもやプレゼントもどんなに、救われたか・・・・。
 
本当にありがとうございました。
いい年になったんだから、淡々と大人として生きないといけないですね。
 
 

レディ・ガガのママはえらい!

2011年07月13日 | Weblog

 

Born this way

月曜日に、「徹子の部屋」と「スマスマ」で

レディ・ガガをみた。

これまで、マドンナやブリトニーがいいのか?

あまり好きでないのか?

よく、わからなかった。

ブリトニーは、長女が好きだったので好きになろうとしたが

いまいちだった。

月曜日にガガをテレビでみていて

「この子、すごい!」とおもった。

長女に似ている。

うちの長女は、小さいときから、「個性的」とよくいわれた。

「日本にあっていないとおもう」ともよくいわれた。

自分でも、いまだにいっている。

3歳のときには、ヘヤスタイルは、独特の形にしたがった。

そんな髪型をしている子はいなかった。

キティちゃんが大好きで、いまだに、家には、キティちゃんが残っている。

既成概念にとわられず、奇抜なことをいったり

行動に移したりした。

常識的な私はいつも理解しようとおもいつつ

困ったし、叱ってばかりいた。

 

もし、私が、ガガのお母さんのように「あなたはあなたのままでいいのよ」

といいつづけたら、今ごろ、彼女は、堅実なメーカー系に就職せず

あいかわず、ドハデな格好で闊歩していただろうか?

(ずいぶん、おちついたが、十分、派手だ)

彼女が、独立してから、うちの玄関からたか~いヒールだの

洗濯のあと、たたむのに困る、ややこしいシェイプの服がきえてなんだか、物静か。

6歳からピアノを習った彼女は、ピアノを弾く風にみえないが

一応、ソナタまで弾けるようにはなったし、ダンスは、バレエやタップから

進化して、今は、アルゼンチンタンゴを習っているらしい。

日本だったら、ガガは生まれない。

うちの子は、イギリスやアメリカの影響をうけて、日本の学校では

いじめにもあったが、今はたくましく生きている。

ああ、ガガのママになれなくて、ごめんね。

この間は、一人で、香港にいく直前、「今、成田、今から、香港にいくから」って

電話がかかってきて、心配したが、本当は、驚いていなかったの。

 世間に理解されないことを心配して、小言をいっているだけ。

レディ・ガガのママはえらいね。


星に願いを

2011年07月11日 | Weblog

遅ればせになるが、七夕には「星に願いを」が似合う。

この曲も好きだし、星に願いをするのも好き。

しかし、今年は、、七夕の日になにも願いことをしなかった。

短冊があったので、一応、平凡なことをかいたが

私の心からの願いごとが、今年はなかった。

震災後のこの4ヶ月、たくさん、祈ったとおもう。

これまでの人生、たくさんの願いごとをしてきた。

七夕の日もしかり。

でも、叶ったかなあ?というと「?」なのだ。

がっかりするのが、もう、面倒だったので

願わないことにした。

願いことがなければ、がっかりもしないのだ。

今までが、きっと欲張りだったのだ。

・・・とはいっても、まだまだ、願うことはたくさんあるので

とりあえず、無理やり、願うのをやめただけのことかな?

でも、いい曲だ・・・・。


東京

2011年07月01日 | Weblog
昨日は、久しぶりに東京にいった。
帝国劇場に、米倉涼子主演の
「風とともに去りぬ」をみにいったのだ。
 
宝塚出身の紫吹 淳の声が
すばらしく、ずば抜けて聞きやすかった。
さすが~。
テレビの「黒革の手帳」でも、米倉涼子と
共演していたが、そのときも
「この声の持ち主は、どういう人だろう?」と
思った。
 
米倉涼子は、背が高く遠目にも、スラリと
美しい。
スカーレット・オハラという気がきつい役に
ぴったりだなあ。
とおもった。
 
ミュージカルでもない、普通のお芝居は
すごく、久しぶりのような気がする。
 
****
さて、ランチは、友人が、東京會舘のレストランを
予約してくれていた。
お芝居がおわって、お茶をしようと、はいったカフェも
「ああ、東京!」という感じ。
お店も、スタッフもお客さんもおしゃれで洗練されている。
隣のマダムは、真っ赤なマニキュア。
前日 私は、寝る前に、一応、マニキュアを塗りなおしたのだが
透明で、目立たないもの。
私が、真っ赤や、目立つ単色を塗らなくなってどれくらいになっただろう。
 
「いいな!いいな!攻めの姿勢」と、それをちらっとみただけで
うれしくなる。
私たちは、お母さん仲間だから、ごく普通の主婦モード。
攻めどころか、守りまくりの姿勢と生活。
 
昨日、私が、ちょっとがんばったのは、電車を間違えないように
乗ること。
有楽町に行く予定が、新宿にいってしまいそうだった。
そして、帰りのラッシュアワーでも、遠路、座って帰れること。
体力を消耗しないで、家にたどり着くこと。
 
完全に「守り」の姿勢だ。
 
家につくと、娘が先にかえっていて
猫がぐったりしていたという。
今朝、猫が吐いた。
昨日、午前中から、窓をしめきって、留守番させたから
暑さに負けたかもしれない。
やはり、守るものがあり、私は、自分がたおれず、なんとか
家族に普通に食べて、寝ての生活をしてもらうことが
最優先のようだ。