Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

陶器市

2008年10月15日 | Weblog
また、陶器市も開催していたので
うろうろしてしまった・・・。

私は、最近、陶器市に出会うと
面白くて、仕方ない。

だんだん、夢中になる。

今日は、砥部焼きもあった。
愛媛の焼き物で、知り合いの方の
ご先祖さまが、発展に一役かった
と話を聞いたことがある。
清楚な焼き物だ。

たいてい、伊万里や有田があるので
絵柄が、面白くて、お店をはしごして
とにかく、たくさん、見る。

兎、猫、ふくろうの絵もかわいい。
和の草花も美しい。

形も変わったものがあると、
「こんな器に、白和えなんぞ、よそると
高級に見えるに違いない」と、
作りもしないのに、私の頭の中では、
うちの食卓が、料亭になってゆく妄想に
耽る・・・。

はっ!として
「いけない!いけない!」
と、自分をいさめる。

親の世代が、勝手に私のために
かってくれたものを
「こんな地味なもの・・。
センスが悪い!」とプンプンしていた私なのである。

そういう感覚になってきていることに、危機感を覚えてしまう。
その時の親たちより、今の私は、若いのだ。
地味だ!と思っていたものに、感動し、
「きっと、喜ぶ」と思い、子供に押し付けかねない。

しかし、陶器市は、面白い。
小さな世界に、「和」がつまっているのである。

もし、日本に興味がある外国の友達と一緒に
まわったならば、拙い英語で、私は、陶器と
着物の意匠について、しゃべり続けることだろう・・・。

娘が、カナダにいくとき、私が、プレゼントを用意した。
ラッピングに、わざわざ、可愛い干支が書かれた風呂敷を見つけて
娘に英語で説明するように、講釈したのだが、
一喝された。
「うるさい!」

日本の文化は、とても、面白い。
それを伝えずして、なんとする!
と思うのだが、私は、どうも、熱くなりすぎるようだ・・・。

陶器市も、私は、外人が、見た日本の視点でもみてしまう
から、面白くて仕方ない部分があるのかな?

気がつくと、周りは、年配ばかりだった。


着物の嘆き

2008年10月15日 | Weblog
さっき、ある繁華街を
ぶらついていた。

そこで、一軒の着物リサイクルショップに
はいった。

前にも、はいったことがあった。
買う予定などないのだが、
私は、着物をみるのが好きだから・・。

古着、とくに着物は、気持ちが悪いものも
ある。
絹はシミになりやすく、醜い。

お手いれも、大変だし、着物をきる機会も
少ないご時勢だ。
だから、着物を売ってしまう人も多いことだろう。

なにげなく、見ていた黒留袖のコーナー。
5000円くらいだ。

見事な裾模様のものが いくつか目についた。
刺繍も、染めも、いいものだとおもった。
こういういいものでも、家紋が、はいっているから
買いにくいことだろう。

蝶の家紋なんて、素敵なのだが、私が
日本できていたら、年配の人に、注意されるのは
必至だ。私の現在の家紋も
実家の家紋も蝶ではない。

もし、これを、外国の人は、パーティーできたら
どうだろう?
まず、話題になることだろう。
横には、金髪の観光客が、着物をみていた。
思わず、おススメしたくなった。

着物は、日本人の礼服である。
黒留袖は、既婚女性の祝い事の第一礼装だ。
私は、きょうだいの結婚式に、でられなかったので
黒留袖を着ることがなかった。
もし、きる機会があるとしたら、
子供たちのときだが、どんな時代になっているか?
「おかあさんは、こなくていい」なんていわれている。
それに、こういう華やかな刺繍や染めを
きていい年齢ではないだろう。

昔、私は、黒留袖を「地味だ。こんなの、着たくない」と
思っていた。

ああ・・。こんな美しく、格式があるものが
大事にされていない。
他のコーナーでは、ウールのアンサンブルが、なんと
2100円だった。
私が、娘時代に親につくってもらい、お正月に着たものと
同じような柄だ。
ショック!
こんなことになるなら、もったいぶらずに、これから娘に
着せてやらなければ・・。
娘が「着たい」といったとき、面倒で、許してやらなかった。

振袖は、さすがに着付けにお金がかかるので、
やはり、簡単に「どうぞ」といえないが、
普通の着物なら、着せてやることも
できるのに。

着物たちの悲鳴が聞こえるようで、
帰りの電車の中では、なんとか、再利用できないかなあ?
と考えていたので、早く駅についたような気持ちだった。