Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

"雨ニモマケズ"東北弁朗読 今野東

2011年03月26日 | Weblog

"雨ニモマケズ"東北弁朗読 今野東

テレビで、集落全滅したのに

自分達は、遺体確認しないといけないから・・。って

高台のお寺や壊れた自宅で不自由な生活をしているおじいちゃん、おばあちゃんたちを

みた。

ご自身の息子さんは、消防団で年寄りを助け、二人めを救助中

津波に飲み込まれたそうだ。

インタビューにニコニコと答えていたのに

息子さんの話になって、嗚咽を始めたお母さん、おつらいですね。

私も、つらいです。

****

歯医者にいって、ニュース雑誌で、津波のあとの瓦礫と泥の中で

横たわる老爺の遺体をみた。

テレビや新聞では公表しないだろう、光景。

自衛隊の人たちは、赤い布がついた杖をつかい

遺体の場所を示すそうだ。

それの墓標が、累々と並ぶ地域の写真・・・。

ショッキングだ。

そのあと、いつのも大型スーパーにいった。

なんだか、この街の空気と違うお年寄りたちがいた。

なんだろう?なにが違うのだろう?

よくわからない。

近くにいたとき、会話が聞こえた。

たぶん、東北弁。

私は、関西人だから、生の東北弁をきいたことがなく、

いっていることは、わかるが「ああ、私にできない発音とアクセントだ。」ととっさに思った。

穏やかで、優しそうで、素朴で、質素で。

そこだけ、春の陽だまりのように暖かい。

この空気感。

そのあと、ずっと気になっていて、どういう言葉で表現できるのか?

と頭の隅にあったようで、いきなり

「そうだ!『雨ニモマケズ 風ニモマケズ』の世界だ。」と気がついた。

この詩を小学校のとき、覚えたことがあった。

この世界観が、あのおじいちゃん、おばあちゃんたちを体現しているように

思えた。

 

この街に、避難所はないので、ご親戚を頼っていらっしゃったのだろうか?

本当は、言葉をかけたいくらいだったが、我慢して

優しい気持ちを漂わせてくださって、ありがとうございます。

と心の中で、お礼をいった。

 

 


がんばれ!東北 がんばれ!私

2011年03月22日 | Weblog
昨日は、息子のクラブの送別会だった。
 
今のところ今回の地震で、私が受けたダメージの中で
一番、大きいことである。
何ヶ月もかけて、準備してきた3年生や保護者を
送る会は、2年生のママさんたちが中心である。
 
豚汁をつくったり、業者からお弁当やお菓子、果物を
配送してもらう。
会場設定、演出、記念品贈呈・・・・。
 
それらにこの数ヶ月、率先して関わってきた私としては
「中止」ときいて、ショックをうけ、しかし、自分をなだめ、それを受け止めた。
そのあとで、会場をかえて開催となると、連絡がきたときから
大きな津波に翻弄されたような数日間だった。
 
業者もキャンセルしていたし
いろんな葛藤があった。
 
私の生活でも、震災後の対応におわれながら
だった。
 
さて、前日の夜、結構遅くに
「義援金を集めない?」と仲間からメールがきた。
「賛成!」と即決。
私も考えていたのだが、我が家は、すでに、子供たちと
赤十字に募金していたし、どういう形態にしたらよいのか?
考える心の余裕がなかった。
そして、ふと目についたのが、白いシーツ。
お金だけでなく、メッセージも伝えたい!
探せば、未使用の白いシーツがあった。ペンもある。
 
「翌日、送別会の後は、義援金をあつめて
メッセージを書く会になった。」
 
この2行は、とても短いものだ。
 
「送別会」
この3文字も短い。
 
私が、携帯に仕込んだいろんな音源。
いきなり、かってでた生徒の余興の司会。
 
ほめてくださった方もいた。
すべてが、評価されたわけではなく
とても傷ついたこともあった。
一番、思い入れがあった応援歌を
四苦八苦して、パソコンから携帯に
音源を録音して、マイクで出すしかなかったのだが
音質の悪さに、司会者にあっさりと「それはいらないって」と
いわれたこと。
もう、が~ん・・・。であった。
アカペラの応援歌は、確かに、ショボイ伴奏より
バンカラでよかった。
だけど、私の音源は、4番まではいっており
式次第をかいてくれたお母さんも、フルコーラスの
歌詞を載せてくれていた。
ああ、もったいないな・・・。
とてもとても、口惜しかった。
 
私が発揮したことは、私が準備したものの
氷山の一角。
それは、それでいいのだが、
息子に毒づかれたことが、とてもショックで
昨日から、口をきいていない。
今日も寝込んでいた。
必死になって、会を盛り上げようとして目立った母親は、彼の恥なのかい?
やめてほしいのは、わかるような気もする。
 
でもね・・・。
私がしたいこと、できることは、子供の立場や人格とは
別物だ。
私は、私の人格がある。
私ができること、必要とされることをさせてもらえることは
私のためになる。
息子のために、したのではない。
もっと、パブリックな視点で、物事を考えてほしい。
周囲との温度差に悩まされながらも、私は、
さっきも、熱いエールを届ける先と、方法をずっと
模索していたし、しばらくは、求め続ける。
 
すでに、いくつかピックアップした。
原発やら、余震やら、被災の様子をみて
ずっと、考え続ける。
 
私は、東北にまったく、縁もゆかりもない。
報道をみた人たちは、みんな
「自分にできることをしたい」という。
そう思うことは、誰にでもできる。
そして、小さなことは誰でもできる。
その積み重ねで、復興につながると
私は信じている。
 
昨日、私の呼びかけにこたえて
お金を入れてくれた人たち、子供たち。
メッセージを書いてくれた子供たちの心を
預かった私は、責任重大で、気がついたら
また、重いものを背負ってしまったなあ・・・。
と思う。
アクションを起こしてしまったんだもん。
思いをどこまで形にできるのか?
 
模索は続く。
新しい自分との闘いが始まった。
 

少しだけ 非常時

2011年03月14日 | Weblog

本日、朝から、高校の緊急連絡網やらで

どたばた・・・・。

交通機関がとまっているから、休めばいいと思う。

6時20分から停電というから、緊張していたら、停電にならなかった。

 

テレビの中には、悲惨な風景。

情報を得るために、見ざるを得ないが

横で家族にエキセントリックに反応されると

ますます、滅入ってきて、自分は、冷静にならなくては・・。と思う。

 

結局、子供たちは、家にいて、夫は、会社にいった。

その間の仮眠の夢は、学校のテストで全然、勉強していないから

あせっている夢。たんすの移動や整理をしている夢。

目がさめたら、どっとつかれていた。

なにかあせっている。

そう、物資をそろえておかなくては・・。とおもっているのだろう。

しばらく不自由はないはずなのに、停電やら、品物不足の情報があると

あせるのだ。

 

午後、近所のドラッグストアにいくと、やはり、棚がからっぽ。

で、買ったものは、猫の用品だったりする。

それでも、一ヶ月はもつくらいの、人間のシャンプーやらを買った。

 

朝も夜も、予定された停電はなかった。

それは、有り難いこと。

先日の急な停電は、久しぶりの暗闇だった。

それもまた、よしなのだが、4月いっぱいときくと

備えを考えてしまう。

帰宅難民が3人でた我が家は、家族の休養を第一にして

そして、自分ができる備えと工夫を第一にして

次の世代の子供たちが、学んでくれたらいいな。と思う。

 

今日、私たちが、不自由なく暮らせていること。

被災地の方たちに申し訳ないような気がする。

がんばれ!がんばれ!

私の日常も、ちょっと「非常時」になった。

 


地震 無事です!

2011年03月13日 | Weblog

これを読んでくださっているみなさま、

私の知り合いの方々、ご心配をおかけしておりますが

私および、私の家族はおかげさまで無事です。

家の被災もありません。

今のところ、生活も不自由しておりません。

ただ、いろいろと、平常とちがった変化が

でてきております。

自分の気持ちもみつめなおしつつ

今回の未曾有の天災も見つめていきたいと思います。

 

まずは、ご報告まで。

 

東北、信州はじめ、震災で、深刻な被害にあわれた方々

こころより、お見舞いもうしあげます。

 


三浦国際市民マラソン

2011年03月06日 | Weblog
今日は、生まれて初めて
(とても、大げさ)マラソンの
応援に立った。
 
三浦市民マラソンに
息子が参加したのだ。
 
 
私は、とても、とても足が遅く
ずっとコンプレックスであるので
こんな私から、足が速い子が
生まれたことが不思議でならない。
 
自分が走れないくせに
沿道にたち、被り物をしたランナーや
伴走者がいるランナーに
「がんばれ~!あと少しですよ!」と
大声をあげる。
中には、ハイタッチをしてくれる人もいて
充分、参加できたと思う。
 
高校のクラブからの参加なので
もちろん、うちの子たちをみつけると
ママさんたちで、大盛り上がりである。
10キロと20キロ。
みんな完走できたが、普段、厳しいスポーツを
しているからといって、楽勝というわけではない。
 
私も、とても疲れた。
 
参加賞は、三浦名物の「大根」である。
そして、三崎のママさんから、海草をいただいた。
帰宅して、すぐ、ご近所から
ふきのとうをいただいた。
山の幸、海の幸、人の幸・・・。
ご褒美はうれしいものだ。
でも、話がきまってから
完走できるのだろうか?
と心配していた子供たちが
みんな、走ったことが、良かった。
○○くん、足が痛そうだったけど
大丈夫かな?
最後まで、えらかったね。
 
****
 
4年くらい前、私は、急に「三浦大根」を買いに
三浦にいき、マホロバ・インのスパにもいってみた。
 
2年くらい前に、テレビをみて
美味しい三浦野菜のお店にいった。
 
そして、今日は、赤い電車にのって、
駅から、沿道に立った。
河津桜が、満開であった。
海岸にもおりた。
さらさらと、綺麗な砂浜だ。
 
この街にいることが、すごく不思議な気がした。
うちから、近いわけでもなく、
何年も未知の街だったのに。
 
海の男だった時期がある
父にみせてあげたかったな。

たい吉のお誕生日記念撮影

2011年03月04日 | Weblog

3月3日は、たい吉の誕生日。

今年6歳になる。

人間でいうと、40歳少し過ぎた感じ。

でも、永遠の少年なので、ボーイソプラノ。

今年は、たいちゃんがいつも、座っているピアノの上に

お雛様を飾ったので、たい吉がいたずらしないか、心配だった。

真ん中においてある、お干菓子が落ちていたから、

きっと、ど真ん中、突破も試みたのだろう。

お雛様の横の狭いところに、遠慮がちにチョコンと座っていたりする。(笑)

今日は、シャンプーして、お散歩に出してもらった。

狭いケージにいれられて、子ねずみみたいだった、たい吉。

目やにもでていて、風邪もひいていたから、ワクチンをすぐに打てなかった。

今は、堂々たる体格。

がっしりした肩に私は、顔をうずめてねる。(これ、変ですか?)

たい吉、健康で長生きしてね。

誕生日に、名前の「鯛」をたべさせたかったのに

いつもの、マグロの缶詰だけで、ごめんね~。

しかも、近いうちに、予防ワクチンにいくので

まだ、怖がって、岩のように、カチンカチンに重くなるかな?

さあ、今日も、一緒に寝ようね。


お雛様

2011年03月02日 | Weblog

今年は、お内裏さまとお雛さまを

だすことができた。

段飾りは、無理だったが、とにかく かざることができてよかった。

玄関には、豆雛オールスターズを

飾った。

私が、飾りたい季節のもので

特にいつも、念願なのが「お雛さま」とクリスマスかな?

お正月のものは、いやがおうでもするけれども

お雛様は、贅沢なものだし「この日にかざらないといけない」という

決まった日がないだけに、なんとなく飾り損ねてしまう。

面倒くさいし。

でも、自分がもっていなかったからこそ、一番、憧れをもち

娘たちに伝えたい行事だ。

京風に、お内裏様を向かって右にかざることにしている。

お雛様、隣にお内裏様がいて、いいですね。

あ、たまにたい吉も、お雛様のとなりに

座っていたりする。

今年は次に、イースター卵、鎧兜と、かざることができるかな?

今日も、頭痛で、うだうだと家から外にでていないので

ちょっと自信がないが、季節のお飾りは私の大切なことだ。