Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

友人の死で決めたこと

2010年08月30日 | Weblog

17年前になる。

幼馴染の友人が亡くなっていた。

彼女とは、小・中・高校が同じ。
同じクラスにも、何回もなった。
小学校5・6年
中学校1年
高校1年 2年。

意気投合して仲良しというのではない。
同じクラスにいる同じ学校からきた人。
中学のときは、クラスがちがうが
同じ英語塾だったなあ・・。

地域が同じだから、卒業してもなにかの拍子に
あうことがあった。
にぎやかで、うるさい私と静かで、友達も少ない彼女。

私は、彼女の落ち着いた物腰を尊敬していた。
彼女は、私の明るさがまぶしかったとおもう。

彼女は、短大にいき、有名商社に就職した。
道であったら
「おじさんに囲まれて仕事している。」と
彼女にしては、明るい冗談をいった。

最後にあったのは、私が、子供をつれて渡英の準備のため
実家にもどっているときだった。
バスで、偶然あったので、うれしくてニコニコとしゃべっていると
「お幸せそうで」といった。
(そうかな?そんなに幸せでもないんだけど・・。
独身者からみたら、子供をつれて、わいわいやっているのが
幸せそうにみえるのかな?)とおもった。

そんな綺麗なことばを、大阪の下町で使う人だった。

****

彼女は、その後も、独身だった。
風の噂で、仕事をやめ体調が悪い、と
きいたことがある。

私は地元にいなかったし、帰省したとき
わざわざ、「どうしている?」とのぞくほど
親しい仲とおもっていなかった。

****

私が、末っ子を産み、「これで、子供が終わりにするぞ!」と決心し
育児に奮闘して、3ヶ月め、帰省することになった。
そのとき、初めて、彼女と同じ町内に住んでいる姑から
彼女がなくなったことをきいた。

私が出産する直前、亡くなったという。
私は、おめでたいことであり、産後であるので
義母は、黙っていたのだった。

****

私は驚いた。
そして、ご仏前におまいりにいこうとおもった。
彼女と友達であり、私の友達でもある人に連絡をとった。
「なにか、してあげられることはなかったのかな?」と私がいった。
「だって、仕方ないことやわ。
友達でも、相手の問題にはいれないことあるし。
できないことあるし。」

お参りにいくことも、断られた。

私は、一人で、お花をもって彼女の実家を初めて
訪れた。

お父さんは、すでになく。
お母さんがひとりで暮らしていらっしゃった。
入院中の彼女の写真。
仏壇の彼女の写真。
それらをみながら、お母さんが
明るく、晩年の様子を語ってくれた。

ぼろぼろと涙が出て仕方なかった。

****

それから、6年後、夏に帰省したとき
七回忌の年だとおもって
お盆にまた、お花をもってお参りにいった。
ちょうど、お姉さんとその娘さんが帰省していた。

仏壇の彼女の写真は、むかしのまんま。
あたりまえだけれども、私のように
年を重ねていなくて、若いまま。
それが、悲しくて、また涙がでた。

姪御さんは、明るく元気なお嬢さんだった。
お姉さんも、私が住む街から、近くに住んでいらっしゃった。
姪御さんは、私も知っている優秀な高校にはいられていた。

ああ、彼女は、絶えたのではない。
お姉さんも姪御さんも、彼女の身内らしく
優秀で、これから未来に生きていく。

その日は、明るい気持ちでかえることができた。

****

昨年の秋に、知り合いのお葬式にかえったとき
幼馴染で地元に住んでいる友達にあった。

亡くなった彼女の話題になったとき
「あんな、寂しい葬式、初めてやった。」と友達はいった。

彼女は、さばさばとして、厳しいことをいう人だが、
そういうことは、ちゃんとしているんだ!
お葬式に友達が参列いたとおもうと
ほっとした。

友達が少なかった彼女のお葬式は
参拝者も少なかったことだろう。

高校時代の友人で行った人はいないとおもう。

私の頭の中には、いつも、お参りを断った人の言葉がある。
本当に、私は、無力だったのかな?
友達って、なにもできなかったのかな?

もし、彼女の調子が悪いとか、精神的にまいっていると
きいて、声をかけたら、そのときだけでも
よくなっていなかったかな?
宿命が変わっていなかったかな?
なにか、変わっていなかったかな?
彼女の命が助かったとはおもえないが・・・・。


私が、神経を病んで実家にもどって
友達に連絡したとき
近くの駅まできてくれて
ただ、階段に一緒にすわっていてくれた人がいる。
別に役にたつ話をしたわけでもない。
ただ、並んで、コンクリートの階段に
すわって少し話しをした。
その感覚を私は、記憶をなくした時期の中でさえ、
憶えている。

****

私は、だから、自分が「これはどうしたらいいのかな?
動いたほうがいいのかな?
知らん顔していたほうが、自分のためなのかな?」とおもうとき
自分の良心にきく。

たいてい、「そんなに気になるなら、動いたら?」とこだまする。

そして、電話をかけたり、メールをうったり。
はたまた、会いにいったり・・。

よく、「しなくて後悔するくらいだったら、して後悔したほうがよい」
というニュアンスのことをいわれるが、
本当にそうだ。

人におせっかいといわれる、危惧をいだくより
「あのとき、○○してあげていればよかった」と思う後悔を
私は、恐れる。


そういう経験があればこそ、
いろんなことを見聞きしながら
心配し、動き、失敗し、後悔する。

それが、生きているということ。
不器用ながら、生きているということ。

 

 

 


結界

2010年08月29日 | Weblog

○○子と電話で話していた。
友達が、サイトをもっていて
その話をしていた。

サイトには、いろんな人がくる。
千人もくるらしい。
コメントを寄せて親しくなったなかには
時々、困ったこともあるらしい。

また、オフ会の告知があって
それを○○子が
「すごいわ~。大変なのに」というので
私は、段々心配になってきた。

その○○子の友人は、私もあったことがあり
噂は○○子からよくきいているので
旧知のように思えて、心から心配になった。

サイト内の人間関係のトラブル。
オフ会の混乱。

これらのことは、ありがちなのだ。
私が知っている人も、なかなか、できる人が
「とてもいやな目にあった」とかいていた時期がある。
本当にうっとおしい・・・・。

そんなことを思い出して
「大丈夫かなあ?」と心配したら
「あのね!人のこと、そんなに心配しなくていいのよ!
はいりこみすぎていない!?」と、怒鳴られた。

はっとした。
そう、入り込みすぎた。

「オフ会だってね、
そんなに集まらないのよ。大丈夫」

だって、千人もくるサイトのオフ会というから
なにか、トラブルがあるかもしれないとおもって・・。

「心配症ね」と○○子がいった。
「うん、心配症。」
「人のことなのに」
「まったく、まったく知らない人なら、流せるけど
少しでも知っている人なら、なんとか、守らないと、とおもってしまう」といった。

話をきいているうちに、私は、いろんなことが心配になってくる。
身内の一大事のように思えてくるのだ。
(だから、世間話でも、あまり関係ない人の話は、
もう、してもらいたくない)
いけない、いけない。
相手に共感してあげたいばかりに、のめりこんで
いやな気をもろにうけて、どっと疲れることが
多々ある。

○○子は、おもうに、自分の周りに「結界」をつくるのが
上手なんだなあ・・・。

私は、自分の話を上の空で聞かれることが、なによりも嫌いなので
自分も決して、相手をそらさないように、話をきくことにしてきた。
しかし、それが、時に自分の首を絞める。

人の話をちゃんと聞いているようで、
自分は、結界をつくっていやな気を遠ざける、
ってことが、とても下手。

だから、だめだ!と、切羽詰ったら
一目散に逃げてしまうことがあって
後に残された人が、「なんで?」って、憤ることもあるだろう。
私は、必死なのである。

そうそう、今年の目標は、「NoといえるPonco」であった。

「No」というのは、とても難しい。
私は、これまでなんでも引き受けるということを
モットーにしてきたので
とても難しい。
「NO!」と、めずらしくいったら、案の定、
気まずいことになってしまった。

この間、神社で、凛とたつ木をみた。
その前に注連縄がはってあった。

「結界だ」

○○子のいきなり、「その話もう、いいわ」という言葉をきくと
「ああ、結界をつくるのが上手」とおもう。

一線を引くとかとは、また違う、自分を守る術。

私って、本当にお人善し。
そして、人つきあいが、うまいとは、全然おもわない。
知り合いが、とっても多いほうだとはおもうけれども。
いつも、精神誠意でいるから、クッタクタ・・・。

いい年して、駄目だよね~。


海水浴

2010年08月27日 | Weblog

夏が始まったころ、
水着売り場をみていたら
海水浴に長いこといっていないが
久しぶりに夏の海にいくのもいいじゃないか?
とおもった。

それで、友人にいったら
「こんな暑いのに、無理」とストップをかけられ
ーそうだなあ・・。この年でいったら、絶対に根をあげてしまう。
 止めてもらってよかったなあ・・。
 年甲斐もなく、恥をかくところだった。
とおもった。


お盆もすぎ、もう、海水浴はあきらめたと
おもっていた。
「お盆がすぎるとくらげがでる。
お盆に泳ぐと霊が足をひっぱる。」
とか大人に言われて
とにかく、私の頭の中では、お盆がきたら
海水浴シーズンは終わりである。

子供のとき、プカプカ浮かぶくらげと
一緒に泳いだのは、どこの海だったろうか?
舞鶴だったろうか?


さてさて、次女がいっている教習所は
海の近くで、電話で「足だけ、はいった」と
いっていた。

一昨日は、早朝、息子が寝ている私に
「水着かうお金ちょうだい!」といい
寝ぼけている私は、そのうるささに
「財布から、もっていって・・。」といってしまった。


今日、息子は、派手なチェックの水着をもって海水浴にいった。
場所をきいて地図をみたら、
おお、これは、のんびりしてよさそうなところではないか!?


自分もいくことを考えてみたが
あのラグビー選手たちのエネルギーの発散に先生がつれていってくださるのだから
とうてい、私は太刀打ちできないだろうな・・。
とあきらめて、年配者とヨガをしてきた。
午後は、猫のたい吉と冷房をかけて、休んでいた。

ああ、もう、夏に海水浴は、無理だ・・。


でも・・・。

私の中で、「秋の海」「美味しい魚料理が食べられるレストラン」
のチェックがちゃくちゃくと進み、あとは、
誰か、付き合ってくれる人を見つけるのみになっている。
もう、リストは、できあがっている。
秋の海=大人の海
にむかって体調を整えよう。

 

 

 

 


教習所

2010年08月25日 | Weblog
私が車の免許をとったのは 三十歳のときで
3才のやんちゃな娘をつれて 三か月間 教習所にかよった。

 あの秋は 地獄だったなぁ。
二回通う日は
「こんなときに 車が運転できればいいのに…。」とぼやいた。
 教習所の事務員も教師も託児室のおばちゃんも 意地悪だった。
泣きたくなる思いをたくさんした。 

 最近 ネットでみたら口コミサイトで悪評一位の教習所だった…。(どうして、よりによってあの教習所にいってしまったのだろう・・・)
 娘にお弁当をつくり 自転車の後ろに乗せて 必死で通った。
 その前に住んでいた海外で 車を運転できない私は 不便だし 弱者だった。 


若いときに 運転したいとおもったことはない。
また 実家は 町中で、交通の便がよく
父が 女の子は運転しなくていい という方針だったから
教習所にかようという選択はなかった。

 今朝 次女が免許をとる合宿に出発した。
二週間の予定である。
 朝 駅まで大きな荷物をもつ彼女を送っていった。
 ああ 私が 歯をくいしばって 車を運転していたのが もうすぐ 子供達が運転する時代になる。 
合宿は海も温泉もあり楽しそうだ。
 友達と旅行気分である。
 もちろん 大変だと思う。 でも 効率よく勉強して、いい思い出にしてほしい。
 あとは また うちの車で 練習させなければ。 
 
この数年 体調が悪いときクリニックにいくのも、自分で運転か
タクシーを呼んだ。
だから、一番、苦しいときにいけなかったこともある。
少し、元気にならないと運転ができないから。
それが、一番 気がらくになること。

結局、憧れの遠出も自分の運転でいくことはなかったが
熱がある子供たちを 寒い思いをさせないで、お医者さんに
つれていけたことが、小さな自慢である。

どこへいっても、生きていける力をもつこと。
車の運転ができることは、私にとって「力」のひとつだった。




お化け屋敷

2010年08月18日 | Weblog
毎朝、「ゲゲゲの女房」をみている。
 
ゲゲゲの鬼太郎は、何回もテレビで放映されているので
知らない日本人の世代は、ないそうだ。
すごいことだ。
 
私も、みていた。
漫画でも読んでいたかもしれない。
 
子供のとき、いくつかのお化け屋敷にいった。
その中で、とりわけ、怖かったのが
宝塚ファミリーランドの夏の「ゲゲゲの鬼太郎」の
お化け屋敷である。
 
どう怖かったのか?
なにがあったのか?
覚えていない。
鬼太郎にでてくる妖怪やお化けは
不気味であるけれども悪いイメージはないので
それで、なんとかなるだろうとおもって、はいったのだとおもう。
 
ところが、でてきたとき
えらく恐ろしくて・・。
子供を脅かすとか、そういうものでなかったとおもう。
 
あえていうなら、本物の不気味さやら
人の心のそこから、恐怖感を感じるなにか?
 
と、今やっと表現しているが
その当時は言葉にできない怖さだった。
水木しげるさんの戦争体験からくる
恐怖がいかされているのかもしれない。
 
今日の「ゲゲゲの女房」で、「宝塚ドリームランドのお化け屋敷の企画」
ということになっている。
このドラマがはじまってから、私は、いつも、宝塚ファミリーランドのことを
思い出していた。
今は、なくなってしまったが、毎年、ゲゲゲの鬼太郎のお化け屋敷を
していたようにおもう。
 
それをも含め、懐かしい響きの「宝塚○○ランド」であった。

仏壇の話

2010年08月15日 | Weblog
お盆なので、仏壇の話をする。
 
 
先日、実家に電話したら母が仏壇の
カバーをつくっているところだという。
実家の仏壇は、とても古くて
汚いので、カバーをしようとおもったらしい。
 
私も、実家の仏壇ほど、きれいじゃい
仏壇をよそでみたことがない。
子供のころは怖かった。
他家の仏壇が綺麗にみえてしかたなかった。
 
母の話によると、母が嫁いできたときから
あるという。
 
「台風にもつかってなあ・・。」
えっ!?
 
父や、お習字の先生から、台風のとき
あのあたり一帯が水につかり
被害が大きかった話を何回もきいた。
 
お習字の先生も父も
「仏壇も、人の○○○(糞尿である)も
一緒にぷかぷかういてなあ・・。」
こんな語り口だった。
 
母の話では、ジェーン台風のとき、うちの仏壇が
水につかったのを父が引き上げ、そのまま今にいたっているという。
そのときの教訓からか、家を立て直したとき
仏壇は、二階に上げられた。
以来、鎮座まします。
 
 
あの台風で、人の○○○と一緒にぷかぷか浮いていた
仏壇って、あの仏壇のことだったのか!?
よその仏壇もういていたに違いないが、
私の脳裏には、そいういう苦難を経ても
買い替えもせず、我が家にある仏壇が
急にとても有り難い、後光がさした仏壇のように思えてきた。
鎌倉の仏さまも、浮いてあるお寺にながれつくという縁起があったりする。
 
あれから、何十年もたっているので
木製の仏壇は、枯れた古寺の趣である。
祖父がはいるまえからあったということは
誰を祀っているのか?
祖母のなくなってしまった実家の位牌が
一段したにあった。
最初は、幼くしてなくなった祖父の子供あたりではないだろうか?
 
今年の冬、父の七回忌と、祖父の50回忌である。
祖母の33期は、母が、しらぬまにすませていた。
 
ひさしぶりに法事がある。
私は、これを機に、すこし綺麗なものに
かえるとか、お道具を新しくしたらどうか?
とか少しおもっていたのであるが
水につかって、浮いてもなお、大事にされている
我が家の仏壇に跡をとったわけでもない私が
あれこれ指図するのは、僭越であるということが
よく、わかった。
 
最近は、おしゃれな洋間むきの仏壇や、金ぴかの仏壇
小ぶりな仏壇といろんなものがあり、みるのが楽しかったりするのだが
や~めた。
我が家の仏壇の歴史は、とてもお金でかえるものではない。
 
ぼろぼろであることは確かなのだか、いやなこわい気がでていない。
毎日、朝、父が花をそえ夜は、花瓶を下げる。
いただきものがあれば、まっさきにお供えし、
お下がりをいただく、という感覚が、私にはまだ残っている。
 
お盆のころは、お供えをした食べ物やお花が傷みやすく
いやなにおいがした。
そういうのが、怖かった。
祖母が出す、お盆の燈篭が破れていて、怪談のようで
怖かった。
 
「ゲゲゲの女房」のなかで、水木しげるさんがこどもたちにいう。
「目にはみえないけれども気配は感じたことがある。」
だから、妖怪の話は、うそでない、と。
 
父の写真や祖母の写真に語りかけると心が落ち着く。
そういうことも、目にみえないけれども
心のお薬かもしれない。
 
 
実家に帰ると真っ先に
実家をでるとき、最後に
仏壇の鈴をならす。
仏壇の中の人たちに
「ただいま」「これから、かえります」と挨拶をする。
 
そういう私なのに、カレンダー通りにお盆にお墓や
仏壇におまいりせず、自分の都合で動いているが、
身内なので、苦笑いして、笑っていてくれるとおもう。
ああ、お盆が終わる。
実家から離れた私の家にもきてくれていただろうか?
 
仏壇ではないが、写真の前でお香を焚いていた。
それは、私の瞑想時間であり、私だけの仏壇である。
 
 

啼かぬなら・・・・・

2010年08月13日 | Weblog
戦国の天下取りをした3人の
性格の違いをうまく表現した有名なこんな歌がある。
 
 
啼かぬなら 殺してしまえ ホトトギス  (信長)
啼かぬなら 啼かせてみせよう ホトトギス(秀吉)
啼かぬなら 啼くまで待とうホトトギス   (家康)
 
私の周りにも、こういう三つのパターンの
男性がいるなあ・・・。
 
最近、家康タイプと出会ったので
この歌を思い出した。
彼は、とてものんびりしている。
 
一番、身近にいるのは信長タイプである。
彼は、天才といわれるし
狂人である部分もあるし
アスペルガー症候群やら
人格障害ともいわれる。
 
信長タイプといると、こちらが、身をけずるおもいを
する。
 
私は、信長タイプではないということなんだろう。
 
快適なのは、なんといっても秀吉タイプ。
大好きな友達にもいる。
ただし、悪いこともやってない?・・。とおもう。
人たらしで、憎めない。
 
最後の家康タイプ。
 
家康は、したたかであったが
「啼くまでまっているよ~」タイプは
癒されて、眠くなる。
現在は、そういう人がありがたい。
 
世の中には、いろんな性格の人がいるのに
世間が狭いせいで、信長タイプに振回されて
忙しいのを「よし」としていて、壊れてしまう。
 
信長タイプが、多い我が家は、癒されない。
お互いが「帰宅拒否症」になっているのって
変な家。
 
殺すなら、その前にあやめてしまおう・・・。
 
という考えをするのって、光秀タイプなんだな。
滅びの美学を感じたりする。
 
 
さてさて、TVKテレビの「戦国鍋」という番組が
面白い。
今、名古屋では、おもてなし隊という
イケメン軍団が、観光客を楽しませてくれている。
テレビでみたが、おもしろい。
 
 
元祖 歴女としては、「戦国鍋」は荒唐無稽の感もあるが
単純に笑ってしまうし、おもてなし隊は、単純にかっこいい!
 
 
 

新しい景観

2010年08月12日 | Weblog
ご近所が、外壁を塗り替えた。
 
あらかじめ、仲介業者が粗品をもって
挨拶にきたし、そこの奥さんからも
きいていたので、数日間の多少の
不便はしょうがない、とおもっていた。
 
ちらっと、「色を変えるんだろうか?」と
不安になったが、そこのおうちは常識家だ、
とおもうので、前回のようなことはないだろうとおもった。
前回、違うお宅が塗り替えたとき
屋根の色に愕然としたのだ。
なれるまで相当、時間がかかった。
 
一昨日、帰宅した子供が
「おかあさん、まさか、あの色?」というので
「また、○○色の屋根?」といってみたら、
○○色に近い屋根だった。
「はいはい、またあの色ね。流行なのかなあ?」といったが
子供が、「違う!」という。
 
家全体が、前とは、まったく違う色になっていた。
 
どうして、全部、あの色にしたんだろう?
 
うちの母は、「そのおうちの勝手だから」というが
そうだろうか?
 
いつだったか。
まことちゃんハウスの奇抜な色が、近隣から
苦情があり、裁判沙汰にまでなった。
まことちゃんは、有名漫画だし、
楳図かずおさんが住むのなら、仕方ないんじゃない?
とはじめはおもった。
まあ、できたら、住宅街じゃなくて、別荘どまりにしたら
よかったのに・・。とはおもったが。
しかし、途中から、近隣住人の気持ちに共感した。
 
住環境が変わるのである。
いつも生活してきたのに、
目につくものが、出没したのだ。
 
今回は、個人的には、私の好きな色ではある。
 
しかし、なんで、同時にたったこの数軒のトーンが
統一された住宅街の中で、突如、違う目立つ色にしたんだろう?
 
職人さんたちが
「明日で、作業おわります」と声をかけてくれた。
ああ、明日から、あの色が、ドーンと目につくのね。
なれるまで、どれくらいかかるかな?
 
最近、住環境がかわってきたので、ストレスを家族と
ともに感じている。
個人の所有なのだから、なにをしてもいいようなものだが
12年前に、買ったとき、それから、すこしずつ手入れして
変わった風景。
それらが、いっぺんに変化したときが、ついていけない。
 
私がかつて住んでいた町は、百年前とほとんどかわっていない景観だった。
今、訪れても変わっていないとおもう。
そこまで古色蒼然としなくてもいいけれども
しばらく、落ち着かない気持ち。
 
自分で、こういう自分がいやだなあ・・。とおもう。
 
景観がうるさいのは、京都とか
有名観光地くらいだろうが、もっと、生活の中で
考えてもいいんじゃない?
とおもった。
景観問題という大げさなものじゃなくて、
マナーの問題に近いような気がする。
 
 
 
 

花の命は短くて・・・・。

2010年08月11日 | Weblog




朝顔のグリーンカーテン。

西洋朝顔なので、成長が遅くて
7~8月上旬の暑いときに、カーテンがスカスカで
葉っぱに覆われていない。

上のほうは、大分、もこもこになってきた。
花も咲き始めた。



これは、花盛りではない。
咲き終わって、しぼんだ朝顔。
ちがうお花みたいにかわいいな、とおもって撮影してみた。

この後は、あっというまにしわくちゃになる。

花の盛りは短い。
朝顔の花は、いっそう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

びっくり!びっくり!

2010年08月10日 | Weblog

土曜日に、息子とびっくりリドンキーにいった。

初めていってみた。

お子様むけのハンバーグのファミリーレストラン。
入ったとたん、小さな子供たちの嬌声がきこえ
「失敗した」とおもった。
最近、子供の騒ぐ声が苦手だから。
ここでは、私が悪い。

昔のアメリカをイメージした店内。

なかなか、面白いぞ!

翌日から、菅平にいく息子と二人の夕食なので
ちょっと一緒にゆっくり食べたかった。(作るのが、面倒というのが大きい?)

びっくりドンキーは、たくさん「びっくり!」があった。

マクロビ系の食事になってきた私には、脂っこいとおもったこと。
以前は、こういうファミレス、好きだったのになあ・・。の自分にびっくり!
でも、完食です。

ここの名物、木の大きな重そうなメニューは「これだ!これだ!」とびっくりしなかったが
それを腕の細いスタッフのお嬢さんが、腕を伸ばしたまま、持ち上げたことにびっくり!
筋トレになっているとおもう。

息子が、「ガーリックライス」と「シーザーサラダ」にこだわること。
ガーリックライスはない。
「なんで、ないんだよ~」
「あんたのわがままは、通りません!」
シーザーサラダは、揚げたピザ生地みたいなのをくずして「さくさく」と食べるのがいいのに
彼は、「あぶらっこい」といって、あまり食べなかった。
若い子が好きそうなのにな・・。
そして、彼が「これ、うまい~」といったのが豚汁であった。しぶい。

一番、びっくりしたのが、壁に車があったり、天井にプロペラ機があって
テーマパークのように面白い店内を息子が楽しまないかったこと。

「ああ、やっぱり、ディズニィーランドにつれていっていない子は
あかんわ・・。」とため息。

息子が一歳のときがラストTDL、ラストシーパラ(家族とは)
ラスト海水浴。

3歳では、ウルトラマンショーやら、5歳で、京都のウルトラマンレストランに
いったのだが、幼児期に普段から、テーマパークにいったのが
どうも少ないような気がしてならない。

USJも、いとこと勝手にいってしまって
親と楽しくいった「甘い思い出」がないような・・。

末っ子って、かわいそう~。
3歳くらいの子が「おかあさんといっしょ」でもりあがっているとき
我が家のチャンネル権は、長姉にあり
「セーラームーン」だったから、男の子初めての憧れの異性(?)「歌のおねえさん」が
みられなかった。

それにひきかえ、5年間、一人っ子状態だった長女は、いまだに部屋が
テーマパークだものなあ・・。


こういう幼児期の体験って、関係あるかな?
私は絶対にあるとおもう。

孫ができたら、びっくりドンキーつれていくよ~。
喜ぶ子供の顔が一番のご馳走だもんね。
一緒に嬌声をあげるおばあちゃんにならないように注意しなくては・・・。