Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

イナズマ

2008年08月31日 | Weblog
金曜日の夜の雷は
すごかった。

首都圏に大雨、落雷警報が
発令された。
東京から、近郊への電車が止まった。

夕方から、空より、稲妻が走った。

ピカッ!と走る光は、「エレキ!」というイメージである。
音は、あとからくるし、遠かったので
さほど、恐くない。

稲妻の光は、私が就寝しようとする時間も
続いていた。

さてさて、こんなことは珍しい。

自称、花火女の私は、空にひらめく光が好きなのである。
窓のカーテンを
開け放ち、横臥しても空が見えるようにした。

この夏は、暑かった、
つい、エアコンのスイッチをいれる。
だから、室内の温度は、下がっても
室外機から温風が噴出し、この郊外の街も
温暖化が、すごかった。
稲妻は、そういう人間に対する怒りのように思えた。

古今東西、人間は、稲妻をみると「怒り」と感じる。

天神様もしかり。
平将門もしかり。

・・・・私の怒りもこめて、
もっと、光れ!
(怒る気持ちを、わざわざ、ひっぱりだして、
稲妻をみると、なかなか、気持ちいい)

そんなことを、考えているうちに、
私は、眠った。
その時間、瞬閃だった・・・・・。



親子ともども、お友達

2008年08月31日 | Weblog
よく、「家族ぐるみのお付き合い」と
いうけれども、家族ぐるみって、なんだろう?

実家にいたとき、親戚が集ったり、
親戚にいく家庭だった。
近所の人たちとも、
いやでも、家族全員の消息をしっていたりした。

一家の話題は、誰かの消息について、
ということも多かった。
親やおじ・おばの話は、私は、あったこともない
もう、とっくになくなってしまった親戚のことにまで
及んだ。

好きでも、嫌いでも「家族ぐるみ」であった。

さて、今の私の家庭に家族ぐるみのお付き合いというと
どこのお宅になるのだろうか?
と思った。
家族、全員つきあいがあるのは、
ないかもしれない。

最近、ぼつぼつ、私が、友人たちに、うちの子供の誰かと
あってもらうのは、親戚も会わない生活になれた子供たちに
親ではないが、親に近い大人とのお付き合いを知ってもらいたいから
かもしれない。

反対に、私も、友人のお子さんに会いたい。
春先のことであった。
「高校入学を機にメールアドレスをかえました!」
とピカピカの女子高校からのお知らせメールをいただいて、
「どうしてかな?」と思ったことがあった。
返事をだしたら、お母さんと携帯を共用していたが、
携帯が、独立したので自動的に私にも
メールがきた、ということがわかった。
幼馴染のお嬢さんは、あったことがないが、
高校生になったのだ。

娘さんあてに、返事をだし、お母さんのほうにも、
「私とメル友になってもいいの?」と尋ねた。
「よかったら、なってやって」と返事がきた。
何通か、メールをやりとりして、彼女の成長の
喜びをおすそ分けしてもらった。

先日は、友人の娘さんあてに、手紙を書いた。
喜んでくれたそうだ。
ちなみに彼女は、私のことを「Ponco」と
よぶそうだ。(^.^)

友人が、うちにきたとき、
うちの子供たちとおしゃべりをしてくれた。

他人だけれども、温かい関係。

どうせ、生きるなら、人が好きで、親しみを
持ったり、もたれたりする人間でいたいと思う。




ピアス

2008年08月29日 | Weblog
私は、ピアス派である。

外国にいくと、小さい子でも
おばちゃまでも
耳にピアスをしている。
初めてみたときは
「痛くないのかなあ?」と思った。

私が、中学の頃から、ピアスはあった。
でも、ピアスは、不良がするものであった。
「氷で耳を冷やして、安全ピンで
穴をあけると、痛くないらしいよ。」と小耳に
はさんで、
「そんな、恐ろしい目をしてまで
したくない」と、どうして、ピアスを
したいのか?不思議だった。

 さて、私が、ピアスをしようと思ったのは、
産後のことである。
おしゃれと程遠い生活に、疲れてやつれきった私は、
自分が本当に情けなくて悲しかった。

そこへ、アメリカ帰りの身内が
「ピアスは、楽よ!
クリップみたいに痛くないし!」とすすめてくれた。

お産で、痛い目をしたあとである。
あんな痛い目をしたのだから、耳に穴の一つや二つ、
どうってことない!
それで、おしゃれな気持ちになれるのなら!
と、私は、外科で穴をあけたのだった。

ありがたいことに、
体のサイズが変わっても
ピアスのサイズは、変わらない。
すこし、好みや、似合うものは
変わってきたが・・・。
リングだと、こうはいかない。

まあ、痛いこともあったし、最初から、快適だったわけでない。
膿む体質の人もいる。
合わないピアスに四苦八苦して、つけることもあった。
小さな耳の穴が、大きな長いトンネルのように
思えたこともあったのだ。

****

最近、有名人の男性も、結構な割合で
ピアスをしている。
若いミュージシャンはともかく、
郷 ひろみのピアスは、どうなのだろう?・・・・。
普通のあの年齢だったら、絶対できない。
ためしに、郷ひろみと同級の男性が
ピアスをしたら、友人たちから、袋叩きに
あうのに、違いない!
清原選手の大きなダイアのピアス。
迫力ある性格のせいか、似合っているような気もする。

男性は、どうして、ピアスがしたいのだろう?
幸い、私の周りの同級生の友人あたりには、
ピアスをしている人はいない。
(・・・・似合う人が、皆無なので、「幸い」ということだ。
似合わないのに、ピアスをされたら、周りのこちらが、
目のやり場がない)
でも、子供たちの世代は、男性もしそうだなあ~。

****

ネパールの人に初めてあったとき、
鼻にピアスをしていた。
私は、どうなっているのか?
生活に支障がないのか?
不思議で仕方なかったが、
ぶしつけだと思って質問できなかった。
今だったら、好奇心旺盛なおばさんとして、
いろいろ、聞くことだろう。
残念なことをした。





1995年

2008年08月28日 | Weblog
今日、意を決して
写真の整理をした。

アルバムは、大量に入ることが
優先である。

・・・といっても、結局、1995年と1996年分しか
写真を収めることができなかった。

1995年は、収納できる限界の400枚ほど
あった。
思いをはせず・・・・と思っていても、つい、
懐かしくなって、見入ってしまう。
この年は、私の人生の中で、黄金色だったかも
しれない。

子供たちが、小さくて、私は、毎日、くたくただった。
今より、20キロ近く、痩せている。
夏、汗を拭くひまがなくて、
あせもができて、びっくりした。

私は、10年日記を1990年からつけていた。
この日記の箱を開けると、
「記録は、必ず、お役にたちます」という言葉が
書かれた紙が入っている。

順不同に、現像されたまま、残してあった写真を
思い出ごと、そのうち、日ごと、行動順にだんだん並べていった。
日にちが、わからないときは、10年日記をみると、
記されている場合があった。

腑に落ちない日付があった。

幼稚園のダンスや劇をお披露目する子供劇場の日と
ピアノの発表会の日が同じようだ。
この二つは、それぞれが、一日がかりの
メインイベントだったから、「あれっ!?」と思った。

1995年は、午前中、幼稚園で、子供の舞台に
夢中になり、午後は、ホールで、発表会に
いっていた!

幼児をつれて、すごい!

私は、驚いた。
記憶がないのである。

それでも、写真や、日記の記録をとり続けたのだ。

夏、帰省する新幹線で、発作を起こした。

それから、だんだん、私は、発作が頻繁に
起き出し、記憶がない時期がある。

写真の中の子供たちは、可愛い。
おじいちゃん、おばあちゃんたちも
元気そうだ。

私は、子どもたちが、生き生きとして、
楽しい表情で、育っててやれたことを
誇りに思った。
元気な子供たちがいて、イベントが、たくさんあって、にぎやかで、
それは、私のキャパシティーを越えたものだから、
私は、つぶれてしまったけれども、
子供たちは、大きくなった。

一番したの息子なんて、天使のようだ!

と思っていたら、ピンポ~ン!ピンポ~ン!
とチャイムが連呼し、
「オレ!」と野太い声が帰ってきた。

ああ、あの可愛いおかっぱの坊ちゃん、
いずこ?

(写真は、翌年のハロウィーンで、
クロネコになりきる姉、弟)




蝉時雨

2008年08月26日 | Weblog
今日は、体調不良で
一日 休んでいた。

たまたま、昨日、夏の疲れがたまっていて、
たまたま、昨日、常用の薬をのみそこなって
たまたま、昨日、ストレッチもしていなくって
たまたま、昨日、気温も低くなって
たまたま、昨日、シャワーですませてしまって
たまたま、昨日、うたた寝して・・・。

もう、やめるが、
たくさんの「たまたま」が
重なって、うたた寝から目が醒めた深夜2時には、
もう、頭痛と肩こりがひどくなっていた。

今日、体温計は36度を越えなかった。
「なんじゃこりゃ!?」の体調だった。

昼過ぎに目が醒めたら
静かだった・・・・。
でも、耳をすますと音に囲まれていた。

蝉時雨らしい。
しばらく、その音だけを聴いていたが、
サラウンドの蝉時雨に
恐怖感をおぼえた。
降りしきる雨のようでいて、
雨の音は、怖くないから、
今日の音は、独特の音感がある。
蝉時雨は、はかないイメージだったのに、
細い音が、たくさんあると、分厚いカーテンで
自分が、隠された世界にいるようだった。
藤沢周平さんの時代小説も
儚いけれども、強い二人の世界だった。
「なんで、あんなに、音を立てているんだろう?」
と、ふと思った。

今は、違う虫の音が、サラウンド・・。
蟋蟀かな??

こんなに絶え間なく、聞こえると
怖い。


夏の終わり

2008年08月25日 | Weblog
昨日の北京オリンピックの
閉会式は、開会式同様
すごかった!

花火女であっても、あの花火には、
参った!参った!
現地にいたら、「ひぇ~!お助けください!」
と 土下座していたことだろう。
「今年は、たくさん花火をみた!」と
テレビでみた私は、満足である。

オリンピックの宴は終わった。
我が家の子供たちの夏休みも
そろそろ終わる。
明日やあさってから、学校が始まる。

昨日は、関西では地蔵盆だった。
私にとって「地蔵盆」は夏の終わりを
告げるもの。

残念ながら、今の生活にお地蔵様は
ないので、その季節感を実際に味わうことは
できない。
今年は、父がもりあげ、母が今も守っている
実家の地域のお地蔵様に
上の娘がお参りしてくれているはず。
私は、自宅にいる子供たちと外食にいった・・・。
「今日は、地蔵盆で・・。京都はすごい盛んやねん」
そんなことをいうのが、精一杯。
子供たちは、たいしたところに行かなかった夏だった。

夏休みの終わりに母子3人で、外食にいった。
それくらい。

地蔵盆になると、残った宿題のことで
あせったものだ。
今年、私にも、通っている講座の宿題があった。
さて、なにだったっけ?
さび付いた頭も、そろそろ 動かさないと・・・・・。

成功者の顔

2008年08月23日 | Weblog
さっき、ある店で遅いお昼を食べていた時に
感じたこと。
そこは 時々 行列ができる店で、すいているときに
何回かいったことがある。
安くて、美味しいお店だ。
2時前だし、行列はないし・・。
と思ってはいったら、どっこい!
混んでいて、一人の私は、男性に挟まれて
カウンターにすわることになった。
カウンターにすわるのは、好きだが、
小さな店だし、ちょっと苦手な空気で
縮こまってしまった・・・。

料理人の勢いあるしぐさをみるのは
好きだから、なんとなくみていたら、
店主の顔が、なんともいえず、
いい顔をしていらっしゃる。

それで、次々と思い出した「いい顔」の主は
イラストに描きたくなるような顔
じゃないかな?
ということ。
コミックに載っているお店にいったときも
そう思った。
コミックは、読んでいないので
どんな顔に描かれているのか
知らないが。

なんでだろう?
ツヤがあるのではないだろうか?
なにか、光っている。
シワは、年相応にあるのだが、
いやな小じわがない。
表情が、得ににこやかというわけでなくても
いやな感じがしない。
むしろ、みていたくなるような顔だ。

そういう顔が、この店主で、4人目。
みんな、繁盛している。
お店ではないのだが、
「繁盛」という言葉が、ぴったりする人もいる。
男性は、お化粧をしないから、
もろに出てしまうのかもしれない。
デフォルメされた似顔絵を描かれたら
人生の成功者だと思った。



めやす

2008年08月23日 | Weblog
今日は、わりと涼しいせいか
私が、新聞を読んでいると
猫のたい吉が、紙上に乗ってくる。
「遊んで!」のサインだ。

やっと、遊ぶほど元気がでてきたか・・・。

たい吉の元気のめやすは、
こういう行動だ。

テレビをみていたら、IHでクッキングをしていた。
私は、IHで、料理をしていたことがないので、
「これじゃあ、火加減がわからない」というと
子供が
「お母さん、バカだなあ。
ちゃんと、目盛りがあるんだよ!」と
バカにした。

そりゃ、慣れればできるだろうけれども
目に見えない火力で、どうやって長年
かかって身につけた「加減」というものを
いきなり、できようか?

なんでも、デジタルで考える子供世代には
私のようなアナログは、理解が遅くてバカバカしいのだろう。

人間の勘というのは、すばらしいものだ。
職人技をみたとき、感動する。
機械には、できない世界もある。

人間は、火を操れるからサルと違うのだ。
お鍋の底にあたる火加減が、一番
光熱費が、節約できるのだ!
けち臭いことを実践して、今の生活があるのだが、
それを子供に伝えようと思っても拒否されてしまう。

なんでも、目安とか、加減というものは大事だ。

さて、今日は、私は、お化粧をする気になった。
割りと元気は、あるみたい。
お化粧する気があるか、ないか?
自分の気力のめやすである。
ないときは、「する気さえない」というだけで、
少しへこむのだ。


お薬

2008年08月21日 | Weblog
今年の夏の厳しさにもかかわらず
うちの家族は、元気ハツラツゥ~!!
とまではいかないものの
寝込んだり、医者にかけこむものは
今のところいない。

ありがたいことだ。

しかし、
猫のたい吉だけは、相当こたえているようで
下痢を何回がしている。

蛇口から出る水がすきで、誰かが、水道を使う音が
聞こえると、ぐったりしていたくせに、飛んできて
水をぺチャぺチャとのみ、片手ですくって口にやり、
しまいに、頭からちょろちょろ水をかぶるのである。

なにしろ、毛皮を着ているのだから、さぞかし、
暑かろう・・・。
脱水状態だけは、避けてやりたい。
水を追いかける姿も、まことに可愛らしいので
好きにさせておいたら、結構、下痢をしてしまい
自分のトイレに間にあわず、粗相をする結果に
なってしまった。

一度は、吐いているのをみたりして
「これ、嘔吐下痢じゃない!?」と
子供たちが小さくて、よく罹ったときの
面倒くささを思い出した。
食べるもの、飲むものの管理をしないといけない。

この夏は、そんな状態だったが、医者にいくほどでもない。

昨日、ペットショップに、餌と猫砂を買いにいった。
たい吉も久しぶりのお出かけである。

前にきたとき、犬猫の下痢止めというのを
見つけたのだが、どういうものかわからないし、
たいしたことがない、と思って買わなかった。

昨日、そこのコーナーにいくと、
もう、一箱しか残っていない。
しかも、高いほうである。

「胃腸のためのサプリ」というものある。
人間でいうとビオフェルミンみたいな
乳酸菌のようである。
それも、それをとると
「品切れ」のプレートがでてくる。

今年は、よそのワンちゃん、ネコちゃんたちも
おなかをこわす子が多かったのね・・。

これを逃すと、クリニックにいくはめに
なったとき、出費が、もっとかかる。
そう思った瞬間
最後の下痢止めをやっと、買う気になったのである。

帰ると、息子も
「おなかをこわした~!!」と
叫ぶので、
「今日、下痢止め、買ったよ。」といっておいた・・・・。


干ししいたけ

2008年08月20日 | Weblog
我が家は、日当たりに
恵まれた家である。

お陰さまで、この夏は、
ドライフワワーが、たくさんできた・・・・。

もらった薔薇が次々とドライになっていった。
非常に、「うとし」と思った。

で、2日前から、余った椎茸を窓辺においてみた。
料理雑誌を読んでいたら、
日に干すことが、うまみを凝縮する
と書いてあった。

そうだ!そうだ!
花を干すより、野菜を干そう。

・・・・というわけで、とりあえず
生椎茸を干している。

「チャングムの誓い」で、
ひたすら、薬草を干すオジサンがでてきた。
理由は、わからないが、干したいのだそうだ。

本能なのかな?

2日間、干した椎茸は しなびて量が
少なくなった。
「えっ!こんなに小さくなった・・。
高いどんこ椎茸は、元は、どんな大きさなんだろう?」
と思った。

身近な場所で、乾物を作る。
お日様の恩恵を被ろう。