Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

花火大会

2010年07月31日 | Weblog
大阪へ帰っている間は
連日、誰かとあっていた。
キャンセルがでたのが
ちょうどいいくらいだった。
 
で、今、ふられまくっている。
明日の花火大会。
私が好きなみなとみらいの花火大会である。
(鎌倉は、特等席でみたものの
帰りが大変だったので、以後、あきらめた)
 
3年前は、浴衣をきたカナダ人の女の子
男の子二人と息子を自分も浴衣をきて
つれていった。
一昨年は、あきらめていたが
おもいきってひとりで出かけた。
昨年は、大船の100円ショップで、急遽
シートをかったが、やはり、いくモチベーションがさがってしまって
だめだった。
 
****
 
 
今、3人の友人に振られた。
本当にそれにフォーカスを合わせるのなら
もっと早くから、多くの人に声をかければいいのだろうが
私は、自分がいける自信がない。
今月は、予定外にクリニックにいっている。
木曜日もいったところだ。
朝、頭痛、毎日、情緒不安定に苦しんでいる。
 
明るい気持ちでいるなら、誰にでも声がかけられる。
しかし、私は、花火を親しい人と静かに観たい、
とおもったら、アポを取り損ねて、またまた昨年のくりかえしである。
 
今日、メールをしたのでまだましなほうだ。
 
今年は、浴衣をきていきたいのでだれかといこうか?
とおもったのだ。
最近、私は、家で、浴衣をきているときがある。
文字通りに湯上りのときもあるし、
着替えて浴衣のパターンもある。
暑いとおもわれるが、
冷房をかけると腕やら、足やら冷えるのである。
きつめに冷房をかえて、浴衣で、体全体を包んでいると
調子がいい。
きるときに、腰紐をくいっときつく骨盤に結ぶのもいいし、
おはしょりは、丹田あたりを冷やさない。
というわけで、弱ってきた女性の体にはよいというか
理にかなっているとおもうのである。
 
それで、新しい下駄を買った。
だから、花火大会は、外にきていける浴衣で
(家できているのは、本当に普段着なので)
新しい下駄でいこうか・・。と。
頭も、普段から外出には夜会巻きに結い上げるときがある。
なのに、なんで、日本の行事、花火大会に
浴衣をきて、いくという当たり前のことができないんだろうな?

グリーンカーテンの内側

2010年07月26日 | Weblog
今年は、グリーンカーテンをいくつかつくろうと
結構がんばった。

朝顔もつくってみた。

これは、ゴーヤーのグリーンカーテンの内側。
暑さが勝ってしまって、カーテンなんて、役に立たない。
冷房をいれて、家にこもっている。

でも・・・。
このゴーヤがぶら下がっている内側は、心なしか
静かで、涼しい気がする。
アリエッティほどでなくても、誰かいそう・・・。

明日は、ゴーヤーとトマトと、大葉とバジルとパセリの
Poncoの夏のお惣菜を食べよう。

亭主在宅症候群

2010年07月25日 | Weblog

帰宅したら、ゴーヤの小さい実が二つ、なっていた。

トマトもできていた。

綺麗な緑や赤をデジカメで写しても、容量が大きいのでこのブログに
アップできないのが残念におもっていた。

本屋にいって、テキストをかってきた。

デジカメの写真の容量を小さくする方法を昨日は
試してみた。

ああ、めんどうくさい。
携帯でとったほうが、とても楽なのだ。

パソコンも重くなるだろうし。

でも、やりたいことがふえてしまって・・。


大阪に帰ると、ブログやメールを読んだ友達が必ずいうことば
「優雅な生活しているねえ・・。」「調子いいみたいね」


びっくりした。


私は、最近、とても不機嫌な生活を送っている。
毎週末は、修羅場である。

「亭主在宅症候群」であり、2週間前には、急患で、メンタルクリニックにいって
薬が増えた。
昨日の夜は、安定剤の飲みすぎで、意識朦朧であった。

でもブログやメールには、ネガティブワードを、できるだけかくのを
やめようとおもってこの数年かいてきた。

パニック障害や、鬱と闘い、
そういうこともぼつぼついうので、最近では、なにげなく
相談されることも多い。
最近は、子供の不登校の話が集まってくる。
自分のことのように考え、アイデアがあったら、どんどん
アウトプットする。
おせっかいとおもわれようが、子供の人生のほうが
大事である。

私の生活は、すべて「養生生活」である。

こんなに薬を飲んでいるのだから、肝臓の値が悪かろうが、
腎臓になにかあっても、不思議はないのである。
納得、納得。


で、昨日は、家の経済状況の対策をねるため、部下の奥様から情報を得ようと
メールしたところ、彼女も、完全に『亭主在宅症候群」で悩んでいた。

おお、同士だ!
 


ゴーヤやトマトをたべて、お肌にいい、と思い込み、
やりすぎすごしていきていく。

私は、決して、不幸ではないが、みんながおもうほど、幸福な気楽な生活を
しているわけでもないですよ~。



みずうみの詩

2010年07月25日 | Weblog
「みずうみの詩」も我々がお稽古した曲である。

はじめに独奏がある。

おわったあと「あのとき、独奏は、誰が弾いたっけ?」
部長のよっちゃんだったとおもう。

よっちゃんは、おっとりしているが、どっしりしていて
なにか、まとめないといけないときは
ものおじなく、「じゃあ、私がやるわ」といってひきうけてくれた。
17弦という、たった一人しかひけない、間違いがゆるされない楽器も
よっちゃん担当であった。


あとで食事しながら、彼女は、あのころを思い出したという。
今の生活は、我を出してはいけない環境らしい。

私は、自己主張をしなければだめな環境で、この何十年もいきてきた。
だから、しゃきしゃきうごくし、yes noをはっきりいわれるし、いうことになってしまった。
関西女性のしとやかやさとか、おくゆかしさなんで、ふっとんでしまったのだ。
でないといきていけなかった。


よっちゃんは、「あのころ、私は、もっとしっかりしていたのを思い出したわ」といった。

見た目の雰囲気は変わっていないのに、環境で、人間は変わるものである。

ああ、ちょっと反省した。
しゃきしゃきする自分が、とてもいやなのだ。

でも、しないと、誰もしてくれないし、ことがすすまないのだ。

優しさやら、癒しがほしくて、いらいらしている私がそこにいる。

光と風と

2010年07月25日 | Weblog

「光と風と」という曲がある。

この曲は、高校を卒業したばかりの若いお嬢さんたち3人が演奏した。

私たちも高校のとき、演奏した。
現代曲で、テンポがはやいことから
弾いていて気持ちがいいのだ。

先生も「これ、定番やわ~」という。

この3人のお嬢さんたちの演奏。
色気がなかった。

ああ、我々も、きっと色気がなくて
ツンツンと演奏していたんだろうな~。

テンポが速くて弾くのが気持ちいいものだから、
みんなで、どんどんはやくなって、弾いているものたちが
気持ちよかったのだ。


今、練習したら、みんな、しっとりひけるかな?
花も嵐も踏み越えてきた数十年だもの。


2010年07月25日 | Weblog
『鷹」という大曲を弾くはんちん。


おくのほう。

お琴は、西洋楽器とちがって
音量がない。
曲によって、調弦もことなるので、綺麗にそろった音というのが
なかなか、難しい。

楽屋では、調弦に大変な騒ぎであることだろう。

それでも、舞台にでれば、集中して、みんなで心をひとつにして、
やっと、美しい音が奏でられる。

西洋楽器より、ずっと繊細な楽器だ。

2010年07月25日 | Weblog
『鷹」という大曲を弾くはんちん。


おくのほう。

お琴は、西洋楽器とちがって
音量がない。
曲によって、調弦もことなるので、綺麗にそろった音というのが
なかなか、難しい。

楽屋では、調弦に大変な騒ぎであることだろう。

それでも、舞台にでれば、集中して、みんなで心をひとつにして、
やっと、美しい音が奏でられる。

西洋楽器より、ずっと繊細な楽器だ。

やっと会えたね!

2010年07月24日 | Weblog
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昨年のお正月、「よし、今年は、はんちんに会おう!」と
おもった。

7月に帰省し、自宅にもどったあと、その数日後に
彼女の演奏会があることをしった。

もう少し、はやくわかっていたら、いけたのに・・。
そして、高校時代の筝曲部の仲間と同窓会ができるかもしれない。

そんな夢をもって、今年は、「いつなの?」とうるさくきいていた。

彼女の近況もわかったので、彼女に必要かも?
とおもわれるものがおもいついた私は、「記憶に残る贈り物」を目指して
買い揃え、郵便局に走った。

私の誕生日は、彼女の演奏会の前日だった。
打ち上げがあるので、一緒に私と食事ができないので
私は、お願いした。
「私の誕生日のプレゼントに、お琴を弾いてくれる?」

贈り物のお礼になにをしたらいいのか?
という彼女に私はいった。
「春になったら、また毎年、いかなごのくぎ煮を送って!
春になったら、はんちんから、瀬戸内から春がやってくる。
素敵じゃない?」

私の演奏会は、始まる前に終っていた。
彼女と一緒につくりあげたきたこの日にむけてのわくわく感が
私へのプレゼントだったから。

さて、高校時代のクラブの部長も○0年ぶりに再会し
指導してくださっていたお師匠さまとも○0年ぶりの感動の再会だった。

先生は、当時の名簿をもってきてくださった。
「○○期、よくまとまって熱心である」

先生は、OG会がほしいとおもいながらも、外部からの指導者であるため
学校から、名簿など手にいれることができなくて、組織だったことができなかった。
しかし、今回、私たちと連絡がとれ、私がネット関係で、広報したことで
希望がみえたといってくださった。

たいしたことはできないが・・・。

同期の同窓会の世話人もしたので、「個人情報、まとめておくりま~す!」
といっておいた。
せいぜい、9人の同期であり、それぞれ、事情があるので
本当に、万障くりあわせないと、あえなくなってしまった。
しかし、「会いたい」とおもう人には、会えると信じたい。

来年も、7月16日に演奏会が西宮であります。
今度は、同期にも、早い目にお知らせしようとおもう。


お琴の演奏会

2010年07月23日 | Weblog
先週の金曜日から、大阪に帰省していた。

今回も、いろんな予定があったが
メインイベントは、高校時代のクラブ仲間の
お琴の発表会。

神戸までいってきました。
彼女のプロデューサーとして!
普段、素顔ですごす彼女に
あらかじめコスメやらメイク道具を送ったら
さっぱり、できません~状態らしいので
私も、自分のメイク道具をもって
神戸へ。

着物姿であわられた彼女と
ハグハグの再会。
集合写真前の数分で、私が考えていた
彼女のチャームポイントを生かすメイクをしてみた。
彼女のきりっとした眉とまつげは、うらやましい。

そのあとは、彼女の追っかけとなり
写真をとりまくる。

娘の発表会にどきどきするステージママのようであった。

子供が成長し発表会がなくなると、今度は、親友の発表会に
はりきることができる、って、うまくできているなあ~。

恩師の声と言葉

2010年07月13日 | Weblog
絶不調でねていたら横の携帯がなった。

高校時代の恩師だった。

Hちゃんのお琴の演奏会のお知らせを
先生にもお知らせするように、友人に
頼んだ。私の連絡先をしらせておいてもらったので
ひょっとしたらお電話があるかも?
とはおもっていた。

先生の語り口は、あっというまに高校一年の
教室に私をつれていってくれたようだった。
一年の担任であり、クラブの顧問であった。
2年間、家庭科を教えてもらった。

卒業してから、お会いしていないような気がする。
秋の同窓会では、私が不参加でお会いできなかった。

先生は、しっかりした口調ながら、
狭心症で、入院し、先日、やっと退院した
ところだという。
それで、今回は、失礼します、ということだった。

先生の大阪弁が、懐かしくて懐かしくてたまらなかった。

「あんた、横浜からいかはるねんてねえ~。
人のお世話をすることはええことやさかい、
ドンドンしなさい。
人に頼っていたら、アカン!アカン!」といってくれた。
私が、「遠くで、なにをしているんだろう?とおもいます」といったときの言葉。

自分がしていることが、おせっかいとか、無意味とか
なんというか、人からみたら、ばかばかしいことなんじゃないか?
と自分にといかけても、意地みたいな答えしか
でてこない。
そんな立ち位置不安定な私に、明確な答えを
いとも簡単に授けてくれはるって、やはり、今も
恩師だ!とおもった。

私の不調は、この時期いつもなるが、
ここのところ、毎週末、ひどくて
日曜日に急遽、受診し、薬が増えた。
そして、この数日、寝ている。
家のものは、寝ている邪魔もしない代わりに
様子をみにもこない。

自分たちが、原因なのに、知らん顔である。

神経過敏になった人間のつらさは、健康な人には
わからないことだ。
うちの子供たちは、みんな私のように弱弱しくなくて
自分がしたいことは、譲らない。

友人は、「Poncoの自己主張できる性格がうらやましい」という。
私は、自己主張をするけれども、自分勝手ではないから
結構、人にふりまわされて、おもやもやに、よくなるのよ。
流されっぱなしだったらいいのに、自己というものを
しっかりもっていたいものだから、衝突も多くてね・・。

それから、神経過敏、神経症。

そうものをもっていながら生きているのは
器用そうにみえて、とても不器用な生き様だ。

みんな「がんばりすぎないようにね」といってくれる。
がんばらないと、自分がおもったことができない。
だから、がんばる。
その結果、疲れてくたばってしまうから、
みんな「がんばりすぎないようにね」といってくれる。

がんばっているとき
「その辺でやめときや~」といってくれる人もいないから
私は、自分で、アクセルを踏み続けてしまう。

無能であるより、有能でありたい。
昔、そんな風に教育されなかったか?
今は、損をするなら、しないこと、
みたいな教育になっていない?
ゆとり教育って、自分の能力もださないで、しまってしまうような気がする。

****

高校時代の恩師は、がんばってきた世代の人。
自分もがんばり、生徒にも「がんばる」ことを教えてきた。

いろんなことを否定されているような気がしてならない私に
「ドンドンやりなさい」という明快な言葉は、先生が生徒に
かける不朽の言葉のように思える。

先生、いつまでお元気でいてくださいね。
難波あたりで、小さな集まりができたらいいですね。
先生にあわせて、アレンジできたら・・。とおもいます。