参道を降りてそのまま帰るにはあまりにも惜しいこの光景。せめて看板と店構えだけでも写真に残したい・・できればこの素晴らしい信楽焼きも記録に残したい!
焼き物に目が無い亭主殿はもう狂喜乱舞😅。ねぇ、入り口の左右には仁王さんですよ、仁王さん!!狸仁王様が阿吽の呼吸で見得を切り、肩布をまとっているんですよ!!
ちなみに狸仁王様は玄関横の通路にも大小の二体が展示されていましたが、個人的には玄関横の狸仁王様の迫力には今一歩、及ばない気がします。
反対側には体より大きな金棒を持って見得を切る「鬼」。大口を開けて高らかに天を見つめる「鯉」。何を待っているのでしょう?
阿吽の信楽狛犬さん。透かしの玉を口に咥える阿形さんと、大きな透かしの玉を両手に抱える吽形さん。いやもう・・・・可愛い(^^;)
あまりの楽しさにツイ我を忘れて声が大きくなっていたようです。お店のご主人が出て来られ、中に案内してくださいました。恐縮する二人に、丁度お昼ご飯が終わって店を開けたところだからと・・・、私たちには思いがけない幸運でした。
狸庵初代『藤原銕造氏』が「狸」造りに着手したのは、明治20~30年頃の事。清水焼の工房に9歳で引き取られ、11歳のときからロクロをひいていた修行中のある月夜の晩。音羽山で腹鼓に興じる野生の狸を見、その可愛らしさに魅せられたのです。
「夢か、幻か、縁起が良いと言われる狸の腹鼓。何とかその姿を再現したい」と・・・三代目「狸庵」の『藤原一暁さん』は、何十回も繰り返したと思われる話を、いかにも楽しそうに語ってくださいました。
屋内には「狸庵」創業の第一歩となった「初代:藤原銕造氏」作の、信楽焼き狸が展示されています。
そしてこれが二代目狸庵さんが生み出した信楽狸。全体にぽっちゃりして顔立ちも可愛らしくなっています。たとえば本物の狸のように前に突き出した鼻は、配送のときに割れてしまうので、ぐっと低く。そんな工夫をしていく上で、やはり顔も可愛い方がいい、お乳も大きい方が良い、腹も白い方が良い、お腹は太っ腹の方が良い・・・様々な試行錯誤をかさね、愛嬌ある可愛い狸が出来上がっていったのです。
工夫され研鑽されていった信楽の狸を、一躍全国区にしたエピソード。それは昭和26年の『昭和天皇』信楽町行幸での事。狸庵さんは、日の丸の旗を持ったタヌキを沿道に並べて行幸を歓迎🎌🎌。子供の頃からタヌキの置物を集めていた『昭和天皇』はたいそう喜ばれ、御歌を読まれました。
【をさなきとき あつめしからに なつかしも 信楽やきの 狸をみれば】
その話はマスコミに取り上げられ、信楽タヌキは一躍全国区規模で有名になりました。
店内には実に様々、あらゆる狸さんがいてそれはもう見ているだけで笑えてしまうのです。もちろん狸だけではなく、信楽焼きで作られたものなら何でもありの、まさに焼き物パラダイス。
時代に流されること無く、受け継いできたものを大切にして生み出され続ける三代目の信楽狸たち。その豊かな表情は、信楽の狸を散々見てきたつもりの私の目にでさえ、とても新鮮に映りました。
楽しいお話と素敵な狸さん、それに既に芸術作品と言っても可笑しくないような信楽焼きの数々を見せていただき、もうこれ以上は無いほどの大満足。
さらに、嬉しい事に工房の方に有る「狸公園」も見に行ってよいと言って頂き、有り難くお言葉に甘える事にしました。そこから先は明日の「たぬきや総本家 :狸庵~其の三」で。
訪問日:2011年2月27日