旧坂田郡近江町(おうみちょう)は琵琶湖の北東岸に位置した町です。米原市、長浜市に隣接。町名は、町制施行当時「近江真綿」のブランドで知られた真綿の一大産地だった事に由来。米作、真綿を特産とし、「近江真綿」を用いた寝具製造も行なわれてきました。「町の木:モクセイ」「町の花:サツキ」を制定。
旧キャッチフレーズは「ひとが輝き 人が活きるまち」
明治22年(1889)、町村制の施行により、坂田郡法性寺村・息長村が発足。
1894年、息長村大字顔戸・高溝・舟崎が分立、坂田郡日撫村が発足。
1897年、法性寺村大字加田・加田今が分立、坂田郡神田村が発足。
1942年、神田村、法性寺村、日撫村が合併、坂田郡坂田村が発足。
1955年、坂田村、息長村が合併、坂田郡近江町が発足。
2005年、米原市に編入されました。
マンホールには「町の木:モクセイ」と「町の花:サツキ」「繭」がデザインされています。
淡海環境プラザ展示マンホール「町の木(モクセイ)、町の花(サツキ)、繭(まゆ)をモチーフし、それぞれ O・M・I を模っており、繭については「近江」を表現しています。 上方の「町章」は「近」の文字を図案化したもので、 町の平和と団結をあらわし、あわせて飛躍発展を端的にシンボル化したものです。」
昭和37年(1962)4月20日制定の町章は「「近」を図案化したものです。」
ここ近江は山内一豊の正室:千代の出生地とされており、「道の駅:近江母の郷」では二人の顔出しを設置し「千代の出生地」をアピールしています。「山内氏系譜」によれば、浅井氏家臣の若宮友興の子で、近江国飯村で生まれたとされています。ちなみにですが、郡上市の慈恩寺所蔵「美濃郡上八幡城主・遠藤氏の系図」には、遠藤盛数の娘が山内一豊室であるとの記載があり、どちらも千代の出生地を標榜しています。
撮影日:2008年6月14日
こんにちは!
マンホールに繭ですかっ!?
珍しいですね。、なんの繭なのかなぁ😉
繭はお蚕様の繭です。
綿の文字から、真綿は綿花と勘違いされがちですが、実はお蚕様の繭の糸を指します。
旧近江町は、最高級繭を使った近江真綿の一大産地
そんな関係で、マンホールにも繭が描かれています😊