今日はわかる人にしかわからないかたよった日記なのですみません。
先日お店のポストを開けたら一枚のハガキが。
そこに書かれていた文字を見た途端「高井豪からだ!」とすぐわかった。
ごつい顔に似合わない(失礼)丸みを帯びたキャピキャピした文字。20うん年前と変わってない!
そして通信面にはこの文字でびっちりと近況が書かれていました。
僕も時々日記で高井豪どうしてるんだろうとか書いていたら、お客さまが知り合いで連絡を取ってくれたようです。ありがとうございます!
たぶん20うん年会ってないと思う。
1990年以前の昔からマウンテンバイクやBMXに乗ってた方なら高井豪の名は知っていると思います。
BMXで活躍し、その後マウンテンバイクでもクロカンにダウンヒルに活躍し頂点ではないけれど常にトップグループにいた高井豪。
草分けの中の一人です。
アメリカで行われた世界選手権にも一緒に行ったし、日本各地のイベントやレースに飛び回った。いろいろなところに走りに行った。
BMXやマウンテンバイクが夢と未来に満ち溢れていた時代でなにやっても楽しかった。あ、今でも楽しいか。。。。
高井豪といえばメッキ。
大学を卒業してアラヤ工業に就職し、超人気バイクだったマディーフォックスというアラヤのオリジナルマウンテンバイクに貢献しました。
彼でデザインしたマディーフォックスには必ずメッキ(クローム)があったので、当時の仲間うちでは、高井豪の好きな色といえば「メッキ」が定説だった。
高井豪といえばたべっ子どうぶつ。
つねに食べてました。三度の飯よりたべっ子どうぶつが好きだった。
友人宅で雑魚寝して、目が覚めてうーんと伸びをした手の先にはちゃぶ台の上にあったたべっ子どうぶつの箱。すかさず取り出し口にいれるという離れ技を成し遂げた高井豪。
パソコンが珍しかった時代のワープロで、「たかい」を変換すると最初に「他界」がでてくるという高井豪。
人懐っこい性格でみんなからかわいがられていました。
ハガキには(そもそもハガキの面積に収めてくるボリュームの近況報告じゃなかったですが)、すっかりマウンテンバイクから遠ざかっていたのでいろいろな意味で浦島太郎状態だということがびっしりと書かれていました。
会いたいなあ。
そうだ、この時代(80年代~90年初期)の人の集まりやろう。
高井豪、ありがとね!
近いうちに会えると思う。
で、まだ耳たためる?
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