




当時、ローマ法王のお膝元で先進国だったイタリアと仲良くして拍をつけるために、フランソワ1世は、息子で跡継ぎの国王となる、アンリ2世の嫁として、カトリーヌを迎えることになったのです




14歳で嫁に来たカトリーヌの不安は察するに余りがあります。夫のアンリ2世は、正妻カトリーヌには目もくれず、自分の気にいった愛人とべったりの体たらくです。そんなとき、助け船を出して、要所要所でカトリーヌを救った人が、ディアンヌ・ド・ポワチエでした




しかし、カトリーヌには、先見性と深謀遠慮がありました。そのおかげで、受け入れがたい事実を、ディアンヌに対する笑顔と礼儀正しさで本心をカムフラージュしながら耐え忍んだからこそ、自分の時代がもてたのです。シュノンソー城の主人公となれたのです。

ディアンヌはご覧のように男性好みの女性です。

フランス王室の愛妾物語にも登場する「華のある」愛妾です。カトリーヌ・ド・メディシスは、歴史の上では、権謀術数の固まりであるとか、新教徒の虐殺にからんだ冷徹で冷酷な人物だと!、人気はイマイチです。
しかし、カトリーヌの名誉のために言わせてもらえば、14歳で異国の地に嫁いで、人脈も後ろ盾もなく生活し、なおかつ夫のアンリ2世はあの体たらくという情けない夫である、そんな過酷な現実を生きたカトリーヌを生かした原動力として、自分の「深謀遠慮」と自分の「知恵」以外、何を頼れば良かったのでしょうか?カトリーヌの時代は、王様の事故死の後すぐやってきました。すかさず、カトリーヌは、「神の喜び給わぬ不倫が宮廷内にあってはなりません。」という名言を残して、ディアンヌをシュノンソー城から追い出し、ショーモン・シュル・ロワール城に追いやります。

夫を亡くして後ろ盾を失いうろたえるディアンヌから住居を奪い、権力をはく奪し、カトリーヌの倍返し は完結するのです

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