ホリデイ現役添乗員日記

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二つの橋物語~モスタルとサラエヴォ~

2012-09-06 20:29:41 | ホリちゃん中欧
ホリちゃんです今回はボスニア・ヘルツェゴヴィナの2都市の物語ですクロアチアと国境を接していますが、一歩入り込むと、カトリックや正教の雰囲気からイスラムの雰囲気に一変します。モスタルは、昔、オスマン・トルコの支配下でイスラム教が広まりましたが、宗教に寛容なトルコの政策のおかげで、キリスト教徒やユダヤ教徒までが共存していたエスニック・タウンでした

       

ネレトヴァ渓谷に架かる古い石橋が良く知られています。この古橋を含む旧市街は、2005年にユネスコの世界遺産に認定されています

       

       

「スタリ・モスト(スラブ語で「古い橋」)と呼ばれます。この橋の両岸にモスタルの街が発展し、人は宗教を超えて深く付き合い、結婚し、子供を育て、つまり共存共栄に重要な役割を果たした「平和の架け橋」の様な存在でした。この平和をうち砕いたのが、ボスニアの内戦で、ムスリム人とクロアチア人がこの橋を挟んでにらみ合い、対峙しなければなりませんでした1993年、橋は砲撃で破壊されましたが、この橋の「調和と協調」の精神は決して忘れ去られてはならない、というのがボスニアだけでなく周辺国の共通認識でしただからこそ、2004年の石橋の復元式典には、イギリスのチャールズ皇太子などの世界的知名度の賓客が多数列席する盛大なものとなったのです

       

現在の橋の袂には、「93年を忘れるな」という文字盤の石碑が立っています。

       

       

石橋から、旧市街のメインストリートを歩いてみると、今でもムスリムの雰囲気です。
新市街地も、整然たる街並みで見事です。

       

       

今度は、サラエヴォへとびます。サラエヴォは、旧ユーゴを象徴したような都市で、カトリック、セルビア正教、イスラム教と3つの宗教、それ以上の複雑な異なった民族構成で、内戦の傷跡が最も生々しく残る都市ですここにもラティンスキー橋という有名な橋があります。不幸な歴史を垣間見ることになるのですが、第一次大戦の引き金になった、サラエヴォを訪れるからには、避けて通れない橋です

       

1914年6月28日、いわゆるサラエヴォ事件が起こります。この地を訪れたオーストリア・ハンガリー帝国の王位継承者、フェルディナンド大公と妻ソフィア夫妻が、ラティンスキー橋の袂で、テロリストに狙われ、狙撃され、命を落としたのです。やったのはセルビア人の青年ということで、オーストリアはセルビアに宣戦布告して、これが第一次世界大戦になっていくわけです。現地ガイドの説明を聞いていると、テロリストの放った一発目の銃弾は皇太子の頭部を直撃し、2発目は妻ソフィアの腹部を貫通し、妊娠中だったソフィアは胎児とともに命を落とした、などといういたたまれない話が出てきますが、英語ガイドの話を通訳するのも仕事である以上、「やめて下さい」とも言えないし、「血なまぐさい話は聞きたくない」と言っても、話の核心部分がボケてしまうため、そうも言えません。自分で発言を選べませんから、通訳も辛い仕事です

       

内線の傷跡も癒えず、街中、銃弾後や破壊の後がまだまだ消えませんが、「バルカンの火薬庫」の代名詞のようなこの町にあって、ラティンスキ-橋は、自ら今後「平和の架け橋」になろうという決意を固めたかのように、静寂と沈黙を守りながら、サラエヴォの行く末を見据えています。

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