ホリデイ現役添乗員日記

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新白鳥城を建てた王様

2010-09-16 09:34:03 | ホリちゃんドイツ
皆さん こんにちは、ホリちゃんです。ようやく朝晩少しずつ秋らしくなりつつありますが
お元気ですか? ドイツは、日本のように四季のめりはりが、あまりはっきりしていません。 短い夏が終わったらいきなり晩秋が来る感じです。最低気温が都市によっては、8月中から10℃を下回ります。今、ドイツのミュンヒェンでは、オクトーバーフェストという
ビール祭りのシーズンです。 
  
   

オクトーバーフェストが終わったら、人の気持ちはクリスマスの準備へと向かうのです。
そして、、翌年の4月まで続くと言ってもいい長い冬を迎えるのです。

この前お話ししたロマンティック街道のバスツアーのコースに大抵含まれているのが、
 「新白鳥城」こと、ノイシュバンシュタイン城です。このお城を建てた王様は、
ルートヴィッヒ2世といいます。その生涯や死因がはっきりせず、これほどミステリアス
に語られる王様もいません。出自はとても由緒正しく、バイエルン王国に君臨してきた
ウィッテルスバッハ王家の出身です。古代ギリシャやローマの学芸に傾倒して、ミュンヒェンの街を博物館・美術館のように美化してしまったルートヴィッヒ1世やマクシミリアン2世の子孫です。 そう、フランツ・ヨーゼフ皇帝の王妃として、オーストリア、ハプスブルク家に嫁いだエリザベートは、ルートヴィッヒ2世の実の従姉です。彼女もまた、ウィーン
の宮廷になじめず、傷心の末、悲劇的最期を迎えたことを、嫌でも思い出してしまいます。
この王様は、もとより、学者タイプであり、また芸術家肌であって、決して王様や政治家として行政や外交の仕事なんかしてはいけなかったのです。

       

いま上の写真にミュンヒェンのオペラ座とレジデンツ(王宮)が映っていますが、ルートヴィッヒ2世も、このように美しい広場や街づくりを手がけ、オペラハウスでワーグナーの
楽劇に堪能していれば良かったのでしょう。少年時代から、中世の騎士物語や白鳥の伝説に
影響され、自らも「白鳥の化身」と夢想する王様のメンタリティーは、お父さんのマクシミリアン2世が建てたホーエンシュバンガウ城で青少年時代をおくったことと深いつながりが
あります。
     

このお城の内部は、中世の騎士物語の英雄や伝説の絵画・壁画だらけです。王家の事情で
18歳で即位して、あの時代のバイエルン王国を率いねばならなくなったことは、王様にとっても、国民にとっても不幸なことでした。同時代、ようやくドイツが一つの国家としてまとまりかけていて、ハプスブルク家と新興国家プロイセンと、どちらを盟主として、ドイツを
統一するのかの覇権をめぐって、戦争が起こります。普墺戦争(プロイセン・オーストリア戦争)です。このとき、古くからつきあいが長かったハプスブルク家に加担したバイエルン
王国は、プロイセンにコテンパンにやられてしまいます。
 この時代のプロイセンには、鉄血宰相ビスマルクという天才外交官と、モルトケというこれまた天才軍事参謀がいて、頭脳戦にかけても鉄壁の強さで、政治・外交の
センスに劣ったルートヴィッヒ2世は、まさしく赤子の手をひねる如く、手玉にとられてしまいます。 もともと偏執癖だった王様はますます人嫌い、政治嫌いになり、自分の趣味であるち築城にのめりこんでいきます。新白鳥城を入れて、無用の(?といわれた)お城を
3つもつくり、バイエルンの王室を破綻に導いた王様は、当時精神病患者のレッテルをはられて、禁治産者の宣告を受け、シュタルンベルク湖畔に幽閉されてしまいます。
同時代は酷評された王様も今は、バイエルン州の観光収入の立役者として、再評価されています。3つの無用のお城のなかでも、最も見栄えがするのは、やはりノイシュバンシュタイン城でしょう。

       

 明日から、ホリちゃんはまた、ヨーロッパへ添乗に行って、しばらくご無沙汰しますが、
 その間デイちゃんの楽しいブログをお楽しみ下さい。では、ごきげんよう!!

     
 
     


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