前回、パーマールールによる金属準備の準備水準について述べましたが、1832年の委員会では、金属準備の“対外(国外)流出“と“対内(国内)流出“の問題も関心を集めました。議論の中での焦点等ニュアンスに食い違いはあったものの、全体としては、イングランド銀行は“対外流出“について、責任を持つべきと言う点では多く一致したとの事です。(Fetter)
対外・対内流出については、既に18世紀の終わりに、1793年と1797年の恐慌に連関して、H.ソーントン:紙券信用論 とF.ベアリング:イングランド銀行論 がその区分を指摘していました。ベアリング(18世紀後半のイギリス商人で後のベアリング商会の始祖にあたる)はその著作の中でコインの要求に関して3つの区分を挙げ
1、為替手形の不足を補い外地へ送金する為
2、政府、流通紙幣への不信からの貨幣退蔵の為
3、政府、イングランド銀行へは信頼があるとしても地方銀行にその必要に応じた支払いを可能ならしめるため。
とし、その内、1、が最も危険であり、それを阻止する為にあらゆる手段を講ずべきとし、2、3、についてはそれはやがてイングランド銀行に還流するとしています。
そのような中、委員会では
ア)対内流出に対しては信用の制限をする事は事態を悪化させるものであるとの認識に達し、
イ)対外流出はイングランド銀行は責任が持つべきであるとの認識にはなったもののしかし、その方策についてはどういう基準によるべきかは一致しなかったとされます。
そしてこの対内流出への対処-対外流出しない との認識は後述するイングランド銀行券の“法貨“規定に連関したとされます。つまり、国内不信だけであるなら金でなくとも“法的保障“を与えれば良いとの考えです。
ここで前回述べた為替の不利な相場を改善する為に国庫証券を売却するとの行為についてオペレーションの始まりかどうかと言う事に関しては、同委員会の中で証言がありますが、パーマー自体は国庫証券を“買う事“に対しては積極的ではなかったとされ、又セイヤーズによれば(central banking after bageot 邦訳 現代金融政策論)では“初期“には市場利子率を上げる為にオペレーションを行ったとしていますが、前後関係から考えるとこれは19世紀後半の事と思われます。
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