紙屋さんブログ

土佐の自然を愛する親父です。

ブラジルの家族は皆が、皆、凄く固い、固い絆で結ばれている

2018年05月04日 19時16分43秒 | 日記
  今朝は6度と寒かったです。 久しぶりに、部屋でストーブをたきました。 (寒の戻りです)  今日は,連休のガス抜き?です・・・かみさんを連れて、高知市に遊びに行きました。 中央公園で後半・連休中「花祭り」が有ったからです。
 だから、今日はゆっくり、のんびり・・・お昼は、前のワシントンホテル?のレストランの改造店です。(4月は休んでいました)
 新しい店ですが、入ると「昼食はビュッへランチ」もしくは、一品料理でしたから,ビュッへ@900円を2人分頼み、一品で四万十豚の生姜焼き@880円を頼みました・・・これで十分です。 食後は+150円でコーヒーと、ベルギーチョコのケーキ・・・それに、高知大丸・地下でかみさん用に私が買ったベルギーの「ゴデイバ」のアイスクリームでした。
 所が、支払いの時にマネージャが、私に「充分だったでしょうか? 何か品数で入れたら良かった物を、教えてください」で・・・「ハムか、スーセージ・・・それと、果物で旬の「小夏」が有れば、若い女性もきっと、よろこぶと思いますよ」と、返事しました。 値上げして、@1000円でも良いじゃ無いかと思ったのです。
 それと今日は、ブラジルへ送る「小包用」
の用意・・・重量の軽い食品類も、高知大丸・地下で買い込みましたです。  写真は、ブラジルの木の黄色い花「イッペー」(葉山)です。 紫イッペー(ガンに聴く漢方薬)は日本には有りません。

  「寂しい・・・・・・」です、本当に胸が詰まります。 今朝、ブラジルに電話しました。 久しぶりです。 ブラジルからの名大・大学院生のブルーノがこの3月、サンパウロ大に帰ってから久しいですが、メールは有ったけど、音信が無かったのです。 
 地球の裏側2万kmで音沙汰ないのは? 「無事平常なのか」・・・・はて又、「つらいことが起っていて」伝えにくいのか・・・この二つのうちのどちらかです。
 残念ながら、・・・二つ目が、当っていましたです。 義理の姉が八十八歳になるのですが、あの元気な姉も、寝たきり状態で食事もあまりとれていないようでした。
 
 思えば、亡き兄と結婚して、今世話になってる長女を連れて、ブラジルに移民してからは、ブルトーザも,耕耘機も無い時代の「肉体労働」での苦労ばっかりでした。(切り開いた「木」の根っこは、「馬」に引かせて引き抜いた) サンパウロ近くのイビウナの原野での開拓です。・・・家も掘建て小屋?生活。 「土地しか無い」(広い道もない、電気・水道も無い)条件での生活を、夫婦で乗り越えて来たのですから・・・姉の事を思うと自然に、涙が出ます。 「亭主について行く」しかなかったのですから・・・。
 数十年経って、やっと日本に帰れる程の生活になった時に・・・兄は、まず姉を帰国させました。 姉ヘの、「姉の里への」・・・思いが有ったのですね(自分自身より先にです。・・・その後は、3回程は夫婦で帰っていますが・・・)。
 其の姉が「始めて帰国した時」、姉が私に云った言葉・・・「悔しかった・・・涙が出た」でした。 ・・・その時の幸せな同級生達が集まって歓迎してくれたのです。
 日本は丁度、高度成長期・三種の神器(電化製品)から、車への時代です。 自分は、死ぬ思いをして,立派にやり上げ、故郷に錦を飾った(胸を張った)つもりだったのです。
 
 しかしです、「日本の私」では、逆立ちしても叶わない事が有ります。 ・・・「亡き兄の家族同士」の「支え合い」「励まし合い」「共に喜び、共に悲しむ・・・」,この固い、固い彼等の「家族愛」を、現実に目の前で見せつけられると・・・グーの音も出ない程に打ちのめされるのです。
 ・・・ブラジルの家族は皆が、皆、凄く固い、固い絆で結ばれているのです。
 何か事有れば、100km以上〜300km以上離れていても、夜通し・・・運転してでも、全員(夫婦・子供も入れて)が、仕事を休んで集まるのです。 其の意味で、兄や、姉の死ぬかと思う程の今迄の苦労も・・・報いられ、癒されるのです。 「世界一の幸せ家族」が、ブラジルには有るのです。
 少しばかり、ポケットに「小銭」?が沢山有ったとしても・・・そんなもんは!・・・屁にもならんのです。   日本の私達の方が、どうやっても追いつかん程に?遥かに哀れなんです。

  もう一つ残念な話しが有りました。・・・マリナーズの「イチロー外野手」(44)が球団の「会長付特別補佐」に就任しました。・・・「選手」としては今季の残り試合は出場しないそうです。 で、このイチロウ君、「弓子夫人を抱きしめた」・・・これは、痛い程解ります。 弓子夫人に助けられた・・・と云うお陰で、アメリカでも頑張れたのですね。