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先祖の話 by 柳田國男

2011年08月10日 | ブック・レビュー
初版本(筑摩書房 昭和21年4月刊)

清水正之著『日本の思想』(放送大学テキスト)の最終章「おわりに ― 戦後思想の出発の一断面と過去の思想を学ぶ意味」で、柳田國男の『先祖の話』が紹介されていた。《連日の空襲下で書かれたというこの書で、柳田は、今次の戦争という未曾有の経験のただ中で、人々の心に思い起こされた問題があること、それは死んで人の魂はどこにいくか、ということであるという》。

柳田は、霊は永久にこの国土に留まって、そう遠方には行ってしまわないという「信仰」など、魂をめぐる四つほどの伝統的観念をとりあげる。死者を個人として祀る仏教は祖霊を孤独にしたが、そうした仏教の千数百年の「薫染」(『魂の行くえ』)にも拘わらず、日本人の基底の信仰的心性は変わらなかった、と彼はみる》《柳田は中世以前の古代の思想や心性の古層を評価する》《柳田は、古来の「みたま」観をふりかえることなしには、日本人のアイデンティティーの確立はないと考えるなど、基層的な文化に目を向ける》《過去の日本の思想をどうみるかが、未来にむけての重要な問題のひとつであることをしめす一例といえる》。

このくだりを読んで、私は俄然、『先祖の話』を読みたくなった。東日本大震災でお亡くなりになった多くの犠牲者の「魂の行方」が気になっていたし、お盆が近づき、「先祖の霊」はどこからこの世に帰ってくるのだろう、ということをぼんやりと考えていたからである。柳田國男は、学生時代に『遠野物語』を読んでからは、ずっとご無沙汰している。

私が買ったちくま文庫版『先祖の話』(柳田國男全集13)は、文庫約200ぺージ分で、そんなにページ数はないが、結構読みづらい。論文のようなエッセーのような、不思議な書き方なのである。話もよく脱線する(その脱線がまた面白いのだが)。読書はまだ道半ばであるが、いよいよお盆も迫ってきたので、見切り発車で紹介しようと思う。日本民俗学の開拓者の英知がぎっしり詰まっているこの本の、ポイントだけを重点的に取り上げることにしたい。まずは柳田の文章を引用する(ちくま文庫版『柳田國男全集13』より。引用部分は青字で表示している)。

柳田國男全集〈13〉 (ちくま文庫)
柳田 國男
筑摩書房

日本民俗学の提供せんとするものは結論ではない。人を誤ったる速断に陥れないように、できる限り確実なる予備知識を、集めて保存しておきたいというだけである。(10頁)

今度という今度は十分に確実な、またしても反動の犠牲となってしまわぬような、民族の自然と最もよく調和した、新たな社会組織が考え出されなければならぬ。それにはある期間の混乱も忍耐するの他はないであろうが、そういっているうちにも、捜さずにはすまされないいろいろの参考資料が、消えたり散らばったりするおそれはあるのである。力微なりといえども我々の学問は、こういう際にこそ出て大いに働くべきで、空しく詠嘆をもってこの貴重なる過渡期を、見送っていることはできないのである。(11頁)

私がこの本の中で力を入れて説きたいと思う一つの点は、日本人の死後の観念、すなわち霊は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠方へは行ってしまわないという信仰が、おそらくは世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられているということである。(61頁)


本書の「解説」に、新谷尚紀氏はこう書いている。《『先祖の話』は家と先祖の問題から説き起こされ、農村から都市へと出ていく者たちが多くなってきている世相の中で、家の崩壊への強い危機感を表明しながら結ばれている》。

人は死ねば子や孫たちの供養や祀りをうけてやがて祖霊へと昇華し、故郷の村里をのぞむ山の高みに宿って子や孫たちの家の繁栄を見守り、盆や正月など時をかぎつてはその家に招かれて食事をともにし交流しあう存在となる。生と死の二つの世界の往来は比較的自由であり、季節を定めて去来する正月の神や田の神なども実はみんな子や孫の幸福を願う祖霊である》。

《これが、『先祖の話』の中で柳田が、日本人古来の霊魂観・死生観として日本の民俗伝承をもとに抽出した結論であり、そこには神と霊魂、そして先祖と家とのみごとな連結がみられる。それまで仏教式の六道(ろくどう)輪廻の思想や地獄極楽中心の死後観念しか知らず、また一部では平田派の国学流のやや不安定な幽冥観しか宣伝されていなかった日本の精神史の上に、こうして何よりも民俗伝承という客観的事実をもとにその帰納によって右のような日本人の死生観を抽出したのは、何といっても柳田民俗学の1つの大きな成果であった》。

柳田国男―炭焼日記 (人間の記録)
柳田 國男
日本図書センター

ブログ「ものろぎや・そりてえる」(さびしき独白)も、詳しい引用とともに、このように解説している。《柳田の霊魂観の第一の特徴として“祖霊の融合化”が挙げられる。祀るとは、その人のことをいつまでも覚え続けていくことである。具体的な個人、有名になった英雄を神様として祀ることも大切かもしれないが、あまたの無名の人々にはどのように向き合ったらよいのか。時間が経つと、見知らぬ個々具体的な人々への追憶は薄れていくが、見方を変えれば「一定の年月を過ぎると、祖霊は個性を棄てて融合して一体になるものと認められていたのである」(133頁)。“祖霊の融合単一化”という形で、ともすれば取りこぼされかねない人々が出てくるのをできる限り防ごう、そうしたところに柳田は日本人の霊魂観の意義を見出そうとしている》。

古いということに対しては、もともと我々はごく漠然とした知識しか持たなかったのである。それをだんだんと今いる者の父母とか祖父母とか、いたって近い身のまわりへ引き寄せて、我から進んで家の寿命を切り詰めたことは、過去はさて置いて、未来のためにも損なことであった。遠い先祖の(山から)降りて来て祭られることが、同時にまた今の我々の永くこの国土に去来し得ることを、推理せしめる因縁(よりどころ)ともなっていたからである。(148頁)

それよりも大きな障り(障害)になったのは人の名をさす(個別に故人の名を特定する)こと、家にすぐれた大事な人があって、その事蹟の(業績が)永く伝わるのはよいことであり、子孫の励ましにもなることは確かだが、そればかりがあまりに鮮やかに拝み祭られる結果は、幾多の蔭の霊を、無縁とも柿の葉(=無縁仏への供え物は器でなく柿の葉に載せて供えたことから)とも言わるるようなものに、落すことになるのであった。活きている間は一体となって働き、泣くにも喜ぶにも常にその一部であった者(家族の一員)が引き離されて、歴史はいつも寂しい個人の霊のみを作ることになっている。(同)

何にもせよこうして永い世に名を残すということが、一方には無名の幾億という同胞の霊を、深い埋没の底に置く結果になっていることだけは考えてみなければならない。元からそうであったということは言われぬのである。我々の先祖祭は、一度はかつてこの問題をあらましは解決していた。家が断絶して祭る人のない霊を作り出すことだけは、めいめいの力では防がれなかったが、家さえ立って行けば千年続いても、忘れられてしまうというものはない。少なくともそう信ずることがもとはできたのである。(149頁)

国が三千年もそれ以上も続いているということは、国民に子孫が絶えないことを意味する。それがただわずかな記憶の限りをもって、先祖を祭っていてよいとなれば、民族の縦の統一というものは心細くならざるを得ない。(同)

淋しいわずかな人の集合であればあるだけに、時の古今にわたった縦の団結ということが考えられなければならぬ。(207頁)


第二に、日本という国土における“顕幽二界”という特徴も挙げられる。つまり、生者の世界と死者の世界とは近くにあって行き来が可能だという世界観である。柳田の脳裡にあった“顕幽二界”という考え方には平田篤胤流国学の影響も指摘されている(余談だが、平田にしても柳田にしても、今風に言うなら結構オカルト好きだ)。戦争中、「七生報国」という言葉を胸に抱いて死地に赴く場面が見られた。死への抵抗感・緊張感はもちろん余人には窺い知れぬほど強いものだったろうが、柳田は、死んでもこの日本に戻ってこられるという世界観があったからその緊張感も比較的軽減できたのではないか、と言う》。

人生は時あって四苦八苦の衢(ちまた 場所・世界)であるけれども、それを畏れて我々が皆他の世界(あの世)に往ってしまっては、次の明朗なる社会を期する(夢を託す)の途はないのである。我々がこれを乗り越えていつまでも、生まれ直して来ようと念ずるのは正しいと思う。しかも先祖代々くりかえして、同じ一つの国に奉仕し得られるものと、信ずることのできたというのは、特に我々にとっては幸福なことであった(206頁)。

柳田國男全集〈15〉先祖の話・笑の本願・毎日の言葉・物語と語り物・家閑談
柳田 國男
筑摩書房

驚くべきことに、ネットで検索していると「特定非営利活動法人 柳田國男『先祖の話』を読む会」という団体が見つかった。全国の石屋さん(墓石店)有志が立ち上げたNPOで、『先祖の話』の普及を通じ《家族の絆や親子の情愛を見失いつつある人々が、日本に古来から存在する健全な家族関係を再認識しこれを現代社会に構築する意欲を持つ機会を提供》しようとするものである。

同団体の公式HPによると《『先祖の話』の要点をかいつまんでいいますと、キーワードは「祖霊」にあります。「祖霊」とは私たちの「先祖の霊」、もっと身近にいうと「亡くなった家族の霊」が、33年、49年、50年の間に浄化されて「祖霊」化したもので、この祖霊は「氏神様」と融合し一体化して、遠くには行かず、あるときには「山の神」となり、また「里宮」にまつられ、田植え時には「田の神」となるなど、いつも身近なところで子孫を見守り続け、しかも、あの世とこの世をしょっちゅう行き来している、というのです》。

そして、お盆のお墓参りの時に、墓前の火を家に持ち帰って先祖の霊をお迎えする習慣や、お墓は先祖をまつる「祭場」であり、氏神様をまつる神社(=鎮守の森)と同じですが、そのちがいは、33~50年までの荒魂(荒忌みのみたま)をまつる所がお墓で、浄化された祖霊が氏神様としてお祭りされるのは神社であること、またお正月とお盆の行事がほとんど同じ「先祖祭」であったことなど多くのことを解き明かされ、日本人がどれほど「ご先祖様」をお墓やお位牌(お仏壇)、神社で大切にお祭りしてきたかが強調されています》。

《中でも特に大切なことは、ご先祖様は子孫を見守るだけでなく、子孫の苦しみや悩みから救う「こころざし」があり、それを実現する「力(霊力)」があるという点で、これが日本人の固有信仰を特色付けている、と柳田先生はこの本に述べられて、民俗学の立場からこれを「先祖教」と呼んでおられます)。おそらくこの様な先祖観を持った民族は世界でも他に例がないのではないでしょうか。つまり、日本人の「ご先祖様」は世界に誇れる精神文化遺産ではないか、と私たちは確信しています》。

ご先祖様と子孫の私たちは、お互いに「幸せ」を交換し合いながら「共生」していることがわかれば、お墓参りも、お仏壇でのおつとめも、神社のお祭りや初詣をすることで、より強固な「家族の絆」を確かめ合うことができます》。

《全国の石屋の有志が集まり、ささやかな「石屋の良心」ですが、柳田國男『先祖の話』を読む会を立ち上げ、私たちの趣旨にご賛同いただける全国各地の有識の先生方に、この本の読書会を開いていただけるようお願いすることにしました。この町の小さな読書会がやがて全国に拡がって、もしも一つの「国民的な運動」にまで発展するようなことが実現しましたら、望外の喜びですし、どんなに素晴らしいことかと希望をふくらませています》。

新訂版(石文社 平成20年8月刊)。初版本と新訂版の
表紙画像は、『先祖の話』を読む会のHPから拝借

これは立派な趣旨ではないか。しかもこの団体は、石文社刊『新訂 先祖の話』という本まで出版してしまった。私は、船橋市の株式会社石和(いしかず)石材さんから、新訂版を送っていただいた。上記引用文にカッコ書きで入れた注釈は、この本の賜物だ。

《モトの『先祖の話』は《私たちが今あらためて読んでみようとしても、旧漢字、当て字、旧仮名づかいが多いことと、ひと昔の前の生活習慣の用語などが多くあって、現在ではすぐに理解しにくい箇所がたくさんあり、とても容易には読めませんでした。そこで、著作権承継者であり、この会の顧問をお引き受けいただいた柳田冨美子様(國男の長男夫人)のご快諾を得ることができて、原文はそのまま手を加えずに、現代仮名づかいと新漢字体に改め、また当て字はひら仮名に直し、漢字には読み仮名をできるだけ多く付け、最小限の用語解説などを加えて、高校生でも辞書なしで読めるようにして、できるだけ低価で出版することにいたしました》。

《最後に、どうかこの『先祖の話』が一人でも多くの皆様に読まれ、素晴らしい「ご先祖様」を大切にして、幸せな家庭を築いていただけたら、と私たちは願って止みません》。これは大変な活動だが、息長く続けていただき、日本人の「先祖を敬う気持ち」を伝えていただきたいものである。

何とかお盆までに、当記事をアップすることができて、ホッとしている。『先祖の話』には、お盆にお墓の前で火をたき、提灯に火(祖霊)を移して家に持ち帰る「迎え火」が登場する。祖霊は、子や孫たちと楽しい日を過ごすのである。京都の「大文字五山送り火」や奈良・高円山(たかまどやま)の「奈良大文字送り火」は、その反対の「送り火」である。この夏は、「日本古来のみたま(御魂)観」に思いを馳せながら、送り火に手を合わせたいと思う。

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4 コメント

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Unknown (Matty)
2011-08-10 18:54:08
tetsudaさん 素晴らしい本のご紹介ありがとうございます。お忙しいのに、多方面の本をよく読んでおられますね、感心します。
日本人のご先祖様のお祀りの仕方はほとんどの家庭では今は仏式でしょうが、長らく培われてきた神道の思想がしっかりと根付いていると思います。
京都 平安神宮を案内した際に(祭神・桓武天皇 孝明天皇)なぜ亡くなった天皇が神なのか、と聞かれたことがありました。
後日、橿原神宮にウオーキングイベントで参拝したときに担当してくださったガイドさんに(平安神宮と同じように天皇が祭神なので)お聞きしました。「神道ではなくなった方はすべて”○○命”となり、祖霊神となって家族を見守ってくださるんですよ」と教えていただき、私たちのご先祖様観は大いに神道的であることを知りました。
私の実家では、お盆にどこかに旅行に行くことは、決してありませんでしたし、友達と遊びに行くのも慎むように言われていました。因習的だと思っていましたが、今は納得できます。
返信する
盆と正月 (tetsuda)
2011-08-11 06:29:28
Mattyさん、コメント有り難うございました。

> お忙しいのに、多方面の本をよく読んでおられますね、感心します。

恐縮です。

> 「すべて”○○命”となり、祖霊神となって家族を見守ってくださるんですよ」
> と教えていただき、私たちのご先祖様観は大いに神道的であることを知りました。

これは分かりやすい説明ですね。神道的というか、民間信仰というか…。

> 実家では、お盆にどこかに旅行に行くことは、決してありません
> でしたし、友達と遊びに行くのも慎むように言われていました。

私も、正月に勝手に遊びに行くのは慎むように言われていましたので、友達が「スキーに行く」と聞いて、驚きました。盆も正月も、祖霊がわが家に帰ってくる日だったのです。
返信する
お盆に。。。 (ひとみん☆)
2011-08-16 16:35:38
tetsudaさん、いつもブログ楽しみに読ませて頂いています。
私のところ(精華町北稲)では、13日に各家の門口や道の曲がり角に、砂で50センチ四方のピラミッドのような四角いものをつくり、階段をつけ、花で飾った上のところに線香を立て、先祖の霊を迎えます。嫁にきたばかりの時は、なんとも不思議な光景だと思い、「砂の城」と勝手に呼んでいました。
14日には、「七色のおかず」 といって7種類の煮物(ぜんまい、こんにゃく、こうや豆腐、あぶらげ、かぼちゃなど)をお供えします。そして、家族もそれを頂きます。
15日には、先祖さんが善光寺へ御参りにでかけられるので、持っていかれるおにぎりを作って
供え、帰ってこられる頃には、暑かったでしょうと素麺を供えます。
そして、16日今朝は、線香に火をつけ、それを持って、先祖さまをお墓まで送ってきました。

このお盆のしなければならない様々なこと(書ききれないことがもっといっぱいある)を姑より習い、私も今年からやってるんですが、、、正直、面倒くさいこと・・・なんですが、tetsudaさんのこのタイムリーなブログを読んで、先祖に感謝しながら、こうしたことを引き継ぎ続けていくことって
意味のあることで、ありがたいことなんだ・・・と、考えることができました。

実は、13日の晩に、100年会館であったユーミンのコンサートに行ったら、お盆に家空けて遊びにいくことに義母があきれて怒ってましたが、
、、そこは、お願いします!!!
と、譲れない嫁でしたが、、、、。
返信する
日本の美風 (tetsuda)
2011-08-17 06:24:13
ひとみん☆さん、コメント有り難うございました。

> ブログを読んで、先祖に感謝しながら、こうしたことを引き継ぎ続けていく
> ことって意味のあることで、ありがたいことなんだ…と、考えることができました。

精華町北稲(京都府相楽郡)は、「花空間けいはんな」のお近くですね、時々お邪魔して綺麗な写真をカメラに収めます。とても丁寧にご先祖をお迎えすることに、驚きました。このような美風は、ぜひ受けついでいただきたいと思います。いつかはひとみん☆さんも、送り迎えしていただく訳ですから。

お祭りもそうですが、日本からこのような伝統行事・民俗行事がどんどん失われていくのは、とても悲しいことです。

> 100年会館であったユーミンのコンサートに行ったら、お盆
> に家空けて遊びにいくことに義母があきれて怒ってました

おぜんさんのブログでも拝見しました。「何もかもが素晴らしい、久しぶりに鳥肌、ウルウルのコンサートでした」とか。
http://blog.goo.ne.jp/ozen1_2006/e/19ce34297f1daaea76688dfd56db3150
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