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『竹取物語』の舞台、祭神は竹取の翁という「讃岐神社」/毎日新聞「やまとの神さま」第122回

2025年05月25日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2025.5.22付)掲載されたのは〈竹取の翁 祭神に/讃岐神社(広陵町)〉、執筆されたのは奈良市在住の久門たつおさんだった。
※トップ写真は、讃岐神社拝殿=広陵町三吉(みつよし)で

『竹取物語』に登場する竹取の翁・讃岐造(さぬきのみやつこ)=讃岐伊能城命(いのしろのみこと)は、現在の広陵町(奈良県北葛城郡)に拠点を置く豪族であったとされることから、広陵町は「かぐや姫のふるさと」としてPRしている。では、以下に全文を紹介する。

竹取の翁 祭神に/讃岐神社(広陵町)
讃岐(さぬき)神社は、馬見古墳群で最大の前方後円墳である巣山古墳の南西近く、広陵町三吉(みつよし)に鎮座します。創建年は不詳ですが、平安時代の神社一覧である「延喜式神名帳」(えんぎしきじんみょうちょう)に記載された式内社です。

古来この地は、広瀬郡散吉郷(さぬきごう)と呼ばれました。竹林の多い散吉郷に、讃岐国(香川県)から竹細工を得意とする集団が移住し、朝廷に竹製品を献上していたといわれます。

平安時代前期に書かれ、日本最古の物語とされる『竹取物語』。その舞台となったのは、この讃岐神社の周辺とする見方が有力です。物語で讃岐造(みやつこ)とも呼ばれた竹取の翁(おきな)が、竹の中にいた小さなかぐや姫と出会います。

美しく成長したかぐや姫に求婚するのが壬申の乱(672年)で活躍し、その後、朝廷で高官となった阿倍御主人(あべのみむらじ)、大伴御行(おおとものみゆき)ら藤原京時代の実在の5人。創作と現実の交錯したファンタジーで、後に紫式部も愛読したとされます。

祭神は『日本三代実録』の記述(883年)では、散吉大建命(おおたけるのみこと)などとされていました。現在は五穀豊穣の神とされる若蔵稲乃命(わかうかのみこと)、物語の讃岐造と同一とされる讃岐伊能城命(いのしろのみこと)など4柱です。

神社は、戦国時代この地を治めた箸尾氏が寄進した、海北友賢作の「三十六歌仙扁額(へんがく)」を所蔵しています。(奈良まほろばソムリエの会会員 久門たつお)

(住 所)広陵町三吉328
(祭 神)若蔵稲乃命、若宇迦売命(わかうかのめのみこと)、讃岐伊能城命、大国主命 
(交 通)近鉄大和高田駅から竹取公園行きバス、「竹取公園東」下車、すぐ
(駐車場)有(無料)
(電 話)0745・56・2249


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