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田中利典師の「多神教的世界観の再興/世界遺産登録への思い」(朝日新聞「人生あおによし」第18回)

2024年01月13日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、「多神教的世界観の再興/世界遺産登録への思い」、2014年の朝日新聞「人生あおによし」の第18回である。2004年、利典師の格別のお骨折りで、「紀伊山地の霊場と参詣道」がユネスコの世界文化遺産に登録された。
※トップ写真は吉野山の桜(2022.4.7撮影)

今年は、世界遺産登録20周年の年であるが、「修験道」の歩み、特に明治初期の「修験道廃止令」以降の歩みを追ったのが本稿である。全文を以下に紹介する。

多神教的世界観の再興/世界遺産登録への思い
私が吉野大峯を世界遺産登録したいと思い立った目的の一つは、修験道が培ってきた歴史的文化的価値が再認識される土壌をつくりたい、という熱い思いでした。

明治の神仏分離政策はいわゆる我が国の「近代化宣言」でした。富国強兵を目指す政府からすれば、何より自然が大切と考え地域に根付いた神仏をあがめる修験道は「後進国」の象徴であり、忌むべき難敵だったのでしょう。徹底的に弾圧されました。

日本は敗戦を経て近代化し、急速な経済成長を経て今日を迎えています。ところでその結果、日本は本当に豊かになったのでしょうか。もう一度、近代化の歴史を検証して日本の現状と行く末を見つめ直す時が来ているように思います。

近代化とは一神教的価値観への移行でもありました。欧米では山や森は悪魔や魔女が住む怖い場所とされました。唯一絶対的な神をいただくキリスト教やイスラム教の価値観は極めて排他的です。それに対して修験道は山には神仏が在しまし、その神も仏も分け隔てなく尊ぶという、極めて多様で融合的な世界観とともにあります。

ユネスコ憲章には「諸民族が互いの文化や価値観を理解することで偏見を取り除き…心の中に平和の砦と築こう」とあります。修験道の多様な、多神教的な世界観はこの思想に通じるものがあると私は考えています。
コメント (23)
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