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田中利典師の「さらば吉野!また会う日まで」(退任のご挨拶)

2024年01月27日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈さらば吉野!また会う日まで…「退任のご挨拶」〉(師のブログ 2015.3.31 付)である。この日、利典師は34年間お務めになった金峯山寺を退職され、京都府綾部市の自坊「林南院」にお戻りになった。この年、師は還暦の60歳だった。
※トップ写真は朝日新聞奈良版(2015.3.31 付)

このあとも師は怠ることなく、自坊で50日間の参籠修行などをされている。「これは、60歳のお体には堪(こた)えただろうな」と思いながら拝読したが、それはまた追って紹介する。では、ご退任の日の全文を以下に抜粋する。

さらば吉野!また会う日まで…「退任のご挨拶」
私は3月31日を以て、金峯山修験本宗の宗務総長を辞するところとなりました。足かけ15年の長きにわたる在任中、本当に多くの方々に支えていただきましたこと、心より御礼を申し上げます。

昭和46年、私は五條覚澄法主猊下(げいか)の勧めによって、天台宗の比叡山高校に進み、その後、龍谷大学や叡山学院での学生生活を終えると、昭和56年に五條順教猊下のもと、金峯山寺に入寺をしました。最初に順教猊下にご教示いただいたのは「志の大きな僧侶になりなさい」ということでした。以来、教学主任、教学部長と職責を担い、平成13年には、金峯山寺執行長・本宗宗務総長に就任して、順教猊下の下で、多くのことに関わらせていただきました。

顧みますと、本宗及び寺内においては、台帳管理のOA化や宗門規定集の制定、金峯山時報の改編、宗報「金峯山」の創刊、高祖会大法要や本地堂供養会、観音堂・愛染堂両大祭の新設をはじめ、部長会・役員会の常設、宿直制度の制定、学林制度の改編、一般者向けの体験修行の開始や伝法灌頂式物の整備、蔵王堂再建四百年祭開催、千人結縁灌頂開会、青年僧の会の発足、金峯山寺公式サイトの運営、「国軸山」山号・世界遺産碑建立など、多岐にわたる仕事を担わせていただきました。

また宗外においては、なんといってもユネスコ世界遺産登録をはじめとする修験道ルネッサンス活動、役行者大遠忌修験三本山合同事業や、役行者霊蹟札所会発足、大峯奥駈道連絡協議会発足、紀伊山地三霊場会議設立、修験道大結集平和の祈りの大護摩供開催、「役行者展」・「祈りの道展」・「山の神仏展」と三つの特別展の開催。

弘法大師の道プロジェクト、全日本仏教青年会や神仏霊場会、奈良県宗教者フォーラムでの活動、南都諸寺社や関係官庁、近畿日本鉄道、JR東海など関連団体との提携、修験道広宣のための500余回を越える数々の講演会やシンポジウムの出演、著作の出版などなど、枚挙に暇がないほど、身の丈を越えて、たくさんのことに関わらせていただきました。

もちろん人間ひとりの力で出来ることなどたかが知れているわけで、これも偏に蔵王権現様、役行者様のお導きの思し召しであり、管長猊下のご指導や支えて頂いた多くのみなさまのお力添えのお蔭であると至心に感謝するところであります。

「金峯山寺や修験道をもっと多くの人々に知って頂くためにはどうしたらよいのか?」とアドバイスを求めたとき、何人かの方から「薬師寺の高田好胤さんのようなお坊さんが出るとよい」と言われました。私はついには高田好胤さんのようにはなれませんでしたが、「田中利典」として、私なりに多くのことに関われたのではないかと思っております。

お坊さんの世界では「40、50は洟垂れ小僧」といいます。60歳を迎えて、ようやく一人前になれるというような意味です。奇しくも私は今年還暦の60歳を迎えます。ようやく一人前になれる年齢となり、これからという思いがあります。

今回、総長職を離職するところとなりますが、仁王門大修理をはじめ宗内外とも多くの問題を抱えるいま、新たな形で、金峯山寺やご本尊さまからいただいたご恩をお返しして行かなければならないと思っております。奈良県や地元吉野山への恩返しもさせていただければと思います。

これまでいただきました皆様方からのご支援ご交情に深く感謝し、心よりの御礼を申し上げて、ご挨拶と致します。 合掌
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