tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

田中利典師の「吉野の桜」(朝日新聞「人生あおによし」第14回)

2024年01月05日 | 田中利典師曰く
今朝(1/5)の新聞一面トップの見出しは、「能登地震 死者84人に 179人連絡取れず」。奈良県警は27人の「広域緊急援助隊」を派遣、県は医師や看護師で構成される「災害派遣医療チーム(DMAT)」7チーム計32人を派遣(いずれも1/4)、田原本町は「トイレトレーラー」1台を貸し出した(1/3出発、1/4到着)。田中利典師は、「金峯山寺蔵王堂修正会」などで、能登半島の地震鎮静などをお祈りされた。
※トップ写真は、花矢倉展望台から望む吉野山の桜(2023.3.31 撮影)

さて新年最初の「田中利典師曰く」は、「吉野の桜」、2014年の朝日新聞奈良版「人生あおによし」第14回である。今日は西行法師も讃えた桜の話である。この素晴らしい桜の景観は〈長い時代に繰り返された、吉野という地の、信仰の積み重ねであることを心の隅に置いて眺めていただけたら〉と利典師は語る。では、全文を以下に紹介する。

吉野の桜 
吉野の桜は日本一の名所として誰もが耳にしたことがあるかと思います。しかし、それが修験道の信仰の現れであることをどれだけの人がご存じでしょう。

役行者は本尊金剛蔵王権現を祈り出し、その姿を山上ケ岳の山頂(山上)と山麓の吉野山(山下)にお祀(まつ)りになりました。これが金峯山寺の濫觴(らんしょう=始まり)です。

明治の神仏分離修験道廃止の法難では明治7年から一時廃寺となりましたが、山上本堂は大峯山寺として、金峯山寺は山下本堂を中心に旧態の仏寺に復興し今日に至っています。

役行者は祈り出した蔵王権現を山桜の木に刻んで祀られたと伝えられています。ですから山桜はご神木として大切に守られてきました。「桜一本首一つ、枝一本指一つ」と言われ、枯れ木でさえ薪にすると罰が当たるとされました。

また参詣する人たちも献木し続けてきました。その積み重ねでできたのが桜の名勝地吉野山なのです。山中を歩いていると人が寄りつけない岩角や谷間にも桜が育っていることがあります。烏がついばんで運んだのでしょう。

山を埋め谷を埋め、全山が見渡す限りの桜は霞か雲か、夢のようです。その景色は長い時代に繰り返された、吉野という地の、信仰の積み重ねであることを心の隅に置いて眺めていただけたらと思います。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする