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仁賢天皇の皇居跡か、銅鐸も出土した「姫丸稲荷神社」(天理市石上町)/毎日新聞「やまとの神さま」第66回

2024年01月02日 | やまとの神さま(毎日新聞)
よりによって元旦に、震度7という能登半島地震が起きました。奈良県内でも突然の地震アラートと揺れに、驚かれた方も多かったのではと思います。現在までに、8人の死亡が確認されました。被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

さて、昨年12月に掲載されながら当ブログで紹介できていなかった「やまとの神さま」の記事を、新聞掲載順に紹介させていただきます。今回紹介するのは、12月7日に掲載された〈仁賢天皇の皇居跡/姫丸稲荷神社(天理市)〉です。

筆者は奈良市在住の西慶子さん。現役でお仕事をされながら、最近は各地で講演されています。選ばれるテーマも多彩なので、注目しています。では、全文をお読みくさい。

姫丸稲荷神社(天理市)
姫丸稲荷神社は天理市石上(いそのかみ)町の平尾山という丘にあります。辺りは平安時代の延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に記された石上市(いそのかみいち)神社の旧社地。同神社が江戸時代に西へ移った後、末社の姫丸稲荷神社が旧社地に残ったとされます。祭神は宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)です。

境内に「石上広高宮(いそのかみのひろたかのみや)伝承地」の碑があります。日本書紀が善政を敷いたと記す第24代・仁賢(にんけん)天皇の皇居跡と考証され、周辺は「宮の屋敷」と呼ばれました。平安歌人の在原業平(ありわらのなりひら)は平尾山の近くで生まれ、幼名を平尾丸といったそうです。

明治時代に神社の東で銅鐸(どうたく)2個が出土して、「石上銅鐸出土地」の碑もあり、文化の中心地だった事がうかがえます。昔話「平尾稲荷のけんけんさん」が残っており、お稲荷さんを守るおばあさんの帰りが遅くなると、けんけんさん(キツネ)が赤い灯をつけて迎えに来たと伝わります。

拝殿前には60基近い木の鳥居が建ち、朱色と竹林の緑のコントラストが鮮やかです。旧暦2月に当たる3月に初午行事を行い、その前に厄年の人が自費で鳥居を1基ずつ新調する習わしですが、一般の寄付でも鳥居を奉納します。コロナ禍で3年ぶりとなった今年の初午では15基が新調され、氏子の信仰の深さを表すようで、まぶしく感じます。(奈良まほろばソムリエの会会員 西慶子)

(住 所)天理市石上(いそのかみ)町
(祭 神)宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)
(交 通)JR櫟本(いちのもと)駅に近い奈良交通バス停「櫟本」から「天理北中学校」下車。徒歩約15分
(拝 観)境内自由
(駐車場)無し
(電 話)無し


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