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田中利典師の「修験道ルネサンス」(朝日新聞「人生あおによし」第20回)

2024年01月17日 | 田中利典師曰く
田中利典師の「人生あおによし」(朝日新聞奈良版に2014年11月9日から20回掲載)、私は2023年12月4日から断続的に紹介させていただいたが、いよいよ今日で最終回となった。最終回にふさわしく、タイトルは「修験道ルネサンス」だ。
※写真は、吉野山の桜(2022.4.7 撮影)

修験道では、人工物ばかりの都市で病んだ心を修行で回復させる。私は、これは養老孟司氏の『唯脳論』(ちくま学芸文庫)での主張と同じだ、と気がついて〈「脳化社会」と修験道〉という文章を奈良新聞に寄稿したことがある。近代と戦う山伏・利典師の面目躍如である。以下に全文を紹介する。

修験道ルネサンス
暑ければ冷房、寒ければ暖房、移動は車や飛行機で、電子レンジに冷蔵庫……便利なもの、体が楽をできるものばかりが増えました。高度な物質文明社会の発展は肉体が楽することばかりを優先する結果、主であるべき精神が肉体に隷属する社会を現出させています。肉体の楽を優先する社会は心が置き去りにされる社会でもあります。そしてついには魂をもって生きている現実感さえ喪失させてしまいます。

山に入って過酷な日々を行ずると、日常生活が怠惰であればあるほど、肉体の痛みや苦しみを伴います。峻厳な山や谷を駆け抜けるとき、肉体と心が対峙して葛藤する。それが高まると、自分の存在を超えた神仏や曼荼羅の世界が目の前に出現します。そこで初めて、人間の命のありがたさやその肯定が始まるのです。

大峯奥駈への参加希望者の多くは、日常からの現実逃避ではなく、息苦しい現代社会の中で自分を前向きに変えたい、打開したいという気持ちからの参加です。「心の時代」と言われて久しい中で、私は「修験道ルネサンス」を提唱してきました。ポスト近代への、生命と魂の反撃が始まったのだと感じます。

修験道の賞味期限はまだまだ切れていません。物質文明社会が行き詰まり、自然が猛威を振るう今の時代だからこそ、その精神が求められていると私は思っています。
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