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田中利典師の「人生で起きることは、すべて必然だ」(書き下ろしエッセイ その4)

2025年04月14日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈偶然と必然〉(師のブログ 2019.2.4 付)。利典師は、毎日新聞から連載の依頼を受け、6編のエッセイを書き下ろされた。しかしその企画がボツになったので、師はご自身のブログとFBに、それらを掲載された。今日は、その第4弾である。改元を間近に控えた平成31年2月、師がアップされた話だ。
※トップ写真は、ウチの近隣公園の桜(コロナ禍の2020.3.30 撮影)

〈人生において出会うことに、何一つ偶然というものはない〉〈人生において無駄なことなど何一つない〉〈苦労も災禍も私の人生そのもの〉。そう思うと、何だか生きているだけで有り難いな、という気持ちになる。では、全文を紹介する。

「偶然と必然」
人生において出会うことに、何一つ偶然というものはないと私は思っている。全てが必然なのである。というか、必然と思うところに、自分を自分たらしめるものに気づくものがある、と考えている。

人生において起こる様々なことを、誰かの責任にしたところでナンの意味があるというのか。結局は全部、自分自身で背負うしかない。背負うしかない以上は、そこに「必然」を見いだして、自分自身を励まし、自戒し、精魂を尽くすことがなにより肝要だろう…。

私は一方で、人生において無駄なことなど何一つないと思っている。どんな苦労や苦難にしても、それこそが自分の人生なのである。逃げようが避けようが、どう生きようが、全てそれこそが人生そのものなのである。

不幸も幸いも自らの責任で作り出した現象と言えよう。だからこそ、偶然にして不幸になった、苦難を強いられた…などと思わずに、その運命を必然と受け止め、懸命に生きることこそが、今生での自分の人生なのである。

そう思うと、どんなに苦しくても、悲しくても、少しは楽に生きられるのではないだろうか。前向きな気持ちを持てるようになるのではないだろうか。人生には楽なことばかりが待っているわけではない。楽なことより苦しいことの方が多いに決まっている。いや、そんなことはないという人もいるのかもしれないが、私自身はそう思わずにはいられない。

ただ、そう思ってはいるが、よいもわるいも、全部の出来事自体が自分の人生そのものだと受け止め、全部を必然だと受け入れると、苦労ばかりが多いともいえない気持ちもわいてきて、なにやら生きていること自体が有り難いような気持ちになってくる。前向きに生きていくことがなにやら無性に有り難く思えてくるのである。

私は仏縁を得て僧侶になったが、それなりに苦労もしたし、災禍にも遭った。ときには僧侶を辞めて還俗しようと思った時期もあったが、法鑞(ほうろう=出家受戒後の年数)50年を目の前に、改めてその仏縁に感謝している。苦労も災禍も私の人生そのものである。そして仏縁を得て、今を生かされているのも、必然の中に生きる、有り難い私の人生である。

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書き下ろし第4弾。今回のはちょっと以前の文章を改編して、書いてみました。昨日の節分・今日の立春で、新しい節目を迎えた。今年は年号も変わる、大きな時代の変わり目であるが、そんな1年を思う中で、じっと自分の心に問いかけてみている。
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