藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

「どどどどーーー」

2021-08-12 09:20:25 | 日記・エッセイ・コラム

 疲れが一度に襲ってきた。 昨夜も眠れず。 妻の里の墓場、あの倒壊した墓石が脳裏から離れない。 自分と妻が入るべき場所でもないのに、なぜか気になって仕方がない。 そんな一夜は、疲れを取ってはくれなかった。 背中の筋肉が、久しぶりに悲鳴を上げている。 ビタミン剤と、追加の痛み止めを飲んでみたが、あまり変化がない。 一つには、天候不順が有る。 マダニの細菌に、神経細胞を食い荒らされた後に復活した神経細胞は、天候に敏感で、特に低気圧が嫌なようだ。 指と指の間や、手のひら、足の裏など、痒いのか痛いのか中途半端な感じで、ぐじゅぐじゅする。 ちょうど雨音の感じなのだ。 ある時は強く、ある時はしとしとと、痛いのか痒いのか・・・・。 両眼の白内障の手術後、常に色付きレンズの眼鏡で過ごしているので、メガネなしで過ごせる曇り空は良いのだが、本を読むために、明かりを付けると、目の底まで差し込む光に痛みを感じてしまう。 そんな感じの為、TVは聴くものとなって久しい。 其の内PCも、我生活から離れて行きそうである。 画面を出来るだけ暗くすると疲れるし、かと言って、明るくすると目に差し込んでくる。 遥か昔、PCの画面に、色付きのプラスティックの板を付けるのが流行った事が有ったが、近頃は見なくなった。 どのディスプレイもブルーカットに成ったからであろうが、私は今こそそれが欲しいと思い始めた。 先日、ダイソウに行って、サングラスを探してみたが、その色の濃さが、マッチする物が見つからなかった。 と、こんな愚痴を並べているが、それさえも出来なくなる日は、そう遠くはないのだ。 

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墓参

2021-08-11 13:37:16 | 日記・エッセイ・コラム

 早朝五時、まだ日は登らず。 それでも墓地には二人の方がすでに御出でであった。 我々は、先日掃除を済ませていたので、花を手向け、燈明を灯し、線香をたき、「南無阿弥陀仏」と唱えた。 此の墓所だけで、三軒の親戚の墓がある。 さて次だが、やっと日が昇ったが、有難い事に雲は厚いので助かった。 此の墓所も三軒。 さてその次が祖母の主人の里。 嘗て昔叔母に連れられて行った墓所である。 記憶に有った場所に、墓は確かにあった。五歳くらいの時に来て以来だ。 ただこの家の本来の墓が、道路拡張や区画整理の為、もう一つの墓の位置が変わってしまった様だ。 我が奥様と、新しく作られた墓地の中を一つ一つ探して、一時間。 この墓地の、移転完成記念碑のすぐそばに、それを見つけた。長年の思いがやっとかなった気がしている。叔母には子供も無く、誰かに思いを伝えて措きたかったのだろう。 七十年ぶりにそれが叶った。 あの世から、叔母がほほ笑んでいる気がする朝であった。

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予測道理の展開。

2021-08-10 09:09:07 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日は、午前十一時半には空は晴れ渡り、爽やかの風とはいかないが、世の中の灰汁を吹き飛ばすがごとく、吹き抜けていった。 午後は久しぶりに。快適な時間を過ごした。 この時間を無駄にしたくないと、色々検索して居たら、嘗ては日本人で、今は海外で暮らすエネルギッシュな、女性たちのブログに出会った。 国が変われば全てが変わるように思っていたが、人間性は変わらぬものだとつくづく感じた。  中には変わり者の 「親父」 が一人いた。 メキシコ在住でこれが又、面白い生活を謳歌されている。 思わずもう二十年若ければ、いや三十年若ければ、私もメキシコ辺りに・・・・ なんてことを思わず思ってしまった。 ボブディランの 「風に吹かれて」 の曲が、なんだか頭の中で、勝手に風をふかしている気分になってしまった。 そんな風が部屋に押し寄せて、過ごし易く昼寝も忘れて、海外の 「元日本人」 のブログを読んで一日を過ごしていた。 其の内に、あまり好きでなかった、「オノ・ヨウコ」 を思い出して、「イマジン」 のテープを探したが出て来ない。 ユーチューブで、ダウン・ロードしようかと思ったが、昨日は不思議な一日で、BS―3 「NHK」 の番組の中で、我々と同年代の連中が、「自由」を求めて戦う姿が映し出され、まさに 「ボブディラン」 や 「ジョン・レノン」 の姿を見せてくれた。 

昨日は、長崎の「原爆祈念日」。 このまま日本が平和であれば良いが・・・

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オリンピックが終わってほっとしたら

2021-08-09 04:53:51 | 日記・エッセイ・コラム

 やって来ました台風が。 午前四時、広島市の南東20kmあたりを北東に進んでいるらしい。 ひっきりなしに、スマホが避難指示を知らせてくる。 しかし周囲は静かに成り行きを見ている様だ。 一応、二階が我が寝室なので、奥様にも「二階に避難されたし」と伝えたが、その気がないらしい。 七十年以上生きてきたので、今更と言う気持ちと、風の吹かない台風は珍しいという気持ちとで、避難行動が出来ないでいる。 この記事を書き上げる頃には、竹原市に再上陸と言う事に成るのだろう。 雨は予想以上に降り続いている。 避難経路にある、大文字川の方が怖い気がする。 何故か眠れず、朝がやって来た。 そんな一日の始まりである。

 追伸

竹原市に再上陸と思ったが、少し広島に近く、呉であったそうだ。 再上陸して二時間半過ぎた頃から、風が強まって来た。 風速二十メートルを超えていそうだ。 隣家の糸杉が大きく揺さぶられて、風の音を作り出している。 ベランダの手すりも風が吹くと、「シュー」と言う音を立てて、台風感を出している最中だ。 時々、「ドドドー」と強風が吹き抜ける。 とは言っても、この風もあと一時間半もすれば、納まるのではなかろうか。 雨は峠を越したようだ。 

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堂島から「米」がもぎ取られたそうだ

2021-08-08 08:53:24 | 日記・エッセイ・コラム

 堂島と言えば、「米の相場」。 その、先物取引が、国から停止させられたそうだ。 まさか自民党さんが、自由経済の敵に回るとは、そこまで社会的に「菅政権」は追い込まれているのだろうか。 農民票を確保するためには、「米の相場」が下がっては、勝ち目がない。 まさかそんな発想では無かろう。 しかし先日の墓参で、農村部の疲弊が具体的な形で目に焼き付いた。 スーパーで、10kgの米の値段を観察していると、米余り現象が見えてくる。 値段の上下幅が、近頃大きく成った。 銘柄にもよるが、700円くらいの差がある。 今は安定しているが、収穫時期に成ると古米となる産年度米が、大幅に下がって来る。 新米の値段が高くなるように、と言うより、新米の価格を一定に保ちたいのであろう。 大口の米業者が、先だって逮捕されたのも、米の価格を保ちたいためであったことは間違いない。 高ければ買わなくなる、経済の基本だ。 しかしそれでも日本人は、カルホルニア米は買わない。 と言っても、米不足に陥った時は、競って購入した。 口々には、「やはり不味い」とは言っていたが、炊き方によっては違いがなかった。 高圧窯で炊くと、全く違いは感じなかった。 運搬途中の管理によって、乾燥のし過ぎなのであろう。 乾燥していないとカビが生えるし、害虫も孵化する。 我が家では、10kg買うと必ず害虫が孵化する。 と言っても、割高な5kgは、買いたくない。 「痛し痒し」である。 それにしても、統制経済に後戻りさせるような、堂島での先物取引停止処置は、納得いかない。 こうした政治行動の跡、戦争へと突入していく道筋が出来てしまうのだ。

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