藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

深山 霞の「霞的心」   曲がった臍がウズウズしてならない。

2013-06-24 13:08:23 | 社会・経済

Photo 広島県庁東館の一階に、広島県の特産品を展示するコーナーがある。

そのコーナーに、左の写真の商品が並んでいた。 「ミカサ」と「モルテン」のボールである。いずれの商品も「国際試合認定球」で知られているが、広島がその生産地としては知られてはいない。この他に、「縫い針」「ミシン針」は「生産量世界一」である。

それらの会社の本社は広島市にあるが、広島県や、広島市が株主になっている事などない。

ところが不思議なことが、山口県で起こっている。 広島市の中心部、広島市役所の北、200m。「中国電力」の本社はそこに存在する。 「中国電力」に対して、広島県が「株主」であることなど聞いたことなどない。 ましてや広島市が株主になったという話も聞かない。

先週末の山口県議会で不思議な議論が繰り広げられた。 近々開かれる「中国電力」の株主総会に、山口県が保有する「中国電力株」の全ての権利を、「中国電力」の執行部に「白紙一任」したというのである。 加えてなんと、「中国電力」の「筆頭株主は山口県」だそうである。

「 ・・・・・」?。

 地方行政が、民間企業の「筆頭大株主」とは聞いて呆れる。 官民癒着とはこのことである。 

この批判をかわすために、当初は外郭団体に株の保有をさせていたらしい。 ところが「行政改革」迫られた結果、外郭団体を解体。 負債等の清算を行う過程で、「中国電力」の株が山口県に渡ったようである。 

近々開かれる中国電力の株主総会にあたり、県知事は「白紙委任状」を「中国電力会社執行部」に送付したという。 

「筆頭株主」の山口県が、中国電力が山口県に申請している「上関原発の用地埋め立て申請」の許可、不許可の審査をするという。

皆さんはこの不可思議な山口県知事の行動をどう思われますか。

山口県知事の民間企業に対する、「便宜供与」とは思いませんか。

ましてや安倍総理の足下なのです。 自民党がかつて国民の信頼を失ったのは、企業偏重政治だったからです。 今また、再び戦前の企業中心社会が作られようとしていることは間違いないのです。 それは再軍備であり、日本が世界に 対抗しへない企業活動は「軍需産業」だけなのです。 

そこに手を突っ込み、「経済再生活性化」を考える政府を、「ファシズム」と呼ばずしてなんと呼べば良いのでしょうか。

山口県が「中国電力」の株式を保有していることは、許されることなのでしょうか。 「地方自治法」に詳しい方お教えください。

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深山 霞の「霞的心」    今では違法行為でしょう。

2013-06-23 13:49:14 | インポート

Photo 鬼灯の花を数十年ぶりに見た。 二十五歳まで過ごした家には、鬼灯が植えてあったのだが、駆け落ち結婚してからは鬼灯など何故だか植えることがなかった。 

一ヶ月ほど前に、駐車場として貸している以前の自宅敷地の除草に出かけた奥様が、放置された鉢を持ち帰った。 そこに植えられていたのは、鬼灯であった。 

我が奥様は、よく山野草や友人から苗木など頂いてくるが、その後の管理はなさらない。 全て「じいや」の私の仕事になってしまう。 どうも末っ子の特権のように思っているところがある。

昨夜の夕食時に、亡くなった妻の両親の話になった。 妻の兄が高等学校に進学し、下宿してからは三人での生活になったそうである。 夕食時にお父さんが、飲めもしないビールをお母さんと飲んだ時は、大瓶半分が残ってしまい残りのビールを、我が奥様が飲まされていたそうである。 中学時代は、毎晩晩酌付きで有った様である。 

話を聞きながら、そういえば奥様と付き合い始めたのは、奥様が十九歳に成ったばかりの時であったが、お酒がめっぽう強くてびっくりしたことを思い出した。 奥様は中学時代からお酒を鍛えていたのだった。 未成年の飲酒は禁止のはずである。 ・・・・・。

ご両親は、三人の子供が巣立っていく過程で、寂しさを感じながらお酒で話題を作り、そばに置いておきたかったのだろうと勝手に想像していた。

広島では、「末っ子を嫁にもらうと苦労する」とよく言われる。 苦労したとは思わないが、時々とんでのない質問にびっくりすることはある。 それに、何でも興味を示すが長続きしない。 未だに続いているのは、「読書」くらいである。 時々、トイレの中に「本」が落ちていたりする。 本人は真面目にその本を探しているから面白い。と、そんなことを我がブログに書くと、時々クレームがつく。 「私のことは書かないで」と抗議されるが、粗忽長屋のような我が家のことを書かずして、世間のことは書く事はできない。

これ以上個人情報を流すと、また奥様からまた抗議が来そうである。 今夜あたり「クワバラクワバラ」。

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深山 霞の「霞的心」   偶然見つけた。

2013-06-22 17:52:41 | 社会・経済

150pxhiroshima_castle_25july19451 1945年の帝国陸軍第五師団本部の写真である。 灰田勝彦氏の父は、現在の広島市南区出身で、明治の時期ハワイへ移民し、医師として成功された方だそうである。

父親を亡くされ故郷に墓を建てる為帰郷中、関東大震災に遭遇し日本に永住しなければならなくなったらしい。

その縁で、「広島カープを優勝させる会」を結成されたことは苞に有名である。

そんなことを考えながら広島西練兵場を検索したところ、左の写真が出てきた。 おそらくアメリカ軍のBー29が、原爆投下直前に撮影したもののようである。

同じ項目の中に、原爆被災後の写真も掲載されていた。

第五師団本部と言っても、上級将校は、現在私が住んでいる可部町の、「可部高等女学校」に疎開し難を逃れ、一般将兵が犠牲となった。 特に師団本部に駆り出されていた、高等女学校の生徒の中で、地下無線室で被爆し、生き残った生徒の手で打電された無線を、小倉の聯隊が聞き取り、広島が壊滅したことを国が知ったのである。

150pxhiroshima_castle_11august19451 広島城の堀を挟んで建つ兵舎や、施設は一発の原爆で灰燼に帰したことが一目にして解る。

この写真の左が西で、戦前は西練兵場と呼ばれていた。 北側、写真上部が工兵隊、トラックが写っているが、現在は基町高等学校と、元町小学校である。

爆心地から、直線で300~600m。全ての建物が破壊されたことが解る。

この写真を見ながら、福島の事を考えていた。 水素爆発した原発は、外壁を吹き飛ばし、作業中の人間が亡くなった事を国会議員の方で知らない方があるようだ。

そんな議員は、バッチを外してもらいたい。

そもそも建築基準法では、爆発の恐れのある物質を貯蔵もしくは使用する場合、近隣への防災の為に屋根部分を構造的に弱くして、万が一の場合屋根が吹き飛ぶことにより、隣接地の安全を確保することになっている。 スリーマイルド島の原発のように、円筒形の遮蔽壁の中に建設される。 しかし、日本では原発は爆発物とは看做されず、各階の床が最大の強度を持つように作られ、使用済み核燃料棒や、これから使う燃料棒の貯蔵庫として使用されている。 

私は島根鹿島原発1号機の建設に携わった事で、原発の構造は頭の中に叩き込まれている。 炉心の耐火耐熱工事や、外壁工事を担当したので良く解っている。 誰も出来ないから私のところに「お鉢」が回ってきた。 

一番恐ろしいのは、「原発」は大量生産品ではなく、個々の設計で作られる所である。つまり「原発の熟練工」など居ないのである。 一回限りの仕事など、どこがどうなっているのかなど、誰も知らない。 部分的には知っているが、全体を誰も把握した者などいるはずがない。 それほど複雑怪奇なものが安全な訳が無い。

原子力委員の給与を「椴法華村」の「かわぐちえいこう」氏が気にされていたので、以前調べた事項をコメント欄に送っておいた。 年収2000万円を軽く超える金額が支給されているのだ。それでも事故が発生しても何の罪にも問われない。 こんな美味しい仕事など、日本国中「金のわらじ」を履いて探してもないだろう。

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深山 霞の「霞的心」   「紺屋の白袴」

2013-06-21 01:15:01 | 社会・経済

002 向かいの「虹山団地である。 中国地方始めての公団が開発した団地だ。800世帯に対し、当時十倍の応募があった。60坪の土地に25坪の平屋がついて、350万円で売り出された。昭和43年のことである。 私も応募したが、残念ながら当選できなかった。 姉夫婦は当選し、以来ここに棲みつずけている。夜になると、街灯以外明かりがめっきり寂しくなった.

そのことはさておいて、大阪市長「橋下 徹」市長を見ていると、「紺屋の白袴」という格言を思い出した。 彼は弁護士であり、法律の専門家である。戦争犯罪者に時効が存在しないのは常識である。 ただそこに存在する事実は、証明することが非常にむつかしいケースが多い。 婦女子の誘拐を誰が行ったかなど、誰にも証明できない。また当時の警察は、届けを出しても調査などしなかった。させてもらえなかった。 同じ服装をした軍人が多数押しかけ、婦女子を拉致するなどは、日本陸軍の常套手段であった。 また、そうした戦争犯罪行為を行った人間が、自ら名乗り出ることはない。 黙して語らず。 上級将校が終戦とともに自決したのは、大半が戦争犯罪者として裁かれるのを嫌がったからなのである。 武士は、負ければ全ての責任を被り自決する。 部下にそう教えてきた手前、自決せざるを得なっかったのである。 生き残った将校も、人望がないものはいつの間にか、死体となっていたそうである

歴史的文章にないからといって、戦争犯罪、中でも人道的犯罪の多くは日本陸軍が最もひどかったことは事実である。 民間人を盾に自らの退路を確保しようとした部隊など書けば限りがない。 戦争犯罪に時効がないことを橋下市長はよく噛み締めて「言葉」一つ一つ発すべきである。 「火野葦平」の「土と兵隊・麦と兵隊」を読むと、文章の向こうに、日本陸軍の犯罪的行為が透けて見えてくる。 当時は勝っていたから見過ごされたのであろう。 今一度、水木しげる氏の戦記ものの漫画でも見てみるのも一つの勉強方法である。

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深山 霞の「霞的心」  雨が降っても・・・・・。

2013-06-20 00:50:26 | 社会・経済

やっと雨が降った。 雨が降ると体調がと心配したが、気圧が下がらないので思っていたより気温が低いだけ過ごしやすい。

005 我が団地の向かい側は、広島県の住宅公社が中国地方で最初に開発した住宅団地である。 高年齢化率が実に85%を超えている。

建設されたのが、昭和四十三年であるから遥か昔のことである。

夕刻になっても、いずれの家からも灯火が漏れてこない。空き家率も、30%を超えたらしい。 かつてこの団地も、この団地の子供だけの小学校が必要になり建設されたが、今や往時の生徒数の半分にも満たない。

政策の失敗作の一例である。 敷地面積が、二世帯住宅には向かない広さなのだ。要するに中途半端なだけの団地なのである。 夫婦二人には広いが、二世帯住宅建設には狭すぎる。

先ずは、団塊の世代の住宅を確保するために、作られた団地なのである。 その次の世代まで考えて作られたものではない。 明かりが点かない団地ほど、どこかうら悲しく感じる。 私の姉夫婦もこの団地暮らしである。 85と77の歳の老夫婦である。 その家が我が家からよく見える分、気になって仕方ない。 それにしても空梅雨の次は、豪雨注意予報である。 二日間で200ミリを越す雨量が予想されている。ダムもこれで一気に満水に成りそうである。 豪雨による災害がなければ良いがと心配している。 

本日は肺と心臓の検査日である。果たして石綿による内膜の肥厚はどれくらい進行しているか、昼までには判明するだろうが、判明しても治療方法がない。 座して病気の進行を待つのみである。 日々「禅」の修行を行っているようなものである。 あるがままを受け入れて、思い付くままに行動する。 そんな毎日は少し退屈ではある。 「旗本退屈男」の心境が少しだけわかる気がする。

深夜目覚め、思いつくまましたためた。 雨音のみ聞こえて来る。 静かな夜である。

 「雨音の 心に滲みる 静寂は 心癒して 余り有りしよ」

追記

検査結果  気管支に炎症を起こす菌が取り付いているそうだ。 今日から一週間、抗生物質の服用を命ぜられた。 時々この菌が暴れていたらしい。 原因が判明したので一安心。

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