藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

深山 霞の「霞的心」    十二時の方角

2013-06-07 18:07:14 | 社会・経済

ヒゲの殿下が亡くなられて一年が来たとTVが伝えている。 時の経つのが早くなったような気がしてならない。

 昭和四十三年、広島市の「青少年センター」を、リュック一つで訪問されたのが、なんだかそんな昔のことに思えない。 神道でも「冥福を祈る」というのだろうか。 

そんなことを考えながら、暑さの篭る家の窓を開け放し、その中でも風の通る所を転々としながら一日を過ごしていた。 果たして来年はこの様な暑さを凌げるのだろうかとも考えていた。 クーラーを点けると呼吸が苦しくなる。 空気が乾燥しすぎるからであろう。 

午後四時、少し気温が下がり始めたので、小さな庭に水やりでもと思い、玄関先に出てみてふと気がついた。 咲いている花が方向が違うと美しくない。 ただのゴミに見える。 真南に立ってみると花が違って見える。

004 花たちは本能的に、十二時の太陽に向かって自らの姿を向けていることに気付いた。

その目で見てみると、すべての花が真南に向いて咲いている。 別に「ひまわり」だけが太陽を追っかけていたのではないようである。

空梅雨には、行政もお手上げのようだ。 それだけではなく、種まきした野菜の育ちが悪く水不足で立ち枯れ、豆類も実をつけないそうである。 広島県下のダムも、貯水量が大幅に減ってきて、工業用水や農業用水を制限するところまで来たそうである。 

その内家庭での節水の呼びかけが始まりそうである。 昔なら、「雨乞い祭り」でも始めるところだろうと思いながら、「仏教を歩く」の行基の巻を読んでいた。 彼こそ古代土木の天才であったらしい。 近畿地方に多くの橋を架け、また溜池を作り、掘割を作った事が記載されていた。 どうも東大寺の権威は、彼がその元を作ったようだ。

昔も今も水無くしては人間生きられぬ。 

コメント (2)
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