藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

深山 霞の「霞的心」   昔々の物語

2013-06-05 17:59:57 | 社会・経済

私の奥様「茜」様は、小学校六年生からホンダのスーパーカブに乗っていたらしい。 それでも駐在さんから止められたり、捕まったりしなかったと言う。 考えてみれば、広島県のチベットと呼ばれるくらいの田舎であるから、事故など無かったのであろうし、捕まえても小学生からは罰金は取れない。 怪我をするのは本人だから見て見ぬふりをしていたようである。 中学校卒業時には、校庭で原付免許の講習があったそうである。 未だ中卒で就職する子供がいた時代であったからであろう。 

そんな話を、「かわぐちえいこう」氏のブログに、掲載された写真と文章を見ながら思い出していた。 

四十四年前に初めて信号機が設置されたそうだが、おそらくそれは小学校に一番近い交差点に違いないと思っている。

理由は簡単である。 我が妻の故郷も、その頃に町内に初めて信号機が設置された。

その理由は、警察が「交通安全教室」を開催したくても、「信号機」もなければ「横断歩道」も無くては、どうしようもない。

そこで、小学校の近くの交差点に、「横断歩道」と、「点滅式信号機」を設置したそうである。 その設置された理由の一つに、子供達が「大きな都市に出かけた時に、戸惑うといけないから」と、言う理由が有ったと聞いた時には笑ってしまった。 子供はそんなに馬鹿ではない。 大人より先に順応する。

そんな町も、現在は平成の大合併で「庄原市」に組み込まれた。 かの「亀井 静香」衆議院議員の地元である。 

尾道市と松江市を結ぶ高速道路が先だって開通した。 山陽自動車道と中国自動車道を連結し、克つ松江市まで延長された。 これを広島、島根両県民は「亀井高速」と呼んでいる。

島根県の「亀井久興」と広島県の「亀井静香」両国会議員が、奮闘してできたとの噂である。

予想より利用者が多いらしい。 広島県のチベットと呼ばれた地方に齎された経済効果は大きいらし。 パーキングに作られた産直市場が大盛況だそうである。


深山 霞の「霞的心」   暑さに参ってます

2013-06-05 04:26:37 | 社会・経済

006 昨日午前十一時、気温二十八度を越している。 紫陽花も私もダウン。 ただただ家の中の涼しいところを探して、ウロウロするばかりである。 しかし、時間だけは確実に進み、昼食。 見かねた奥様は、自分で昼食をお作りあそばしたようである。 

私の分はない。 残り物でなんとか済ませた。

朝の買い出しで「赤螺」の美味しそうな物を見つけたので、夕方調理しておいた。

007 夕刻六時近くになると、アジサイも少し元気を取り戻したようであるが、私の方はそうならない。 昼間の酸素不足で「頭の中が死んでいる」状態である。 本日届いた「土と兵隊・麦と兵隊」を持って早々と寝床で読み始めたが、薬の痛み止めでいつの間にか寝込んだようである。 

目覚めると今朝午前二時、この時間なら涼しい。二十四時間営業のすーぱーで、コーヒー用ミルクを買ってきた。 昨日買い忘れた物である。 火野葦平の「土と兵隊・麦と兵隊」は高校時代に読んだ。 井伏鱒二が「絶賛」していたからで、読み終わったとき、あの時代よくも出版が許されたものだと思った記憶がある。 我が家にも古い全集本の中には、旧字体のものがあるが、如何せん目がついていかない。 

この全集は、嘗て広島市の教育委員会の幹部の方から頂いたもので、彼は旧山口高等学校の卒業生で、卒業時プロ野球から誘いがあったほどの、野球の選手であったらしい。 妙に私と気が合い、二十歳の時からお付き合いをさせていただいた。 彼は地元新聞に「コラム」を書いていて、その文が私は好きであった。 その作者がかれであることを知ったのは、数年後である。 とくに「広島カープ」に対するエッセイは特に面白かった。 彼を通じて後にはカープの選手とも行き来が始まったが、その中でも、後の阪急の監督になる上田選手とは家も近く行き来が多かった。 

彼の野球に対する考え方は、実に合理的であったが、広島カープには取り入れられなかった。 後にはID野球と呼ばれ、全盛時代を迎えてが、広島カープも今やどん底の時代である。

選手が育つと東京の球団へ行きたがる。 広島カープは今や「プロ野球選手養成所的存在」になっている。 それはそれで、面白い。 広島の人間は「野球通」で、ただ投げて、打って、の野球は好まない。 その中にドラマを求めるのである。

巨人ファンには申し訳ないが、一流選手をお金でかき集めて勝っても、少しも面白いとは思わないのが、真の野球好きだと広島県人は思っている。 田舎に埋もれた才能を探し出し、磨きをかける。 そういったことが広島県人は好きなのである。