我が家も世間に準じて老人所帯となっている。 先日、我が奥様の姿が見えないので探したら、ふろの中で気持ちよさそうにご機嫌でおいでになった。 それは良いのだが、返事をしないことに私が怒り心頭。 オマケに、中から鍵を懸けていた。 これが問題なのだ。 私の友人の奥様が中で倒れていても、ドアーが開けられず、手遅れとなって亡くなられた事件が有った。 あまりその事が気にならなかったが、わが身が心不全になってみて、これは問題だと思い始めた。 風呂やトイレで倒れた話は暇が無く聞こえてくる。 特に冬に多いい。 そこで奥様との約束は、必ず電気をつけて入る事。 鍵は懸けない事。 そんなこんなで、本日午前中は風呂場のドアーに磁石付きの戸当たりを付けた。 磁石なら強く押せば開く。 赤の他人の時だけ鍵をかけるように細工をした。
元々オリンピックは、ローマ時代、都市国家間が戦争に明け暮れていた頃、その戦いを一時的にせよ辞めて、武力で決するのでは無く、スポーツで勝ち負けを決めるルールとして発展した事は皆さんご存じだろう。 都市国家間の戦いであって、分散開催などありえない事なのだ。 今の形態は、アメリカのメディアが、視聴率を確保するために仕組んだ事だろ思われてならない。 東京など、アメリカからしてみれば、少しも魅力が無いはずだ。 同じような都市はアメリカに五万とある。 違うのは住んで居る人間だけで、先の戦争で焼け野原になった都市など文化財的魅力など無いのだ。 その点札幌は、明治の開国以来アメリカ人が指導者として、多数手助けして出来た町である。 札幌冬季オリンピックは、アメリカはウインタースポーツの最盛期で、マスコミの対象ではなかったはずだ。 そんなアメリカの商業主義が、開催地分断という手でかき回し始めた。 それもそうだろう。 東京都も、前回の良い思い出(利益)を再びとばかりに欲の皮が突っ張って、立候補したのだから、その隙を突かれたのだ。 此れが京都や、原爆被害都市長崎、広島だったら全く違ったはずだ。 政府も、東京都の経済力で、オリンピック景気に沸いてくれれば濡れ手に粟。 そんな邪な考えが底流に在る為に、反対できないのが見え見えなのだ。 そんな大会辞めてしまえ。 皆さんボランティア放棄しましょうよ。 そうすると開催不可能に成りますよ。 最初からタダで人を使ってぼろ儲けを企てた東京都のだから。