藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

困ったものだ

2019-11-08 17:49:28 | 日記・エッセイ・コラム

フェイスブックからメイルがしつこく来る。 「○○さんと、△△さんが、今日誕生日です。 お祝いの言葉を送りましょう。」 お二人とも先月までに亡くなった。 亡くなれば、仕舞いをする者はいない。 何時まで続くのだろうか。 


此れでいいのか日本は

2019-11-08 06:28:11 | 日記・エッセイ・コラム

 窓の外は真っ暗闇である。 六時の朝が、何かしら世の中の進展を象徴しているかのようだ。 若者が、一夜の狂乱に酔うのが解かる気がしている。 大学受験制度の変更は、真に子供たちのより良い成長の為とはとても思えない。 子供が減って来た現状から、私塾の救済策として、思い付きでやろうとしただけのような気がする。 世も末である。 新しく作った大学が、応募が多かったというだけで、建設の許可を正当化しようとする総理。 何処か論点を変えてはいませんか。 本来入学の力が無いものまで、無駄な四年間を費やす事こそ、国家の損失だ。 やる気のあるものを本気で支援し、人材を見つけ出す事こそ、国がやらなければならない施策ではないのだろうか。 ニート族の大量発生は、安易に大学入学させたことが原因と思われてきた。 ハロウィーンで、浮かれて渋谷や道頓堀でバカ騒ぎする若者を見るたびに、こうした精神しか作れなかった教育の衰退は、嘆かわしいばかりだ。 何か一つ、社会に貢献できる力を身に着けさせることが、教育の本文ではないのだろうか。 そんな無くても良いような大学で、教鞭をとっている教授と呼ばれる連中の大半が、国公立の大学の定年退職者だという事にも問題がありそうだ。 社会は、彼らが考えるより速い速度で、変革しているこの現状の中で、教育者として何ができるか考えて欲しい物だ。 出来るものが無いならば、さっさとその席を若い物に譲るべし。 元総理の森さん貴方もですよ。 何の為に貴方がいるのか考えてみると、札幌は貴方の所為で決まったのだと思います。 確かに猛暑の中のマラソンや競歩が過酷かもしれない。 そんな中でもやってこそスポーツなのだ。 クーラーの効いたところでなんかやっているスポーツなんか、ただ単に金儲けの話だと思えるのだが如何でしょうか。 より強く、より高く、より遠くへ‥‥ スポーツの本質を外れたものなど、見たくもない。 見ていても感動も無いだろう。