『若い人でも、ときどきもの忘れをするもの。
でも、忘れることには効用もあるのです。
上手に覚えて上手に忘れる。
人間の機能は
よくできています。』
さくらマガジン1月号の「こころからだGENKI」<こころ>編に書かれていた言葉です。
あの日を境に、生きていく環境が急激に変わった、・・・変わってしまった方達が大勢いるのです。
娘が1歳で、神奈川県の津久井郡でのんびりと暮していた頃でした。朝テレビをみて・・・画面から「生田神社」がペチャンコになっている様子が映っていて・・・数秒間『事態を把握できない状態』だったことを良く覚えています。
明石に住むS氏の両親を半年間、津久井郡に呼び寄せ(実際には、迎えに行き、義父の車で津久井郡まで連れてきたのですが)一緒に暮しました。
そのとき既に、義母がパーキンソン病だったので、車椅子生活でした。
半壊になった家をどうするか・・・義父も迷ったようですが、「余生を住み慣れた自宅」で過ごさせたいとの、義父の希望で・・・半年間の間に半壊になった家を修復し、住める様にしたのです。ときどき義父が、明石に帰りホテルに宿泊しながら「リフォーム」を進めたのです。
義父がいない間は、1歳の娘と義母の両オムツを交換する毎日でした。
でも~イイカッコするのではないですが・・・決して嫌な事ではなかった記憶があります。
義母は、「普通のパンツがはきたいわぁ~だって、これじゃカッコ悪いじゃない~」と笑顔で言っていましたっけ・・・
我がままで、決して「親孝行」と縁遠かった息子が、天から授かった半年間だったような・・・気がします。
テレビで、大震災が「人と人の絆」を強くしたと報道しています。確かに、強くなった絆もあるのですが、神戸の本家の家(この家だけが倒壊を免れた)では、人の嫉みから、飼い犬が毒殺されたと言う辛い事実もあるのです。
震災後は・・・いつまでも続くのです。12年後・・13年後・・14年後・・
前向きに生きられるように『上手に覚えて上手に忘れる』
そんな風に生きて行きたいですね。
去年の同じ日 2006年1月17日に
ブロ友のかぐやひめ様が胸がキューンとなる記事を書かれているのでご紹介させてください。
「一年に一度だけ思い出す」 なんて意味が無いと言われそうですが、「1年に一度でも思い出す」 ことで、反省したり、次の世代に伝えていけるのではないかと思っています。
昨年の 20060118ブログに記事を書いています。
我が家はほとんど被害はなかったんですが、やはりいろんな影響を受けました。
「上手に忘れる」難しいけど大切かも。
身近に被害を被った人がいないだけにニュースを見て感慨を新たにしました。
「上手に覚えて、上手に忘れる」・・・いい言葉です。
「住み慣れた自宅」でというお父様の英断もすばらしい。震災で失ったものは「やる気」と言いますから・・・いまに到るお元気の元だと思います。
西宮勤務もあったんですかぁ~
「転勤運」がきっとあるんですね
南国でも、頑張ってくださいね
☆シェルさま
明石の家は、「土台」を直したので、小さな家一軒が立つほどの「修繕費」がかかってしまいました。
でも、それは義父の「妻への感謝」だと今でも感じます。
☆ToyBoxさま
人間は、常に「前向きに生きていかなくてはならないですもんね」
反省しつつ・・って生きたいです。
☆かぐやひめさま
津久井郡の家は、ある大学の先生のお家で、訳ありで「借家」になっていた所でした。
広い庭・部屋数のある・・家だったので、それも
「天から授かった借家」だったのでしょうね。
義妹の家は、ほとんど無傷だったのですが、「受験生」が二人もいたので、我が家で引き取ることにしたのですが・・・
義父は、シブシブでした。
今でも、「あの寒い家!」とか言って、良くは言いませんよ~