日々のこと

日々の生活の中で…

忘れられない朝のこと

2007-01-17 | 神戸(明石・舞子)

 『若い人でも、ときどきもの忘れをするもの。

でも、忘れることには効用もあるのです。

上手に覚えて上手に忘れる。

人間の機能は

よくできています。』

さくらマガジン1月号の「こころからだGENKI」<こころ>編に書かれていた言葉です。

 

 

あの日を境に、生きていく環境が急激に変わった、・・・変わってしまった方達が大勢いるのです。

娘が1歳で、神奈川県の津久井郡でのんびりと暮していた頃でした。朝テレビをみて・・・画面から「生田神社」がペチャンコになっている様子が映っていて・・・数秒間『事態を把握できない状態』だったことを良く覚えています。

明石に住むS氏の両親を半年間、津久井郡に呼び寄せ(実際には、迎えに行き、義父の車で津久井郡まで連れてきたのですが)一緒に暮しました。

そのとき既に、義母がパーキンソン病だったので、車椅子生活でした。

半壊になった家をどうするか・・・義父も迷ったようですが、「余生を住み慣れた自宅」で過ごさせたいとの、義父の希望で・・・半年間の間に半壊になった家を修復し、住める様にしたのです。ときどき義父が、明石に帰りホテルに宿泊しながら「リフォーム」を進めたのです。

義父がいない間は、1歳の娘と義母の両オムツを交換する毎日でした。

でも~イイカッコするのではないですが・・・決して嫌な事ではなかった記憶があります。

義母は、「普通のパンツがはきたいわぁ~だって、これじゃカッコ悪いじゃない~」と笑顔で言っていましたっけ・・・

我がままで、決して「親孝行」と縁遠かった息子が、天から授かった半年間だったような・・・気がします。

 

テレビで、大震災が「人と人の絆」を強くしたと報道しています。確かに、強くなった絆もあるのですが、神戸の本家の家(この家だけが倒壊を免れた)では、人の嫉みから、飼い犬が毒殺されたと言う辛い事実もあるのです。

 

震災後は・・・いつまでも続くのです。12年後・・13年後・・14年後・・

前向きに生きられるように『上手に覚えて上手に忘れる

そんな風に生きて行きたいですね。

 

 

去年の同じ日 2006年1月17日に 

ブロ友のかぐやひめ様が胸がキューンとなる記事を書かれているのでご紹介させてください。

 

「一年に一度だけ思い出す」 なんて意味が無いと言われそうですが、「1年に一度でも思い出す」 ことで、反省したり、次の世代に伝えていけるのではないかと思っています。

昨年の 20060118ブログに記事を書いています。

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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (南国ゴルファー2年生)
2007-01-17 18:18:28
忘れてはいけない事、忘れなくてはいけない事、うまく選り分けながら生きる術を私たちは知っていますね。あの年は香港にいました。西宮北口という所からの転勤だったので、ニュースに一喜一憂したのを覚えています
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あの時のことは・・ (シェル)
2007-01-18 09:50:39
もっと年をとって呆けても、きっと忘れないでしょう。
我が家はほとんど被害はなかったんですが、やはりいろんな影響を受けました。
「上手に忘れる」難しいけど大切かも。
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12年・・・ (ToyBox)
2007-01-18 10:57:01
ついこの間の震災の記憶がありますが12年も経ったのですね。
身近に被害を被った人がいないだけにニュースを見て感慨を新たにしました。
「上手に覚えて、上手に忘れる」・・・いい言葉です。
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親孝行 (かぐやひめ)
2007-01-18 15:14:16
ご一緒に過ごされた「天から授かった半年間」はなにものにも代えがたい大切な時間になりましたね。
「住み慣れた自宅」でというお父様の英断もすばらしい。震災で失ったものは「やる気」と言いますから・・・いまに到るお元気の元だと思います。
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時間 (テレーサ)
2007-01-19 09:14:36
☆南国ゴルファー2年生さま
 西宮勤務もあったんですかぁ~
 「転勤運」がきっとあるんですね
 南国でも、頑張ってくださいね

☆シェルさま
 明石の家は、「土台」を直したので、小さな家一軒が立つほどの「修繕費」がかかってしまいました。
 でも、それは義父の「妻への感謝」だと今でも感じます。




☆ToyBoxさま
 人間は、常に「前向きに生きていかなくてはならないですもんね」
 反省しつつ・・って生きたいです。


☆かぐやひめさま
 津久井郡の家は、ある大学の先生のお家で、訳ありで「借家」になっていた所でした。
 広い庭・部屋数のある・・家だったので、それも
「天から授かった借家」だったのでしょうね。
 義妹の家は、ほとんど無傷だったのですが、「受験生」が二人もいたので、我が家で引き取ることにしたのですが・・・
 義父は、シブシブでした。

今でも、「あの寒い家!」とか言って、良くは言いませんよ~
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