WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

沖縄の旅 -座間味島ー

2022年10月06日 | 沖縄

海が美しい沖縄でも宮古島、八重山諸島と並び賞される慶良間諸島の1つ座間味島。一度は見ておきたいと訪れました。結論から言うと一度見ておけばいいかな。

慶良間諸島は、沖縄本島南部の那覇市から西に約40kmの東シナ海に点在する、大小20余りの島からなる島嶼群である。沖縄県に属する。沖縄諸島に含まれる。 ウィキペディア

座間味島へは那覇泊港からフェリーで約2時間、往復割引で4,090円(+2,000円で所要1時間の高速船もある)。

安慶名敷島の先端、アゲナシク浜。
フェリーから撮影。これぞ慶良間ブルー!無人島。座間味島からチャーター船で渡る。

座間味島は海岸線が入り組んだ複雑な形だが、長方形で囲えば縦4㎞×横5㎞ほどの小さな島。人口も400人に満たず、そのほとんどは座間味港のある500m四方ほどの座間味集落に集中している。昔はカツオ漁が盛んで鰹と鰹節が主産業だった。その美しい海が知れ渡った現在はダイビングなどのマリンスポーツと観光業で、その担い手も中心は昔からの島民よりマリンスポーツに関わる外来の人たちだ。みなとのフェリー待合室兼土産物売店・観光案内所の店番の女性は東京出身ということだった。

私はもうマリンスポーツをする歳でもないので美しい景色を楽しむだけの観光。てか、マリンスポーツをしない人には景色を見るくらいしか無い。
昔からの島民の人たちと交流したくてもそういう施設も機会もない。沖縄戦では本島上陸の前に真っ先に米軍が上陸し、「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」と洗脳されていた住民たちの中には自決に追い込まれた人たちもいた。なのにそんな悲惨な「黒歴史」を知らしめて平和を願い築こうという意思表明が全く感じられない。これも観光依存、外国人依存で生きることを選んだ島ならではの忸怩たる生き残り策なのかもしれない。南城市では住民あげての、戦争を二度と起こしてはならない強い平和希求の意志を感じたのだが…。

絶景地を回れるように、あまり島民は使わなそうな観光道路だけは住民のいない島の端まで整備されている。標高は200mもないが道路の起伏は激しいので歩いて回るのは大変だが、レンタルバイク(6時間3,700円)を利用すれば1日でも島全体を回れる。今回は奮発してレンタルバイクを利用しました。

一応、村営バスもある。当然ながら本数は少ないが時間を見てうまく利用すれば、古座間味ビーチや神の浜など港近くの観光ポイントはバスでも回れるだろう。

高月展望台
島のもっとも高所にあるので島のほぼ全体を見渡せる。

アゲナシク浜も見える。

絶景ではもっとも有名かもしれない神の浜展望台。特に夕日がきれいと評判。

マリリンの像
対岸の阿嘉島に住む雄犬シロが、座間味島に住む恋人ならぬ恋犬マリリンに会うために海を泳いで渡ってきたという。一応実話とされているが作り話のような”島伝説”。

港から最も遠いイノー浜。
さすがに海の家のような観光施設はない。♪今はもう、だれもいない海。穴場っぽいけれど、それでもオンシーズンにはさすがに海水浴客でにぎわったことだろう。

ビーチには軽石がまだ残っていた。


古座間味ビーチ
まだまだ暑いがシーズンも過ぎているのでさすがに人は少ない。外国人が多い。米軍関係者か?

古座間味ビーチの「海の家」

店員のお姉さんもマリンスポーツウーマンだろう、小麦色を通り越してこげ茶色。聞いてはないがとても根っからの島民には見えない。

本日のお宿、ZAMAMI INTERNATIONAL GUEST HOUSE。
経営者は外国人(アメリカ人?)だった。


島に3軒あるお店で”最大”の何でも屋「105ストアー」
食品から雑貨、衣類、道具類まで生活に必要なものはほぼそろう。
お値段はもちろん安くはないが、思ったほど高くはなかった。本島の1~2割増しくらい。

座間味島感想文
海と景色はもう最高。一生に一度は体験しておくべきと言ってもいいくらい。
ただ、それ以外何も無い。
まず地元民が見えない。言ってる意味分かりますかね。
もちろんジモジモらしき人はいるのはいるんだけど、伊江島や津堅島などで感じた地元に誇りを持って盛り上げて行こうという気概、暮らしの息吹・魅力を感じない。
地元民はあまり利用価値が無さそうな観光アクセス道路ばかりが延びている。
絶景とマリンスポーツで好きなことして暮らしていこうという、言葉は悪いがヨソ者が大きい顔をしている島。島作りもそれに沿って観光客にいかに金を落とさせるかという視点でなされている感じ。良くも悪くも「観光化」の典型。
「yakuruya」という島の海と観光案内のハコモノも新設されていたが、島の歴史や生業、風俗、習慣、沖縄戦についての情報はほとんど無い。
私は、おそらくもう来ることはないと思う。