図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

火の国 水道凍結

2016-02-08 15:53:21 | 日記



普段凍ることのない九州で水道凍結

火山の国九州で、水のはたらきで道が破壊される


既存の道が自然の力で破壊される

それは、天地(あめつち)の心の現れ


同じような連想をさせる言葉を残している方がいます。


昭和3年、太平洋戦争が始まると日本国民が地獄へ落ち入ると

田中義一総理に鳩山一郎内閣書記官を通して謹告分を渡した出居清太郎氏

出居清太郎氏は昭和43年、将来の危機に臨み

「川に沿わないで水に沿って行け、川に沿うから川に落ちるんだ」

と言葉にしています。

川とは既存の考え方

水とは天地自然の心

その言葉の前に

「何もかも裸になれ、天借を払え、大恩に報いよ。

総理大臣以下国民よ、天借を払わざれば行詰まるぞ」



ここまで5日の昼に書きかけて、

九州は火の国というのがしっくり感じるだろうか

と思っていました。








夜の桜島の噴火で火の国で間違いないと思えました。

夜空に広がる溶岩の流れは、火のはたらきの強さを感じました。





出居清太郎氏は、全て火、風、水のはたらきから産まれる

と敬霊気に書かれています。


日月神示の中にも

五十黙示録 第03巻 星座の巻

第一帖
 この巻「星座の巻」。偶然と申すのは、宇宙世界、星の世界の必然からのものであって偶然ではないぞ、天に星のある如く地には塩があるのであるぞ、シホ、コオロコオロにかきならして大地を生みあげた如く、ホシをコオロコオロにかきならして天を生みあげたのであるぞ。天の水、地の水、水の中の天、水の中の地、空は天のみにあるのではないぞ、地の中にもあるのぞ、天にお日さまある如く地中にも火球があるぞと申してあろう、同じ名の神二つあるぞ、大切ことぢゃ。

ひふみ神示 第01巻  上つ巻 / (うへつまき)

  第一帖(一)
 二二は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらはす代となれる。 みたまを不断に磨いて一筋の誠を通して呉れよ。いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、この世初まって二度とない苦労である。このむすびは神の力でないと何も出来ん、人間の算盤では弾けんことぞ。世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終らぬ道理が分らぬか。臣民同士のいくさでない、カミと神、アカとあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。てんし様が神と分らん臣民ばかり、口と心と行と、三つ揃うたまことを命(みこと)といふぞ。神の臣民みな命(みこと)になる身魂、掃除身魂結構。六月の十日、ひつくのかみ。




偶然ということは天地の起こすこと


いらぬものがが無くなるまで、火と水の反対のはたらきは終わらぬ。


口と心と行と、三つ揃うたまことを命(みこと)といふ


言霊とは誠の心で行うことで命になる。





古代ギリシアの哲学では

万物の根源をアルケーと呼び

哲学の祖はミレトスのタレースは、万物の根源(アルケー)を水であるとし、

ヘラクレイトスは火を、ピュタゴラスは数をアルケーとした。

神々の生きた古代ギリシアでは、アルケーとテロスの概念があった。




『新約聖書・福音書』において、イエズスは「わたしはアルパであり、オメガである」と述べたと記されているが、アルパ(Α)とオメガ(Ω)はギリシア語アルファベットでの最初と最後の字母である。
したがって、イエズスは「わたしはアルケーでありテロスである」と述べたとも解釈され、彼はギリシア語で語ったのではなくアラム語かヘブライ語で言葉を述べたはずで、ヘブライ文字だと最初と最後の字母はアレプとタウとなり、これはギリシア語のアルケーとテロスの頭文字に対応する。





元素と各項目の対応関係を示す表をみると







プラトン立体では





正四面体 火





正6面体 地





正8面体 空気





正20面体 水





この立体では、火が最初であり、水が最後であるともとれます。






錬金術では、

上昇する三角形(火)と下降する三角形(水)で作られるシュリヤントラに







4元素が現されているように見えます。





合気道開祖 植芝盛平翁は、

合気道では、この火と水を重視している。開祖は「武産合気」の中で、「この火と水を名づけて合気というのです。だから全大宇宙と言うものは全部火と水にて一杯つまっている。これを合気と名づけている。まず形でいうと、この火と水の交流によって、気というものが出来る。人が呼吸しているのも、火と水の交流による。火と水が一杯つまっているから世界は動き、ものは活動する。」と言われている。

天の浮橋とは火と水の交流という。丁度十字の姿、火と水の調和のとれた世界である。つまり高御産巣日、神産巣日二神が、右に螺旋して舞い昇り、左に螺旋して舞い降り、この二つの流れの御振舞によって世界が出来たという。火(か)と水(み)でカミになり、このカミ(火と水)の根源は一元に帰るが、一元から霊魂の源、物質の根源が生まれたという。これが天地における水火の交流であろう。








太古の神殿の遺跡は

根元からの一なる思考が有った。





現代の自己を起点として思考する文明より


根元の火水(かみ)を思考する文明が優れた物を作っていても




不思議でないですね。










コメント
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