道々の枝折

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自然農法

2006年08月22日 | 飼育・栽培

知人に野菜の苗を貰ったことが契機となって、昨年の春から自宅近くに菜園を借りて作物をつくっている。

其処は礫混じりの山土で造成された宅地の一部だったから、その年は耕地化する作業に終始した。作物らしいものはナスとサツマイモぐらいしか収穫出来なかった。

今年は昨年投入した堆肥が効いてきたのか、キュウリ、ナス、トマト、ピーマンなどがまずまずの出来。趣味でする野菜づくりだから、当初から化学肥料と農薬は使わないことにしている。果たしてそのやり方で、毎年作物を成らせることが出来るものかどうか、まったく自信がなかった。

そんなとき、「自然農法を始めました」という本に出会った。自然農法では、雑草や害虫は作物の敵ではなく共生すべきものと考えている。そして、化学肥料であれ天然肥料であれ、人為的な施肥は、土壌中の各種生物の生活環境を混乱させる弊害があると見る。土壌の生態系を乱さないことが、地力を維持する唯一の方法であるらしい。微生物が刈り草や落葉などを分解してできる腐植の働きを最も重視する。

自然農法家は、作物にとっての肥料とは栄養ドリンクまたは点滴注射のようなものであって、食物に該るものではないと言う。肥料を与えるだけでは、植物の健全な成育は望めないらしい。植物には、土壌中に棲息する無数の微生物が動植物の遺体や動物の排泄物などを分解して産生する腐植物質というものが必須であると説く。

更に、雑草と作物を混在させて育てると、作物の根張りがよくなるとも教えている。日照の障害になる雑草だけを刈り取って、他は生えるにまかせるそうである。雑草の存在が畑で棲息する昆虫の多様化をもたらし、特定の害虫の異常発生を抑えることに繋がるそうだ。

雑草も昆虫類も、須く作物と共に生きる意義を持つと考えている。害虫は不健康な作物を食べるのであって、健康に育った作物は、害虫の攻撃にもたやすく屈しないようである。

刈ったり抜いた雑草で、作物の根回りを覆い放置しておくと、土との接触面で速やかに腐植となって腐植物質が土中に浸透し、作物の根から吸収される。完熟していない草葉を土中にすき込むと、有害ガスが発生して根を傷めるから、土の表面に伏せるだけで十分なのだそうだ。

雑草を活かして作物をつくることが、自然環境への負担を軽くすることは確かだろう。「自然界に無用なものは何ひとつ無い」という考え方が根底になければ、この農法を貫くことはできない。人類にとって無用または有害と思われているものが、他の生物にとっては大いに有用であることは多く見聞する。

雑草があれほど蔓延り、逞しく成長できるのは、存在そのものが自然の摂理に適っているからだろう。雑草は、この緑の地球が存続するため、延いては生物が生存し続けるため、測り知れない大きな役割を担っているのかもしれない。

そもそも野菜にしてからが、その由来を遡れば、人類がある種の雑草を長い時間をかけて採取と栽培を累ね、常食する中で選択改良され、今日の栽培品種となったものだ。その結果、食用の作物だけが有用植物となり、それ以外の草は、それらの成育を妨げる無用植物=雑草=農業の敵となった。

今日では多くの栽培作物が野性を失い、人手で雑草や害虫から守ってやらないと生育できない。栽培作物は、雑草に較べ自然への適応力が殆ど失われている。したがって、自然農法に適するのは、比較的自然への適応力が、まだ多分に遺っている作物に限られるということになるだろう。

自然農法に、不耕起(土を耕さない)栽培という、Agricultureの常道を根本から覆すような手法があると聞き、その発想に心底からCulture Shockを覚えた。一体そんなことができるのだろうか?。土を耕さない農業・・・?これは雑草の繁殖力を逆手にとって、目的作物の栽培に活用するらしい。

意外性と疑念が探求心を呼び醒ましてしまったから、来夏の菜園は、雑草だらけの惨憺たる有様になるかもしれない。

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