人が歳を取るごとに感性が衰えるのはやむを得ない。若いときには誰もが瑞々しかった感性が、老年になって衰えないためには、中年以降に様々な手立てを講じてなくてはならない。
読書を真っ先に挙げる人も多いが、他人の感性の著述をどれほど読んでも、精神の受動では感性の涵養は難しい。精神の能動こそ、感性の維持には必須のものである。
旅は最も手軽で総合的な感性保全の有効策だが、目下のコロナ禍で感染のリスクがあっては、実行は思うに任せない。
旅のほかに感性を涵養する方法を思いつくまま洗い出してみた。
美術・音楽・文芸に親しむ、自然に親しみ観察する、画像・映像を撮る、草花を栽培する、料理をつくる、などが思い泛かぶ。
これを面倒がるようになるのは問題である。私の場合は、その時期と連れ合いが料理を面倒がるようになるのとが一致した。
料理づくりは胃袋の命令ではなく感性の所産であって、精神の能動であることは間違いない。
こう考えてくると、事を面倒がるようになることは、感性が涸れ始めたということである。注意しなければならない。
それでも美味しいものに関心があるうちは大丈夫だろう。「美味しいものを食べよう」という意欲は「空腹を満たそう」とは明らかに違う。それが無くなったら、感性は涸渇に向かって坂道を転がる。
その点女性の方が美味しいもの(甘いものを含む)や服飾、草花などに感応する程度が高いから、感性の衰えはあまり心配しなくて良いかも知れない。女性は一般的に情操系が男性よりも発達しているように思う。
男性が老いと共に食べ物にこだわらなくなるのは要注意である。
味をつくらない上に味にこだわらないでは、救いようがない。
老化の弊害の最たるものが感性の涸渇であるなら、逆に感性を瑞々しく保っていれば、老いの苦悩の半分ぐらいは軽くなるだろう。
あれこれ愚考を重ねた結果、味へのこだわり即ちたしかな味覚が、感性維持の最後の砦だと心得た。
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