老いて洒脱な生き方をしていたら、その人は、佳い老境に在ると見て間違いないだろう。
洒脱とは、さっぱりしていて俗気がないこと。俗世に埋没していては得られない境地である。人生の晩期に入って、俗界を離れて初めて得ることができる境遇である。
英語で謂うcozyでcomfatableな生活は、本人が洒脱でなければ到底実現できるものではない。
老人なら洒脱かというとなかなか、加齢は俗気を多少希薄にしてくれているに過ぎない。洒脱な生き方は、求めて得られるものではない。
自分を知ろうとしない、自己を客観視できない人は、洒脱と程遠い境遇にあると見て差し支えないだろう。これは当人のユーモアのセンスが深く係ってくる。
人は人生の仕上げの時期に入ったら、終活よりも何よりも洒脱でありたい。
そもそも終活などという言葉は、売れっ子生活評論家など、俗臭芬芬たる連中が思いついた造語かと思う。本の発行部数やTV出演数を伸ばすためには、インパクトのあるキャッチワードが必要だ。
生命・死後という、人為の及ばない領域に予めあれこれ手配り心配りをするなど、被造物の分際で小賢しいと、造物主なら疎ましく思うのではないか?
私たちは自分の力で生きているのではなく、生かされているのである。
終活は、自分や他人が洒脱かどうかを知るに恰好の踏み絵である。
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