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道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

高齢者と生活実感

2025年01月26日 | 随想
半世紀以上も前のこと、私は伊豆半島の紺碧の海を見下ろす高原の一角にある、当時としては理想的な高齢者施設を訪れた。そこで暮らす高齢の夫妻に所用があっての訪問だった。まだ介護制度もない昭和の時代である。

全面芝生の広い敷地内には諸処に樹木が植えられ、花々が花壇に咲き乱れていた。敷地内には多数の2階建て住戸(上下階温泉暖房2DK各一戸)が散在し、それぞれ、上階住戸専用と階下住戸専用の上下2段の屋根付き回廊で繋がり、中央管理棟のビルに接続していた。
中央管理棟の建物内には、食堂・レストラン、温泉大浴場、多目的ホール、診療施設、娯楽室やゲストルームがあり、医師・看護師が常駐していた。

居住者は首都圏で役所や企業をリタイアした人たちが大半、立地や設備から見ても、入居時の入居料・年間費用などは相当の額と推察された。

伊豆半島を縦貫する伊豆急行の駅に近く、入居者が子女の暮らす首都圏に行くには交通の便が抜群に好い。
入居者たちはしばしば子女宅へ行き、孫たちとの交歓を楽しんでいた。
まさに至れり尽くせり、天国への入り口を彷彿とさせる絶好の施設だった。今思うと、当時としては最高水準の老人ホームだったかと思う。

だが、まだ若かった私は、ひとつ気に懸かることがあった。その施設のサービスがあまりに完璧に過ぎて(居住者たちが生活実感を失ってしまうのではないか?)不安を覚えた。
全てが入居者の生活の利便に都合の良いことばかり。だが、何かが不自然だった。人の作ったものは、あまり完璧過ぎると不自然さを露呈する。

絵に描いたような理想の老後生活だが、入居者たちは、見方によってはそれを演じているかのようにも見えた。
花壇はあるが好きな草花1本、勝手に植えることはできない。海は見えているが、磯には降りられない。ペットも飼えない。
だが、入居している高齢者たちは、夫々自宅で暮らしていた当時の生活実感と全く異なる居住空間で暮らしていることに、違和感を感じていないようだった。そこでの暮らしに満足していた。現役時代のステイタス感覚を維持できていたのだろう。

健常な高齢者というものは、生活実感を保ち続けたいのではないか?という疑念が訪問先を辞去した後に湧いた。
理想的な老後を過ごしているようでいて、主体的に暮らせないのは、健常な高齢者にとって快適な環境だろうか?少なくとも当時の私には、自分の将来の老後に身を置きたい場とは思われなかった。「幸福は金銭では購えない」という至言が頭を掠めた。

半世紀を経て、高齢者になって考えてみると、高齢者が居心地好く暮らせる場所は極めて少ない。高齢であることそのものが、快適とは言い難いのが本当だろう。医療機関にかかっていれば、なおさらのことである。高齢者が身を置く場所は極めて限られる。

結論をいうと、子や孫の暮らす場、すなわち家族の居るところこそ、健常な高齢者が最も暮らしたい場所ではないかと思う。病を発し、自立出来なくなったら、家族の考えに従うのは当然だが。
愛する子や孫などと日々触れ合い、彼らの生活や成長を目の当たりにしながら、同じ屋根の下で同じ空気を吸いながら老いていくことこそ、高齢者が望むことではないかと思う。

介護関連の制度もなく、介護施設もなかった時代の老人は、皆が家族と同じ屋根の下で家族に支えられながら老後を過ごした。たとえ留守番であれ,何らかの役目を果たしていた。
充分ではなくとも可能な限りの親身の介護最低限の医療を受け、そこで亡くなるのが普通だった。寿命に限りある身に、高度先進医療で長生きしても、実際は当人に何の救いにも成らないのではないかと思う。健康寿命は医療によって保たれるものではなく、神慮によるものと心得なければ判断を誤る。

何万年もの間、人類は家族のもとで老い、家族のもとからあの世に旅立ったのである。救急車と救急医療の恩恵を、私たちは高々数十年しか浴していない。救命された後のことを、高齢者と家族で相談しておかなければならない。人生の幸福は、長く生きることよりも、どう生きるかに懸かっている。
ただしそれも、家族の負担にならないことが重要だ。老が病を招き、家族に介護の負担がのしかかるようになったらどうするか?それは家族の側が決めることで、老人がとやかく言える問題ではないが、家族と離れて暮らす選択もあり得る。

巨額の投資と職員の教育訓練で、充実したケアとホスピタリティを誇る施設に居るよりも、不備は多くても、心配してくれる家族の顔を見て暮らす方が、老人にはどれほど有難いことかと想う。単なる長命より、老いてなお家族との生活に密着していたいのが老人の真の希いではないか?
そうは言っても希いだから、成る成らぬは別のこと、これも天運に任せるほかは無い。

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