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もはや意味不明の護憲派主張 押し付け憲法論をめぐる論理の混濁

2016-11-04 21:33:49 | 時評

護憲派と言うものは、どうも旗色が悪い様子である。
護憲派の主張を支える朝日新聞の論調は、社説「未完の目標に歩み続ける」である。
憲法は解釈で動き続ける、して見ると、未完の目標とは解釈改憲になるかと、
これは憲法の実像をすこぶる歪める行為だと考えるが、朝日新聞はお構いなしである。

米国バイデン副大統領の指摘が、護憲派を押しつぶした。
理想論が崩れ去るのは、時間の問題でしょうか?
そろそろ、現実に即した議論が必要だが,TPP採決では、またもやらかした。


2016.11.3 14:00更新
【阿比留瑠比の極言御免】
もはや意味不明の護憲派主張 押し付け憲法論をめぐる論理の混濁

http://www.sankei.com/premium/news/161103/prm1611030019-n1.html

もはや護憲派勢力は、自分たちが一体何を訴えているのか訳が分からなくなっているのではないか。3日の憲法公布70年に先立つ2日付朝日新聞の社説「未完の目標に歩み続ける」を読んで、率直にそう感じた。
 社説は、戦後の占領下で日本政府が作成した憲法改正案には「国民主権」の言葉はなかったと説き、こう指摘する。
 「それが今の姿になったのは、連合国軍総司令部(GHQ)が国民主権の明記を指示したからだ」
 ならば朝日新聞は「押し付け憲法論」の立場にあるのかというと、そうではないからややこしい。「日本国憲法が米国主導で生まれたのは事実だ」(8月17日付1面コラム)と認めつつも、あくまで押し付けではないと言い張るのだから分かりにくい。
 2日付の社説にはこんな一文があった。
 「憲法それ自体は一片の文書にすぎない。自由・平等・平和という憲法が掲げる普遍的な理念にむかって、誕生時の重荷を背負い、時に迷い、時に抵抗を受けながらも、一歩ずつ進み続ける。その営みによって、体全体に血が通い、肉となっていく」
一読、文意がよく理解できたという人がどれほどいるだろうか。筆者は繰り返し読んでも何を言っているのか腑(ふ)に落ちない。かろうじて「誕生時の重荷」とはGHQが草案を書いたということだろうかと判読したが、誤読かもしれない。
 「時に抵抗を受けながらも、一歩ずつ進み続ける」の部分については、護憲派の反対に遭いながらも、逐条的に改正を続けてより良い憲法にしていくという意味かしらんとも考えたが、そんなわけもあるまい。
 また、別の部分では「憲法に指一本触れてはならない、というのではない」とわざわざ断っている。
 本心では憲法改正にとにかく反対だし、憲法がGHQ製だとは認めたくないのだけれども、憲法信者・憲法原理主義者だとは思われたくないので、抽象論に逃げて言い訳しているようで論理が混濁している。
 9月1日付当欄でも取り上げたが、米国のバイデン副大統領は8月15日の演説であっけらかんと「日本国憲法を、私たちが書いた」と述べているのである。
 駒沢大名誉教授の西修氏によると、ブッシュ前米大統領も就任前の1999年11月の演説でこう語った。
 「われわれは、日本を打ち負かした国である。そして食料を配給し、憲法を書き、労働組合を奨励し、女性に参政権を与えた」
憲法を押し付けた側が当然の事実としてそれを認めているのに、押し付けられた側が必死に否定しようとしても無駄な抵抗である。
 そもそもGHQは自分たちの占領目的に合致するように憲法草案を作ったのであり、その目的の一つは間違いなく日本の弱体化だった。護憲派は、それを無理に擁護しようとするから「不合理ゆえにわれ信ず」的な信仰の告白のような主張となるのだろう。
 「一時はメディアや野党の改憲反対キャンペーンによって改正反対派が増えていたが、最近は世論も冷静になってきた」
 安倍晋三首相は最近、周囲にこう語り、憲法改正は「急がば回れ」の姿勢で取り組む考えを示している。確かに、護憲派が力めば力むほど、国民はしらけるものかもしれない。(論説委員兼政治部編集委員)



(社説)あす憲法公布70年 未完の目標に歩み続ける
2016年11月2日05時00分

 広島市長だった秋葉忠利さんは、かつて「原爆の日」の平和宣言で憲法の条文を
まるごと引用したことがある。

 9条ではない。

 盛り込んだのは99条である。
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、
この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」

 そこに「国民」の文字はない。
憲法は、国家権力が勝手な行いをするのを国民が縛り、個人の自由や権利を守るためにあるという
近代立憲主義の精神が、条文には込められている。

 秋葉さんが生まれたのは1942年11月3日。憲法が公布されるちょうど4年前だ。

 中学で憲法を学んだ。留学先の米国では、大統領が就任式で
「憲法を維持し、擁護し、防衛する」と誓うと知った。
市長3年目に米同時多発テロが起きた。99条の引用はその翌年だ。

 世界が憎しみと報復の連鎖に満ちていても、為政者は平和憲法に従う義務がある。
この国を戦争ができる国にしてはならない――。
安保法制が具体的に動き出そうとしているいま、当時の訴えはいっそう重く響く。

 ■「国民主権」の誕生

 70年前、天皇に主権があった明治憲法を改正する形式をとって、日本国憲法は生まれた。

 憲法を定めた者として、前文でその理念を説くのは「日本国民」である。冒頭で高らかにうたいあげる。
「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」

 だが46年6月に政府が当時の帝国議会に提出した案に、「国民主権」の言葉はなかった。
天皇を中心とする国であることは変わらないとの立場から、
「ここに国民の総意が至高なものであることを宣言し」と、あいまいな表現がとられていた。

 そのころ政党や民間がつくった憲法草案の中には、国民主権を明確に打ち出したものもあった。
だが政府はその考えをとらず、主権者は誰なのかという議員の追及をけむにまき続けた。

 政府の担当大臣はこう答弁している。
「天が動いておったか地が動いておったか。
議論がいずれにあるにしても、動き方は古(いにしえ)より変わっておりませぬ」

 ■奥平さんの遺言

 それが今の姿になったのは、連合国軍総司令部(GHQ)が国民主権の明記を指示したからだった。
「国民主権という言葉をはっきり出さぬと具合悪いのだ」。
議事録に残る議員の発言に、本音がかいまみえる。

 「日本は立憲主義を語らずに立憲主義を実行した」

 昨年亡くなった憲法学者の奥平康弘さんは、
こうした経緯を念頭に、憲法の出発点には禍根があると語っていた。

 だが同時に「憲法は未完のコンセプトだ」とも訴えていた。
その意味するところを、一人ひとりがかみしめたい。

 憲法それ自体は一片の文書にすぎない。
自由・平等・平和という憲法が掲げる普遍的な理念にむかって、
誕生時の重荷を背負い、時に迷い、時に抵抗を受けながらも、一歩ずつ進み続ける。
その営みによって、体全体に血が通い、肉となっていく。

 プライバシー、報道の自由、一票の価値、働く場での男女平等、知る権利……。
社会に定着したこうした考えも、憲法という土台のうえに、70年の年月をかけて培われたものだ。

 「憲法はつねに未完でありつづけるが、
だからこそ、世代を超えていきいきと生きていく社会を作るために、憲法は必要なのだ」。
奥平さんの言葉だ。

 ■先祖返りを許さない

 この歩みを否定し時計の針を戻そうというのが、自民党が4年前に発表した改憲草案だ。

 冒頭で日本を「天皇を戴(いただ)く国家」と位置づける。
西欧に由来する人権規定は、日本の歴史や伝統を踏まえて見直す必要があるとして制約をかける。
家族の互助の大切さを打ちだし、憲法を尊重する義務を負う者として「国民」を書き加えた。

 いずれも、70年前の帝国議会で、敗戦前の日本への思いを断ちがたい議員らがくり広げた議論と
驚くほど重なる。

 草案を支える人たちの根底に流れる考えを示す話がある。

 案の発表後、自民党議員らの政策集団・創生日本の会合で、元法相が
国民主権、基本的人権、平和主義の3原則を挙げ、
「これをなくさなければ本当の自主憲法にならない」と発言した。
のちに金銭トラブルで離党する若手議員は、3原則が「日本精神を破壊する」とブログに書いた。
創生日本の会長は安倍首相その人である。

 憲法に指一本触れてはならない、というのではない。
だが、長い時間をかけて積みあげた憲法の根本原理を壊そうとする動きに対し、
いまを生きる主権者は異を唱え、先人たちの歩みを次代に引き継ぐ務めを負う。

 憲法12条には、こうある。
 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、
国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」


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