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オウム真理教・松本智津夫死刑囚ら7人の死刑執行

2018-07-06 11:20:50 | 政治


宗教集団と言うが、疑問でもある。擬似国家組織を作り出してテロ活動を行ったが、
同時に89年の坂本堤弁護士一家殺害事件での、TBSの報道や、94年の松本サリン事件での
報道の有り方とか、反省すべき点は多々あるが、真摯な反省は見られなかったと記憶している。

95年3月の地下鉄サリン事件では、13人が死亡、6000人以上が負傷した。
大きな被害の出た築地駅至近の聖路加国際病院は当時の院長日野原重明の方針から大量に患者が発生した際にも機能できる
病院として設計されていたため、日野原の「今日の外来は中止、患者はすべて受け入れる」との宣言のもと無制限の被害者の受け入れを実施、被害者治療の拠点となった


事件後地下鉄内に残されたサリンの除去に、創設後初めて陸上自衛隊大宮化学学校教官と、化学防護小隊が当たった。
事件発生29分後には自衛隊中央病院などの関係部署に出動待機命令が発令され、化学科職種である第101化学防護隊、
第1・第12師団司令部付隊(化学防護小隊)及び陸上自衛隊化学学校から教官数人が専門職として初めて実働派遣された。
除染を行う範囲が広範囲であったため、第32普通科連隊を中心とし各化学科部隊を加えた臨時のサリン除染部隊が編成され、
実際の除染活動を行った


この事件がなければNBC兵器に対する自衛隊の役割が顕在化する事はなかっただろうし、科学防護服が
出る事態も無かったと予想している。


オウム真理教・松本智津夫死刑囚ら7人の死刑執行
2018/7/6 8:56 (2018/7/6 10:26更新)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32688690W8A700C1MM0000/

 法務省は6日、1995年の地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教の元代表、松本智津夫死刑囚(麻原彰晃、63)=東京拘置所=と元幹部の計7人の刑を執行した。事件から23年、日本の犯罪史上最悪のテロ事件の首謀者は、事件の真相を語ることのないまま極刑に処された。


1995年9月、移送される松本智津夫死刑囚(警視庁)=共同
 一連のオウム事件では松本死刑囚のほか、元幹部12人の死刑が確定しているが、執行は初めて。松本死刑囚の神格化につながり、教団関係者による報復も懸念されることから、公安当局は監視を強化するとみられる。
 確定判決によると、松本死刑囚は、89年の坂本堤弁護士一家殺害事件や脱会信者殺害事件で、被害者らが自分に敵対したり離反したりしたとの理由で、「ポア」という言葉を使い殺害を指示。94年の松本サリン事件では、サリンの殺傷力や噴霧装置の性能を確かめるため「実際に効くかどうかやってみろ」とサリンの噴霧を命じた。
 95年3月の地下鉄サリン事件では、同年1月に発生した阪神大震災に匹敵する大惨事を起こせば、間近に迫った警視庁の強制捜査を阻止できると考え、東京の地下鉄車内にサリンをまくよう指示し、13人が死亡、6000人以上が負傷した。
 一審・東京地裁判決は松本死刑囚を「救済の名の下に日本を支配し、その王になろうと各犯行を敢行した首謀者」と位置付け、殺人や死体損壊、武器等製造法違反などの罪で、13事件すべてを有罪と認定。死刑を言い渡した。
 控訴審で弁護側は「松本死刑囚は心神喪失状態で訴訟能力がない」と主張、期限までに控訴趣意書を提出しなかった。これに対し、東京高裁は「訴訟能力に疑いはない」として控訴棄却を決定。最高裁は2006年、弁護側の特別抗告を棄却し、死刑が確定した。
 松本死刑囚は08年11月、東京地裁に再審請求。10年9月に最高裁が特別抗告を棄却し、再審を認めない決定が確定した。その後も複数回再審を請求し、現在も請求中だった。
 かつて再審請求中の死刑囚への執行は避けられる傾向があったが、法務省は昨年相次ぎ執行。再審請求が執行時期に与える影響は小さいとみられていた。
 松本死刑囚は東京拘置所に収監されていた。関係者によると、17年5月の同拘置所の報告では、松本死刑囚は「明らかな精神障害は生じておらず、面会はかたくなに拒否するが運動や入浴の際に促すと居室から出てきている」という状況だった。


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