憲法9条は、元々が、非武装を誘発する、自国防衛を捨て去るおかしな条項である。
国家が防備しないで済む条件は有り得ない。見よ、国防を日米安全保障条約に依拠した姿のいびつで、
醜悪な姿を、そうして戦争反対と叫ぶ人々の何と身勝手な論理よ。
アメリカ人の若者の血は要求するが、日本人の血は流さないと称する姿の醜悪さよ。
過去に何時、日本が他国の領土を欲しがった事があるのか?
不幸にも、幸いにも、日本には領土要求の野望は無かった。
今、中国や韓国が侵略と呼ぶ事実は存在しない。
中国こそが、野望に燃える侵略国家なのだ。
安保法制は「建て付けの悪い家の改築」 野党が仕掛けた議論はお粗末だった…
産経新聞 10月4日(日)12時15分配信
http://www.sankei.com/premium/news/151004/prm1510040001-n1.html
集団的自衛権の限定的な行使容認を柱とする安全保障関連法が成立した。今回の国会論戦の構図は「建て付けの悪い家」の改築に例えることができるだろう。
日本の安全保障法制は、そもそも土台がおかしい。憲法9条を素直に読めば日本は軍隊を持てないはずだが、「自衛のための必要最小限度の実力を保持することは認められる」という理屈で自衛隊の保持を正当化した。
土台が不安定だから上物の法制にも首をかしげたくなる点が多い。さらに海外派遣など自衛隊に新たな役割が求められるたびに増改築し、しのいできた。
例えば、戦闘に参加している他国軍に兵站支援を行うのは「他国の武力行使と一体化しないので合憲だ」というのがこれまでの政府解釈だが、直感的に苦しいと言わざるを得ない。しかし現実にその理屈で海外派遣が行われてきた。苦しいといわざるを得ないが、必要な理屈だった。
憲法改正で土台から作り直すのが王道であることは間違いない。でも、時間と手間がかかりすぎる。中国の軍拡や北朝鮮の核・ミサイル開発など、日本を取り巻く安全保障環境の激変という大嵐は目前に迫っている。だから今回、家長たる安倍晋三首相は大規模な増改築を決断し、設計図を作った。それが今回の安保法制だ。
しかし、同じ家に住んでいるはずの野党は何をしていたか。家が壊れては元も子もないのだから、設計図の代案を示すなり、「土台から作り直そう」と提起するのが筋だ。にもかかわらず、民主党などは「はりが長すぎる」「見栄えが悪い」「嵐は来ていない」といった批判のための批判に終始。自分は居心地のいい部屋で寝転んだまま、汗をかく政府に文句を付けるだけだった。
安保法制には「法的安定性を損ねる」という批判もあった。しかし、むしろ法制はこれまでの構造を生かし、ギリギリの「安定性」を追求したものだ。分かりにくさや不格好さはあるが、それは突き詰めれば土台自体の不安定さに由来するのではないか。
安保法成立により、日本の安全保障体制は強化された。しかし、憲法を改正し、土台から作り直さないといけない時期はいずれやってくる。憲法改正につながるような本質的な議論が国会で行われなかったことは残念でならない。(政治部 千葉倫之)
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