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憂国のZ旗

日本の優れた事を様々話したい。

反発の声 5年ごとの暗証番号更新に

2022-10-15 22:47:32 | 政治


メデイアは、国葬儀や統一教会に並んで、
マイナーカードに一本化して反政府活動を魂胆して行く模様である。

プラスチックのカード化には、抵抗が無さそうである。
個別の事態に対処し得ると踏んでいるし、メリットの方が大きい。



「保険証廃止してマイナカードへ一本化」政府のゴリ押しに反発の声 5年ごとの暗証番号更新に「ハードル高い」
10/11(火) 16:00配信  1093
https://news.yahoo.co.jp/articles/269a6029e95cd447a038df17a90f619eaf30bfa1


健康保険証を廃止し、マイナンバーカードに一本化する――との報道が波紋を呼んでいる。10月8日に「朝日新聞」が報じた「保険証廃止、24年秋にも 厚労省調整、マイナカード一本化 交付率5割届かず、対応課題」と題した記事で、2024年秋にも保険証を原則廃止し、その後はマイナンバーカードを保険証として使うことを、厚生労働省が調整しているという。 【写真】マイナ保険証に対応した端末  SNSでは 《国民から健康保険証を取り上げて、情報漏洩不安満載のマイナンバーカードを国民に強制するって、なんのパワハラですか》 《当初は持ち歩いたら危険!とか他人に見せちゃ駄目!とか言ってたよね。これからは窓口に診察券と一緒に出すの?どこで変わった!!?》 《マイナンバーカードは使いたい人が便利にどんどん使ってください。保険証はそれ単体でも使えるよう残してください。それだけです》  など、批判的な意見が圧倒的に多い状況だ。 「私は、保険証をマイナンバーカードにするということには、基本的に賛成です」  と語るのは、ファイナンシャルプランナーの塚越菜々子氏だ。 「実際に2024年秋、強制的に切り替わるかどうかは別として、いずれそうなっていくことは間違いないことでしょう。マイナンバーカードが保険証になることによって、高額療養費制度の『限度額適用認定証』申請の手続きが簡素化されたり、薬歴情報が一本化されたりして無駄がなくなるなど、個人的にも社会的にもメリットは非常に大きい。  反対している方たちは、強制的に変更される点に反発を感じているのではないでしょうか。強制ではなく、どちらかを選択できるということであれば、ここまでの反発はなかったかもしれません」  SNSにはほかにも 《寝たきりの方とか、意思表明ができない方はどうすればいいんだ?5年で暗証番号変更、10年で写真撮り直しとかってハードル高くないか?今の健康保険証の方がよほど使いやすい》 という声も。 「たしかに、マイナンバーカードには10年の有効期限があり、暗証番号を5年ごとに更新する必要があるなど、ある程度の課題はあります。保険証と一体化するにしても、使い方がわからない高齢の方も出てくるでしょう。そうした方をサポートする仕組みをしっかり整備したうえで、保険証のマイナンバーカードへの移行を進めるべきだと考えます」(塚越氏)  10月2日時点で、マイナンバーカードの申請者数は7011万人で、人口の55.7%まで増えた。だが、マイナンバーカードの保険証利用は2021年10月から本格運用が始まったものの、実際の利用はなかなか進んでいない。「日本健康会議」が2022年9月4日に公表したデータでは、マイナンバーカードの読み取り機を導入した医療機関や薬局は6万4965施設で、目標とする20万施設の32.5%にとどまっている。  今後も運転免許証との一体化が可能になるなど、マイナンバーカードの用途は増えていくが、我々もその使い方をしっかりと把握していく必要がある。

最終更新:10/11(火) 21:11
SmartFLASH



野党が強硬にマイナンバー制度に反対する理由

2022-10-15 22:24:46 | 政治



マイナンバー制度の利点は、医療と結びついている事、
運転免許と結びついている事であるが、運転免許の方は、
試験場職員の無職化に結びついている様である。
これも多大な利益温存に結びついている。これらの案件は、
個別に撃破する事が可能である。

反対派の手の内が見えるようである。





野党が強硬にマイナンバー制度に反対する理由が発覚、色々と不正できない制度になっている模様
2022/10/15 21:32
https://you1news.com/archives/66997.html

1:名無しさん

特別永住者などで住民票上に「通称名」を持つ方の場合、通知カードやマイナンバーカードには、現行の健康保険証などのように通称名のみを記載することはできず、本名と通称名が併記されることになります。したがって、国籍や本名を勤務先などに伏せておくことが難しい状況となり、特別永住者などの帰化申請が急増していると言われています。

また、外国人が永住権取得や帰化の申請をする際には「素行が善良であること」が要件の一つとなっていますが、これには納税義務等の適正な履行も含まれ、マイナンバーの導入により、これまで以上に効率的に税金や社会保険料等の納付状況が確認されるため、未払いがある場合には、審査に悪影響を及ぼすので注意が必要です。

[セコム]
https://www.secom.co.jp/business/mynumber/about/foreigners.html

国民健康保険>国民健康保険とは>被保険者証等の表記変更について

外国籍の方の本名・通称名表記
氏名表記は、本名または住民基本台帳に登録されている通称名のいずれかを選択できます。現在の表記から変更を希望される場合は、所管の区役所保険年金課へ申出をしてください。

https://www.city.sakai.lg.jp/kurashi/honen/kokuho/kokumin_kenkouhoken/hyokihenko.html

外国人のマイナンバーカードで通称名のみの記載は可能ですか。

できません。
通知カード・マイナンバーカード共にお名前の記載は住民票を基に作成されますので、住民票に通称名を記載されている場合、本名と通称名が併記されます。

[神戸市 よくある質問]
https://help.city.kobe.lg.jp/hc/マイナンバーカード




20:名無しさん

かつて麻生が住基ネットと入管のデータを連携させようとした
反対したのが民主党共産党公明党


45:名無しさん

日本人にとっては何一つ問題ないのにな。むしろメリットしかない。
 
77:名無しさん

>>1
>外国人が永住権取得や帰化の申請をする際には「素行が善良であること」が要件の一つとなっていますが、これには納税義務等の適正な履行も含まれ、

なるほどねえ~
 
87:名無しさん

日本人は皆保険で会社の保険組合か国民健康保険に入っているからな
本人証明さえできれば保険番号も紐付けできるというのがマイナンバー化の趣旨なのだろう
 
133:名無しさん

公平公正な社会保障負担に反対する勢力か
 


151:名無しさん

成りすましも脱税も犯罪もやりにくくなるってことね
なるほどわかりやすい
 
268:名無しさん

>>1
>「素行が善良であること」
これに困るのは素行に問題がある人だけなんだから気にする必要がないでしょ
 
269:名無しさん

普通の国民には何ら問題ないんだね
 


掘り起こされるべき人間の記録

2022-10-15 21:56:44 | 政治


2015.08.02
書評
戦後70年――今だからこそ掘り起こされるべき人間の記録
文:戸高 一成 (呉市海事歴史科学館館長)
『硫黄島 栗林中将の最期』 (梯久美子 著)
出典 : #文庫解説
ジャンル : #ノンフィクション
https://books.bunshun.jp/articles/-/1092


太平洋戦争における硫黄島での戦いは、太平洋を巡る日米の戦いの中でも、特に激しく苦痛に満ちたものと言える。
 昭和十九年六月、マリアナ諸島、サイパンの線を絶対国防圏として戦った日本軍は、もろくも敗退し、最後の決戦としたレイテ決戦も惨敗し、硫黄島での戦いが始まったときには、すでに日本には戦争継続の力はなかった。
 フィリピンを征圧した米軍は、次の目標を、サイパンから日本本土空襲をした場合の援護戦闘機の飛行場と、損傷したB29の不時着飛行場として、東京から南方千二百五十キロの位置にある硫黄島に目標を定めた。日本側としては、硫黄島を占領されれば、それは日本本土空襲の強化であり、直接的には、皇居のある東京への空襲の激化に繋がることである。大本営としては、硫黄島は絶対に守り通す必要があったのである。

 本書は、このような状況の中で、圧倒的な兵力の米軍を迎え撃ち、従来の島嶼防衛戦闘とは異なる粘り強い抵抗をし、米軍が、数日で征圧できると予想していた戦闘を、一ヶ月以上に亘る激闘の末、遂に全滅に至った守備隊の指揮官栗林忠道中将と、同じく硫黄島で命を落とした軍人の最期を、生存者、遺族の証言と、数多くの文献で辿った物語となっている。
 栗林中将は、昭和十九年六月に硫黄島防衛の指揮官として着任したが、島嶼での防衛戦闘について、独特の考えを持っていた。従来の日本陸軍の島嶼防衛における基本的な戦術は、いわゆる水際撃退を基本とし、敵の一兵も上陸させないという考えが主流であった。ところが、広大な南方戦域における米軍との対決では、この防御戦術はことごとく失敗し、孤島部隊は玉砕を続けていた。栗林は、従来の島嶼防衛の失敗の原因を、米上陸部隊を水際で撃退しようとしたことに原因がある、と判断し、徹底した縦深陣地の構築による、持久戦を想定していた。水際撃退作戦が失敗するのは、米軍側から見れば当然のことなのである。米軍の上陸地点を攻撃できる場所といえば、地形的に想像がつく。当然日本軍の兵力の配備位置は大よそ偵察できるので、日本軍の水際陣地は、猛烈な空爆と、戦艦を含む大規模な艦砲射撃によって、事前に大きな打撃を与える事が出来る。このために、米軍としては、水際防御のための布陣をした日本軍は、実に攻撃しやすい目標だったのである。このような島嶼攻撃は、米軍にとっては一定のスケジュールを立てて作戦に臨む事が可能だった。栗林は、これを排して、米軍を上陸させ、全島内での遊撃戦的な戦いを命じたのだ。
 栗林は、まず米軍を水際で叩くが、米軍の上陸阻止に拘ることなく、主作戦は、米軍を島内に引き入れた後の戦闘であるとしていた。こうすると日米の戦線が複雑に交錯し、日米両軍は常に入り混じった形で戦闘することになる。米軍から見れば、味方撃ちの可能性があるために、艦砲射撃や空爆がしにくくなる。このために、米軍の圧倒的な空爆、砲撃能力を発揮して、一気に日本軍を殲滅する事が出来なくなるのである。
 このような作戦の実施のために、長期戦を考えた栗林は、全島をトンネルで繋いだ地下要塞の建設を計画した。そして、兵士は、高温で硫黄ガスの噴出する島の地下をひたすら掘り進み、実に総延長十八キロに及ぶ洞窟陣地を建設した。驚くべきことと言わなくてはならない。しかし、この作業には反対も多かった。自分たちは米軍と闘うために来たのであって、穴掘りのために来たのではない、と。
 この地下陣地が、いかに優秀であったかは、米軍が上陸前に硫黄島に加えた二万トンに及ぶ砲弾、爆弾の嵐も、ほとんど日本軍を傷つけることは出来なかった事実が証明している。このために、昭和二十年二月十九日の朝、水陸両用装甲車と、上陸用舟艇合わせて七百五十隻で押し寄せた米軍は、ほぼ無傷だった日本軍の激しい攻撃を受けて、海岸で二千四百名もの戦死者を出したのである。米軍にとって予想だにしなかった損害だったが、本当の過酷な戦闘は始まったばかりだった。
 また、他の島嶼防衛戦闘では、水際で損害を受けて、補給も無く、兵力を失った日本軍は、いわゆるバンザイ突撃をして玉砕するというパターンが少なくなかった。栗林には、この考えも無かった。潔く玉砕することよりも、一日も長く米軍を硫黄島に釘付けとし、最後まで米軍に損害を与え続けることを目標とした。この周到な準備と決意が、日米戦で希に見る激烈な戦いを現出したのである。結果、米軍は二万八千名を超える死傷者を出したが、これは日本軍の死傷者数を超えていたのである。この栗林の戦闘指揮には、米軍も感嘆するほどだった。

 著者は、この硫黄島の戦いを、指揮官であった栗林忠道を中心として纏め、デビュー作ともいえる『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』を書き上げた。以後も栗林と、更に硫黄島の戦いにかかわる軍人を中心に取材を進めた。硫黄島には、バロン西として、ロサンゼルスオリンピック馬術出場で金メダルを取った、有名な西竹一が居た。西は硫黄島では戦車第26連隊指揮官として戦っているが、戦車の機能である機動力を放棄して、戦車を埋めて砲塔だけを地上に出して、鉄のトーチカとなった。本来の機動力を失った戦車を見て、西は不本意であったことと思う。
 また、若くして硫黄島に散った青年士官たちの最期を、多くの関係者からの証言をあつめながら、硫黄島の戦いを再構築している。
 しかし、話は、感動的なエピソードばかりではない。激戦のさなか、硫黄島で起きた、捕虜となった米軍パイロットの処刑と、宴会でその肉を食べるという、常軌を逸した事件の詳細にも触れている。読み進む事が苦しいほどの戦争の狂気である。

 更に、今回、海軍部隊の指揮官として戦死した、市丸利之助少将についての記述が追加された。硫黄島の戦いは、栗林中将で代表されるように、主に陸軍の守備部隊の戦いが知られているが、実のところ七千七百名もの海軍将兵が闘っている。市丸は歌人でもある。いくつもの歌が残されているが、どれも静かな諦観を感じる。硫黄島着任直前の作といわれている、
艦砲の的ともならん爆撃の的ともならん歌も詠むべし
 は、生死の竿頭にあっても歌を詠もうという、壮絶な静けさがある。
 しかし、市丸の名前を後世に残したものといえば、最後の突撃の前に書き残した、「ルーズベルトに与ふる書」であろう。市丸は、アメリカ大統領宛の書簡を草し、英訳を付して部下に託した。部下は戦死したが、米軍がこれを回収し、終戦直前に、米国内の新聞で紹介された。内容は、やむを得ず対米戦争に至った日本の立場を述べ、西欧諸国の植民地主義を批難し、最後に、弱肉強食の世界に幸福な日は無いとしたものであった。この文章が、戦時中のアメリカ人にどのように受け取られたかは明らかではないが、当時の軍人の潜在的な心情を表したものと理解して大きな間違いは無いだろう。
しかし、著者が改めてこれらの調査を本書『硫黄島 栗林中将の最期』として纏める気持ちになったのには、一つの切っ掛けがあったようだ。二〇〇六年に雑誌に発表された記事において、「栗林中将は米軍に投降しようとして部下に殺された」とされたことだ。栗林について長く調査をしてきた著者にとって、看過しがたい情報であった。記事の筆者である大野芳氏は、密かに入手した、防衛研究所の部外秘資料で、硫黄島作戦の関係者からの聞き取り資料の綴りである「硫黄島作戦について」によったとしている。これを知った著者は、防衛研究所で改めてこの資料の閲覧許可を得て、調査したところ、雑誌に発表された記事が、極めて根拠の薄い伝聞証言であり、同じ資料の中で、栗林の高級副官で、終始栗林と同行していた小元久米治は、はっきりと、否定している。著者は、この記録の調査からも多くの事実を発掘している。不思議なのは、大野氏は、同じ資料を読みながら、根拠の曖昧な伝聞のエキセントリックな記述のみを、あたかも隠されていた真実の発見のように発表し、同じ資料の中にある根拠の確かな直接当事者の証言を無視していることである。

 本書を通読して思うのは、数百万の日本人の命を奪った、いや、世界数千万の命を奪った戦争が、いまや歴史のベールの彼方に消えかかろうとしているということである。陸海軍の指揮官クラスの生存者は既に無く、かすかに最若年の兵士の証言が、得られるに過ぎない。かつては、疑問があれば、いくらでも将官、左官クラスの直接当事者に質問する事ができた。今は辛うじて遺族に思い出を聞く事が出来るに過ぎない場合がほとんどである。しかし、だからと言って、このような作品が書けなくなるというわけでは無いことを、梯氏の作品は証明しているのだと思う。
 戦争が遠くなればなるほど、戦争の悲惨さが薄れてゆけばゆくほど、一層戦争の悲惨さを明らかにしてゆく努力が必要になるのではないか。今後も、このような戦争の中での人間の記録を、絶えず掘り起こして行く事は、大切なことと思う。

 今年は太平洋戦争が終結して七十年に当たる。七十年と言う年月は、小さなものではない。いまや、日本国民のほとんどが戦後生まれなのである。この、平和な時代に生まれ、戦争を知らずに老人になって行くということが、どれほど素晴らしく、幸せなことであるかと言う事を、私たちはもっと知らなければならないのだと思っている。