今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

軌道修正。

2011-05-31 17:59:06 | タラの日記

卯月です。

先週の金・土と学校でした。
土曜日は必修講座2つ取ったので、10:00~16:30、お昼休みはあったけど、ずっと机についていた感じでした。
でも、基本デスクワーク好きな私にとっては、この「机について授業を受ける」という形がとても楽で、黙々とお話を聴き、メモを取りました。
受けたのは「カウンセリング概論」と「カウンセリング哲学」という講座でしたが、私たちが学ぼうとしている「カウンセリング心理学」というものがどういうものなのか、その入り口に今、確かにいるんだ、ということを感じられた気がしました。

「卯月タラ」は、「広い心を持ちみんなの気持ちを受け止め受け入れる人間」を目指していましたが、それをいったん、ここですべて捨てようと思います。

卯月の考えてきた「広い心」「受け入れる」は、現実的でなく幻想でした。
「人を受け入れる」って、卯月が夢見ていたのとは違うと思い始めました。
「受け入れられる」と思ってたのも、驕りであり錯覚であり、大きな勘違いであったと思います。
全部捨てて、一人の「心の狭いわがままな人間」から始めようと思います。

息子が幼稚園入園前に親子で通ってた公園で、必ず息子の持っているおもちゃを取る子がいました。いつも同じ子なんですが。
お気に入りだから持ってきてるのに、いつも息子は何も言えずにいました。
相手の子のママは、そのつど子どもに「あら○○ちゃん、黙って取ったらダメよ。『貸してね』でしょ?」と言ってましたが、まあその子は毎回何も言わずに取っていったし、、「貸してね」と言ったにせようちの息子が「いいよ」と言わないのに持っていくのは「貸す」「借りる」とは違うじゃん、とイライラしながら見ていました。
家に帰って、「嫌なことは嫌って言っていいんだよ」と何度か息子に言いましたが、やっぱり息子は言えないままでした。

それって、今の私じゃん、と思います。
「やさしい」って何だろう。相手をつけあがらせること?
相手の言い分も聞く。でも自分の意見も言う。それが対等ということ。
「あなたの気持ちを尊重してくれない相手なら、その人の気持ちを尊重する必要はない」と何かで読んだ。

「やさしい人」が憧れだったけど、真の「やさしさ」って何だかわからないので、「やさしい人」を目指すのはやめる(今は)。

私を尊重してくれる人だけを尊重して暮らします。

「なんか卯月、性格悪くなった」「あんなんだと思わなかった」「イメージ壊れた」「ガッカリ」
と思われたなら、それが今、私が目指そうとしている方向に歩き出した、前に進んでる、というしるしです。

 


ガッカリだ。

2011-05-25 17:58:46 | タラの日記
卯月です。

一瞬の幸せをぶち壊す出来事があり、いろんなストレスで追い詰められ、とうとう子どもたちに八つ当たり。
「みんな大嫌いだ!」と喚き散らしたら、ショックを受けた娘が夜更けにパジャマのままいなくなった。
息子と探しまわりようやく見つけ、謝って話し合い、帰ってきてもらった。
表面上、関係は修復したように見えるけど、「お母さん、私のこと嫌いって言ったよね。働けない、ゴハンも作れない私と暮らしたって、お母さん幸せじゃないよね」と、夜道で見つけた時に私の手を振り払って言った言葉、その時の彼女の目が、頭から離れない。
最低。
自分にガッカリだ。
バチが当たって、今日は熱が出た。
明後日の学校までに治りますように。

ああ、本当に何もかもがもう、何なんだよって感じ。ドミノ倒し愉しい?

「楽しい」っていう感情を思い出した。

2011-05-22 23:07:13 | タラの日記

ようこそ、卯月です。

昨日いつものクリニックに行って、先生にまたいっぱい聞いてもらった。
「頭ではわかってるんだ。わかってることを、人からいろいろ言われたくないから、誰とも話したくない。わかってるのに感情がついていかない。こういうふうに考えたらとか、こんなふうに受け止めればいいんだと思うのに、できない。できないことがつらい」と話した。
「先生はいつも私の話を聞いてくれる。受け止めてくれる。受け入れてくれる。応援してくれる。先生に何も不満はないの。でも、今、私は誰かに甘えたい。今の私が素直に甘えられて、安心させてもらえるのはA先生(臨床心理士さん)だと思うんだ。私がA先生のカウンセリングを受けることを許可してくれる?」

A先生というのは、息子が小学1年生で不登校になって市の教育センターに相談に行ってたときの私の担当の相談員だった心理士さんで、その後ずうっとお世話になった方。
今は、私が行ってるカウンセリングスクールの講師と、併設の相談室の室長をしている(私が今のスクールを選んだのは、彼女の母校であり勤務先であることからだ)。
先週、今の私の状況と「話を聞いていただけませんか」というメールを送ったら、「主治医の先生の許可がもらえればカウンセリングできますよ」とお返事をいただいたのだった。

それで主治医の先生に聞いたわけなのだが、快く許可をくださった。
「何年も会っていないA先生に会うというのは、よっぽどのことなんでしょうね。会えるの楽しみですね」と、やさしく言ってくださった。
私は主治医の先生にも甘えたくて、帰り際「『何もかもあなたのせいじゃない』と言ってほしい」とお願いしてみた。
「『自分を責めるのをやめましょう』っていつも言っていますが、それはつまりそういうことですよ。あなたのせいじゃありません」と言ってくださった。

来週にでもA先生にメールして、日程の調整をお願いしよう、と思いながら帰った。

そして今日。
実は今日は、カウンセリングスクールの母体のNPOの定例総会の日。
総会の前にイベントとして、卒業生の被災地ボランティアの体験談というか講演があるので、申し込みをしていた。
昨夜、高くはないものの熱が出たのと、雨の予報だったのと、なんとなく人の集まるところに行くのがいやだったので、出かけるギリギリまで迷ったのだけど、行ってみた。
教室に行ってみたら、一緒に申し込んだはずのクラスメイトは誰も来てなくて、「うそー! コワイ。帰りたい」。
青くなりながら、なんとか私のクラスの担当講師の先生に「こんにちは」と挨拶をしたら、教室の前のほうに座ってた女性がこちらを振り向いた。
あ。。。。
A先生ではないか!

定例総会だから、もしかしたらお会いできるかもとは思ってたけど、ここ7~8年ほどは電話やメールのやりとりはたまにあれど、顔を合わせることがなかったので、もう、感動の再会。

結局、講演の後に続く総会、その後のパーティーと、クラスの人は誰もいなくて、パーティーはさすがに逃げて帰ろうかと思ったんだけど、A先生が「大丈夫だよ。こっちにおいでよ」と言ってくれて、飲み物を持ってきてくれたり、「ピザ2切れもらっちゃったから1つあげるね」とか「あっちのも食べてみる?」「これおいしいよ」と、ずっとそばにいてくれたので、私もしだいに慣れて、A先生が先に帰られた後も、いろんな先輩が声をかけて話の輪に入れてくれたので、なんだか心が温かくなった。楽しい、って思えた。
クラスの担当講師の先生とも初めて1対1でお喋りできて、すごく親しみが持てたし、「定例総会はなかなかみんな来ないんだけど、受け持ちのクラスの人が1人でも来てくれると本当にうれしいのよ。タラさんのことはA先生がすごく心配してると聞いてたけど、クラスのムードメーカーになってくれてるし」と手を握ってくれて(女性です、念のため)、とてもうれしかった。

帰る、となかなか言い出せずに残っていると、先輩たちが「入ったばかりで今日来るの勇気がいったでしょう。疲れたでしょう」「2回しか授業受けてないのに、ここまでがんばれてすごいよ」「お家、遠いんでしょう。もうキミは十分がんばった。あとは任せて帰りたまえ」とか言ってくれて、ありがたく帰ることに。

帰り道、A先生からケータイに「お疲れさま。先に帰っちゃったけど大丈夫だった?」とメール。みんなが私を気遣ってくれていることが、本当にうれしかった。
疲れた、でもそれ以上に、なんかたくさんのものをもらった、いい一日だった。
この学校に入って、本当によかった。やったね(ガッツポーズ)!

なんだか震災後、日増しに性格が悪くなって、心が腐ってゆく気がして、自分が許せなかった。
でも、今日はなんか、許された気がした。

はしゃいだ分、明日はまた落ちるかな。
でも、今日という日に感謝。ありがとうの気持ちを胸に抱いて寝ます。
おやすみなさい。


悲鳴。

2011-05-15 23:29:50 | タラの日記

卯月です。

「お母さんは何もしないで一日中寝てていいからね。私が夕ご飯買ってくるからゆっくりするんだよ」と娘が言ってくれたので、何もしないで一日寝ていた。
なんだかとても具合が悪そうに見えたらしい。

誰かと話がしたいのだけど、誰と? 
何を話したい?

「日記を書くといいよ」って、昨日、主治医の先生に言ってもらったんだけど、自分が閉じていってしまう感じがこわい。

といって、人と接触するには、あまりにも傷だらけだ。
痛い悲しい苦しい思いをしているのが自分だけではないと頭でわかっていても、心に余裕がないから、そういうふうに考えられない。
誰がどんな大きな深い傷を負って痛い思いをしているとしても、それで私の痛い思いが軽くなる気がしないし、「一緒にがんばろうね」とかそんな気持ちにはさらさらなれない。

ふと思い出した。
去年の夏、母と一緒に千葉の姉の入院先にお見舞いに行ったときのこと。
姉は今はずいぶん快復して、飲み薬も必要なくなり、仕事も始めたけど、そのときは癌で助からないかも、という状況だった。
母と長く電車に一緒に乗っていて、つい何気なく、私は自分のことを言ってしまった。
1月に大切な友達を自殺で亡くしたこと。自分を見失って仕事を切られたこと。うつがひどくなって仕事を諦めて家を売ることになったこと。「なんかね、今年に入っていろんなものを失くしたよ。そこにお姉ちゃんの病気がわかって、なんかすごいショックっていうか、つらいことが次々起こるなあって切ないよ」
母は私に向かって「お姉ちゃんのことを考えなさいよ! あんたもつらいかもしれないけど、癌よりずっといいでしょ!」とキレた。

母にしてみたら、姉のことでショックで頭がいっぱいで、「あんたまで私に寄りかからないでよ!」っていうふうに反応しちゃったんだろう。
負担になるようなことを、タイミングを考えずに言った私が悪かった。
でも、私は多分初めて、母に本音を言ったのだ。ふと気を許して、甘えたくなって、そう話した。
「大変だったね」と一言、言ってくれたらそれで十分、私は救われたのに。

期待するから裏切られる。

なんで今になってそんなこと思い出してるんだろう、私。

きっと誰かに甘えたいんだ。
でも、期待した答えが返ってくるはずがない。
傷が深くなるなら、誰ともかかわらないほうが、周りのみんなにとっても私にとっても幸せだ、きっと。
「助けて!」という悲鳴と、「誰も私に触るな!」という叫びの両方が、今の私の心の中にある。


迷路。

2011-05-14 23:45:58 | タラの日記

卯月です。

ふりだしに戻ってしまった。
震災後調子を崩して、不安定な状態で過ごしてる。
よくなってきたかなと思うと、ちょっとしたことに過敏に反応して、また落ちてしまう。
せっかく元気づけてくれる人の温かい言葉も、素直に喜べない。
黙っててほしい、と罰当たりなことを思ってしまう自分が嫌で、また落ち込む。

今週は母からちょっと面倒な頼まれごとをして、しんどいのにネットで調べものしたり連絡したり。自分の用事だって満足にできないぐらい具合が悪いんだから「今はできない」と言えばいいのに言えないで引き受けて、やってるうちに「あんたが元気だと思ってみんな元気だと思うな。あんたが暇だからってみんな暇だと思うな」と腹を立てては自己嫌悪。

自分がどんどん性格悪くなってきてる気がしてならない。
いや、もともと歪んでいたのか。
心が汚れているような気がして自分を責めたり、汚されたような気がして人のせいにしたり、行ったり来たりだ。

今日、いつもどおり、主治医の先生にいっぱい話を聞いてもらった。
話をするうち、「私は大好きなはずの先生のところにゴミを捨てにきているのか?」と思った。
なんでもかんでも、先生のところに持ってって「捨てている」「投げている」気がして、自力では何もがんばってないんじゃない?って思ったら、先生はずうっと私の汚いところばっかり見せられてもううんざりしてるんじゃないか、と勘繰ったり、申し訳ない気持ちになったりして、帰り道、「私自身がゴミじゃん。捨ててしまいたい」と悲しくなった。
今もまだもやもやしている。

「人の悪口を言ってもいい。嫌な気持ちを我慢し続けてたら自分が蝕まれて具合が悪くなっちゃうよ」と先生。
「人の悪口を言うぐらいなら具合が悪いほうがいいです」と私。
「あんまり自分をいじめないようにね」と先生。この言葉、何年前から言われてるんだろう。

昨日、学校だった。
クラス7人だったのが、1人夜のクラスに移って6人になってた。
ある15歳の女の子(架空)のケースについて、3人ごとのグループに分かれて意見を出し合って、ひとつの意見にまとめて発表、という課題だった。
ものごとの見る角度、捉え方、どの登場人物と自分の立場が近いか、などによって、まったく意見がバラバラで、「これをひとつにまとめて発表?」って思ったけど、話し合ってるうちに「あ、そういう見方もできるな」「なるほど、確かにそういう面もあるな」と納得し合い、うまくまとまった。
意見が違う=対立、とずっと思ってきた私には、新鮮な感覚だった。
6人がニックネームで呼び合うようになって(なんと言いだしっぺは私)、「『太陽にほえろ!』みたいですね」とか言われたりして(何十年前?)、笑顔で解散した。
次回のクラスは27日なんだけど、22日にその学校の母体となっているNPO法人の定例総会と、ちょっと聞いてみたい講演があるので、22日にまた学校に行く。
学校があってよかった、と思った。
クラスの担当の先生もメンバーも、みんな優しくて、個々を受け入れ合う(あるいはそうあろうと努める)心を持っている。
学校にいる時間は、純粋に勉強に夢中になれて、「自己嫌悪の迷路をぐるぐる」という状態から解放されていたので、緊張というよりもむしろ楽だった。

自分の心の中の収拾もつかないのに、カウンセリングの勉強? 百年早いわ!って感じだけど、いろんな「気づき」があると思うので、自分なりに学び考えていこうと思ってる。

自分のことを許せるようになるかな。

長々すみません。
おやすみなさい。


崩壊。

2011-05-05 23:49:41 | タラの日記

こんばんは。卯月です。

今週ずっと不調が続いています。

夢の中でずっと怒鳴ってて、目が覚めるとへとへとです。

日中は悲しくて寝ています。

何もする気になれないし、イライラしたり泣いたりしています。

先日の日記にコメントくださった方々、ありがとうございました。

またあらためてお返事します。

なんだか自分が崩壊していくイメージです。


普通のお母さん。

2011-05-01 22:48:01 | タラの日記

卯月です。

なんだかもやもやしています。
ちょっと思うところあって、息子の小さい頃のこととか思い出して。

息子は可愛かった。娘も可愛かった。
子どもたちが大好きで大事だった。
今もそう。

それなのに、嫌だったことしか思い出せない。
みんなが私のことを「過保護」「神経質」と言った。
私の子どもたちは周りから「甘えてる」「わがまま」と言われた。
学校に行けなくなったとき、「ほら見ろ」「やっぱりね」みたいな言葉しか、かけてくる人はいなかった。
夫は私に「子離れできない母親」と言った。
「家が居心地良すぎて学校に来られないのね」と担任の先生に言われた。

育児は思い通りにいくものではない。そんなことは知っている。
子どもが集団に入れずに怯えている。それで明らかに心身に不調をきたしている。そんなとき、「学校にも行けなくて将来どうするの」(まだ不登校児が100人に1人ぐらいの時代だったか)という嵐の中、「母親失格」と言われても、子どもの気持ちを汲んで味方になってやるしかない、私しかいないんだ、と腹をくくった。

子どもが笑顔で一緒に暮らせていれば幸せ。そう思って、ずっとやってきた。

だけど、私だって、本当は授業参観に行ってこっそり手を振ったり、運動会で走るわが子の姿をビデオカメラにおさめたり、「行ってきまーす」と元気にランドセルを背負っていく後姿を笑顔で見送ったり、したかったんだ。
みんなに交じって一緒に何かをやっている、そういう姿を、フツーのママたちに交じって、見守りたかったんだ。
そういう、小さな幸せ、普通、がほしかった。

みんなちがってみんないい?
そんなの、普通の範疇での「ちがい」じゃないか。
普通の圏内にいる人たちの言葉じゃないか。

私が悪かったんだ、きっと私に問題があって子どもたちは引きこもりになって、夫は自殺した。
そんな私に、子どもたちは優しい。ごめんね、ありがとう、と思ってきた。思っている。

でも。
私はそんなに悪いことをしたのか。
あんなに周り中の非難を浴びなくちゃならないような、「普通の幸せ」を引き換えにしなくちゃならないような、そんな罪が、私にはあるのか。

ひがんだり妬んだりするのは嫌だと、思ってきた。
今ある幸せを数えて生きるんだ、と決めていた。

でも、今、振り返ると、幸せなんてなかった。
つらいことばっかりで、孤独で、いつも泣きたかった。
いい思い出なんてひとつもない。

自分の子ども時代から、叱られて責められてばかりだった。
親になってからも、「しつけも満足にできないダメな母親」と責められてばかりいた。保育園の先生、幼稚園の先生、保健婦さん、お医者さん、親・親戚。夫。

息子の乳幼児歯科検診のとき、たまたま当たった先生が、いつも大泣きして「ごほうびシール」がもらえないでいた息子に、「Hくん(息子)はえらいね。ちゃあんと歯がきれいに磨けてる。ここで泣かないのがえらい子じゃない。歯をきれいにできてる子がえらいんだよ」と、シールをくれたことがあった。
3歳児健診のとき、「こういう敏感なお子さんを育てるのは難しいでしょう。叱りすぎてもいけないし。大変ね」と小さい声でねぎらってくれた保健婦さんがいた。
わかってもらえた、という記憶はそれだけ。

私の子どもたちは、繊細で心の優しいいい子たちだ。私は2人の子どもを、誇りに思っている。大切に思っている。

でも、私は普通のお母さんになりたかった。