今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

暮れてゆく。

2011-12-31 23:25:05 | タラの日記

2011年が、もうすぐ終わろうとしています。

年末いろいろあって、昨日今日と、具合悪くて起きられませんでした。
おとといは張り切って珍しく掃除とかしてたんですが、なんだかどっと疲れが来てしまって。
結局、掃除も半分ぐらい。年賀状も書けていない。買い出しも半分ぐらい。
「あ~、まだやることがいっぱいあるのに。何にも終わってないのに」とぐずぐず言いながらもフトンの中で動けないでいると、息子が「それって本当にどうしても今日じゃなくちゃダメなの? どうしてもそれをしないと年が越せないの?」と言う。
そうなんだよ~、と思ってたんだけど、時間が経つにつれて諦めモードというか、開き直ってきた。

まあいっか。
紅白を見始めたら、ちょっと気分が落ち着いてきた(毎年、ガキ使の「笑ってはいけない~」と迷うのだけど今のところまだ紅白を維持している)。

芦田愛菜ちゃんが転んじゃって、一生懸命笑顔で歌ってたんだけど「内心動揺してるのでは? まだちっちゃい子なんだし、気にしてるかも」と心配になった。
後で周りの大人たちがちゃんとフォローしてあげてたらいいけど。
楽しみしてた林檎さんもユーミンさんも、「さすが!」っていう感じでよかった。
それと、ガガさん。「ボーン・ディス・ウェイ」の歌詞(和訳)を初めて見たとき(スマスマに出たときだったと思う。何月だったかな?)に、心を打たれて以来注目しています。今宵もガガさんを見られてよかった。

今年はいろんな意味で、激動の一年でした。
みなさま、いろいろとありがとうございました。


誤解(お互いに相手を怖れていたこと)。

2011-12-29 01:05:02 | タラの日記

一日が過ぎました。

「これまで母に何を言われても、言われる自分が悪いと思ってきましたが、先日初めて『いわれのない非難』と感じ、『努力して生きている私に対してそれはとても失礼なことだよ』と、きちんと言えました。私が虐げられて当然の存在ではなく、尊重されることを求めていい一人の人間なんだと思わせてくれたのは、みなさんです。みなさんのおかげで、私は強さと勇気を持つことができました。ご報告とお礼です。ありがとうございました」
というような内容のメールを、クラスメイトと合宿で一緒だったメンバーに送りました。

もちろん、学校で出会った仲間だけのおかげではなく、私には支えになってくれる、応援してくれる人が、たくさんいたんだ、ということにも、あらためて気づかせていただきました。
ブログに来てくださっているみなさんにも、お礼を言います。
ありがとうございます。

合宿で私のグループの担当だった先生にも、同じメールを送ったところ、とても褒めてくださって、自分もうれしいよ、という内容の短い返信をくださったのだけど、そこに「でも人生はまだ長いからぼちぼちやっていってね」という言葉が最後に添えられてありました。
初めは意味がよくわからなかったのですが、今日一日過ごし、昨日書いたブログや母へのメールなどをあらためて読み返し、母とのやりとりを思い出し、いろんなことを考えるうち、「有頂天になってたけど、ゴールに着いたのではなく、これからなんだな。そのことを、あの『ぼちぼち』という言葉は意味していたんだな」と、わかりました。

母は小さい頃(母自身が子どもだった頃)、身体が弱くて勉強もできない、いつも泣いてばかりの「ダメダメな子」だったそうです。中学を出て就職しようとしたものの、体力がなくて寝込んでばかりで、働くのを断念し、洋裁を習うようになったそうです(結婚した後、家でずっと人様の洋服を仕立てていました。私が成人した頃は、自宅で洋裁教室もやっていました)。
私の記憶の限りでは、母はとても病弱というイメージからはかけ離れていて、殺しても死なない頑丈さとものすごい気の強さを持っている人で、異常にテンションが高く声も大きく相手に有無を言わせない勢いのある人です。
母は「努力」が自慢の人でした。生まれながらに身体的にも精神的にも弱かった自分がここまで強くなれたのは、人一倍努力したからだ、と、そのことが誇りでした。

父は、当時大阪で一番の大病院の跡取りとして育てられました。実は母親が継母でものすごく邪険にされて、いつも「ねえや」(←養育係のおねえさん?)しか味方がいなかったそうです。
親の愛に恵まれず、病院は戦争で焼け、医学部に進んだもののなんやかんやで退学し、結局は会社員になりました。
ただ、父はものすごく頭のいい人でした。私の姉がよく父に勉強や一般常識などでわからないことを聞いていました(父は私とはかかわりたくないようだったので、私は父とは接点がありません)。父が「わからない」と言ったり間違ったことを言ったことは、私の知る限りでは、なかったと思います。父に聞けば何でもわかるし、父は自分がわからないと思えば多分調べたりしていたのでしょう。「生き字引」と呼ばれていました。

母は頭のいい父に憧れて結婚したようですが、しだいに「もともと頭がいいからってそこに胡坐をかいている。これだけの頭脳を持っているのだから頑張ればもっともっと上にいけるのに、その努力をしない。向上心がない。怠け者。能力は活かさなければ意味がないのに、宝の持ち腐れ」と苛立ちと嫌悪感と軽蔑を感じるようになっていきました。
父は多分、会社員には向いていなかったのだろうと思います。出世したいという欲もなかったのだと思います。
でも母にとって、出世街道を行かないのは「負け犬」でした。

今回のことで初めて知ったのですが、私たち姉妹は、かなり「できる子」だった、特に私は父に似ていて幼児期から「こんな賢い子は見たことない」(←まあ、神童も大きくなったらなんとやらですが)と、親戚からもよそのお母さんからも先生からも褒められまくったそうです(私は覚えていない)。
「みんなが褒めてくれるんだから、自分が頭がいいことは知ってるはず。親までが褒める必要なし」と思ったそうです(おととい初めて聞きました)。

母にしてみれば、自分が子どもの頃に取れなかったような良い成績表や答案用紙を、「努力もなく」「当たり前に」取ってくる娘。
生まれつき頭がいいからって、何の苦労もせずにはたから褒められている。
そんなに頭がいいならもっともっと努力して頑張って、すごい人になればいい。
私の知る母は、そのあたりからです。

「勉強はできて当然と親からは思われている。親は私に不満がある。勉強以外のことも、もっともっと頑張らないと、親は喜ばない。どうしたらいいんだろう??」

そして私は「カンペキな人間」を目指していくのですが、母の目には逆に「できない」と言わない、弱音を吐かない私は、だんだん「こわい」存在になっていったそうです。

おとといの母の意外な言葉。
「あんたはカンペキすぎてこわかった。あんたといると、自分のダメさを見抜かれてる気がして緊張した。気を抜けない息苦しさがあった。だから私はあんたと向き合えずに逃げていた」

母の暴言の数々は、私が「できない子」だから「いらいらする。なんてバカでぐずなの。腹が立つ」という意味なんだと思い込んでいた。母にとって、それは自己防衛だったのだ。

「親に認めてもらえなかったら、どこで評価されたって子どもにとってはうれしくもなんともない。意味がないんだよ」と言ったら、「あんたが自分に自信がないって思ってるなんて、ゆめにも思ってなかった。あんなに周りから評価されてたら自分の能力はわかるはずだと思ってた。親というものがそんな特別なものだと、今、気づいた」と母は言った。

私は完璧でもなんでもない凡人です。
母は自分のコンプレックスから、私のことを過大評価していたと思います。
そして、私は母に「この子はやっぱりバカだ。ガッカリ」と思わせないように、ひたすら自分の弱点をひた隠しにしてきたし、まあ私の得意な「ハッタリ」で実力以上に見せてきたというのもあります。

何をやっても裏目に出るタイプの私ですが、親に認められたい一心で頑張ったことがまさか親に疎まれる原因になっていたとは。とほほな人生だ。

ここまで読めた人(昨日からのこの膨大な量の、そしてなんだか他人から見たら興味わくかどうかもわからない個人的な文章に、付き合いきれたという奇特なかた)、いますか?
ああ、なんだかなあ、いろんなことが徒労だったのかあ。という結論です。すみません。

眠くなりました。
お付き合いありがとうございました。おやすみなさい。

 

 


初めての反撃(母へのメール) その2

2011-12-28 02:24:27 | タラの日記

つづきです。

長々とスマホからメールの文章を書いたのですが、多分感情的になっていたせいなのか、操作ミスでデータがパーになり。
「やっぱり止めろと神様が言っている」としょんぼりしていたのですが、「あー、なんかもう、めめんどくさくなってきた。気を遣ってあれこれ考えるのやめよう。自分の思ったことをストレートに書けばそれでいいや。後のことはそのときになって考える」と決めて、書き直しをしました。
以下が、母に送ったメール本文です。

―――――――――――

「(前略)さて、昨日の会話で、どうしても引っ掛かるところがあったので、一言と思い、なるべく短く分かりやすく書こうと思います。

私のこと「逃げてきたから強くなれないのよ」と言ったよね。多分、ママにとっては大切な実りのある「くだらない」ことを、私がパパと同じ価値観でバカにして避けてきたから世間知らずなんだ、ということかなと思います。
ただ、20年近く前の、保護者会の感想(多分半分は冗談、残り半分は若気の至りで反省もしています)からずっと同じ価値観で生きてきたわけではないし(人は成長します)、パパに似ているからと言って同じ価値観を持っているというのは思い込みでは? 私がパパを100%尊敬し、真似したいと思って育ったと思いますか? 親というのは反面教師の面も必ずありますよね。
ちなみに、私は井戸端会議はコミュニケーションのひとつで「くだらない」と思いません。人の悪口はくだらないですが。

私なりに置かれている状況下で精一杯の選択をして生きてきたので、多分「くだらない」ことを避けているように見えるのでしょう。人によって優先順位はさまざま、何に重きを置くかはそれぞれですので(ママも人はそれぞれだ、そのことを自分は認める寛容さを持って人に接している、と自分で言ってましたね)。
私のことを、「強い精神力と生命力と、大きな包容力を持つ人」と見てくれている人はたくさんいます。
誰でも弱いところはありますし、私もそうですが、だからこそ、安易に「強い」「強くない」とは言えないです。

必死で社会と関わり仕事も一生懸命やってきて、今も将来に向けて頑張ろうとしている私を、「世間知らず」ましてや「頭がいいから何でもできると思って努力していない」と思って見ているのですか。

「もっと褒めて育てればよかった」と言いましたね。
私はパパからもママからも「本当によく頑張ったね。えらかった」と「頑張り」を評価しねぎらう言葉をひとつももらった記憶がありません。
努力なしに送れる人生なんてありますか。
ママは「自分はパパと違って頭はよくない。だから人一倍努力して補ってきた」という自負があるのでしょう。それは誇りに思っていいと思いますし、えらいなあと思います。
でも、人の努力ははたからは見えないこともあります。

パパのことはよくわかりませんが、あの人は本当に何の努力もしてこなかったのですか。
努力できる量というか、度合いも、人によります。
「努力できる」というのも能力、才能であって、万人が同じだけ頑張れるわけではないです。
パパがたやすくできた(ように見えた)ことでママに難しかったことがあったように、逆もあったということで、頑張れない人を批判するのは、いい成績を取れない人に「バカだな」と言うのと、そんなに差がないように思えます。
「人のことをあれこれ言わない」というのがママの信条ですよね。
今の私は、まあ自分に自信はないですが、自信過剰よりずっといいですし、褒めてくれたり助言をくれたりする人には恵まれています。

「短く分かりやすく一言」のつもりが、長々してしまいましたね。
多分、私の「引っ掛かり」は、「逃げてきた」という表現でした。「逃げた」というのは、受け取る側によっては意地悪な響きですし、責めるときに使う言葉ですよね。
「褒めて育てれば」と後悔するより、今、「こんなことを言ったら、娘は傷つくかも」と考えてくれたら、それで充分です。

私は恐らくとても口がたつので、相手をねじ伏せることは多くの場合容易です。
ママが「パパに理路整然と言われて言い返せない」と昔から言っていたのを知っていて、圧倒的に正論を言うことは時としてフェアではないと肝に銘じているので、普段は私は力説しませんし、強い主張もあまりしませんが、今回はちょっと「うーん、さすがに大人になった娘に対して、この物言いは一方的な決め付けだし、許容範囲を超えて失礼ではないか」と、モヤっとしたので、思ったことを伝えます。
悪く思わないでください。
ではまた。
身体に気をつけてね。
年が明けて落ち着いたら、また連絡します。

本文ここまで

――――――――

なんだか疲れた。
母とは絶縁になっても仕方ないと思いながら、お互いのためにこれが多分ベストだ、結果は引き受ける、と覚悟を決めて送信しました。

そして、しばらくして、母から電話が。
母の口から初めて、謝罪の言葉を聞くことになるのですが、つづきはまた書けるときに。
とりあえず、生まれて初めて、母に本心を言いました。
母から「悪かった。そんなに娘につらい思いさせてると知らなかった。逃げてたのは私だった。いたらなかった」というような言葉をもらったけど、それがうれしかったというより、本心をメールした時点で、「言えた。がんばった。これでようやく子ども時代が終わる。大人らしく生きていこう」と思えたことのほうが、うれしかった。
母の改心よりももっと、自分の勇気が、「生きていてよかったね」という素直な喜びにつながりました。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
またね。


初めての反撃(母へのメール) その1

2011-12-28 01:04:45 | タラの日記

なんだかめまぐるしく、いろんなことが起こりました。
母にプレゼントを贈ったら、やさしくしたことにつけこまれて泣きを見たことは、先日書いたと思います。

懲りてないわけじゃないのだけど、26日、母と話す(普通のおしゃべりです)羽目になりました。
私は別に恨みがましいことを言うこともなく、いつもどおり母のおしゃべりを「うん、うん」と聞いていました。

そうしたら、父の昔話を始め、だんだん流れがおかしくなっていきました。
父は近所の主婦の井戸端会議やPTAの付き合いなどを「くだらない」とすごく嫌っていました。女どもが集まるとろくな話題にならない、ということで。
母は、私が息子の初めての保護者会から帰って「なんか、あの中にずっといると、自分がバカになる気がする」と言った(この記憶は私にはなく、「そんなこと言うかな?」って感じですが、母ははっきり覚えていると言うので、多分そうなのでしょう。今にして思えば「私って何様?」)のを話題にしてきて、「あんたはパパ似で頭がいいから、そういうことをくだらないと見下してきた。一見くだらないようなことをたくさん経験している人が強くなるのよ。あんたはそういうことから逃げてきたから世間知らずのままで、強くなれないのよ」と言い出し、その後も「パパ(私の父)は頭がよかったから努力しなくても何でもできた。だから天狗になって努力を怠った。それで出世できなかった。あんたも自分が何でもできるから努力を知らないし、できない人の気持ちなんてわからないでしょう」とか。

父は詩吟を教えていたのだけど、父が亡くなった後にいらした新しい先生は「くだらない人たち」の味方で、すごく低いレベルから丁寧に教えてるから、生徒さんからすごく慕われている、とか。

「私はあんたたちをあんまり褒めなかった。もう少し褒めて育てればよかったのかなあって、後悔するときもあるのよ。でも、Eちゃん(母の姉の娘。私の6歳上のいとこ)はNちゃん(Eちゃんの兄)と比べられて「ダメな子」「できない子」とさんざん言われて育ったけど、大人になって「お母さんの評価(あなたはダメな子だという)は間違っている。私はダメではない」と乗り越えて、趣味(手芸)をすごく頑張って開花したのよ。あんたも殻を破りなさい!!(←ビックリするような強い命令口調)」とか。

まあ、彼女の言いたい放題は昔からなのだけど、だんだん「え? なんで矛先が私に来てるの? 私、あなたにどんな悪いことしましたか?」と思い始め。
あなたに私の人生の何がわかるんでしょうか、昔の私を知っている(内面は知らない)だけで、どうしてそこまで上から目線になれるんでしょうか、それとどうして父に似ているという理由だけで、父への恨みを私に一緒くたに投げつけてくるんでしょうか。と疑問がめぐり。

ふつーの母娘関係なら、まあこんな言葉を「ばーさんがまた何か言ってるぜ」と流せるのでしょうが、私にとって母との関係は対等になったことはなく。

ずーっともやもや。
で、誰かにこの「なんだかぺっちゃんこなんですが(圧死という感覚です)を聞いてほしいと思いました。

でもね、ふと「一生、ほかで憂さ晴らしをし続けていくのか。それで私の成長はあるのか。救いはあるのか。このままで幸せはあるのか」と。
「あなたはとても失礼なことを言っているのよ」と本人に言うことは悪いことなのか。
70歳を過ぎた母はもう成長しない、しなくていい、と見限ることは、娘としてどうなのか。私は娘として、どうありたいのか。人として、どうありたいのか。

そして、考えた末、母にメールを送りました。

つづく。

 


愛しい娘?

2011-12-25 22:30:10 | タラの日記
クリスマスなので、大切な実久留(みくる)ちゃんを天使風にイメチェンしてみました。
黒髪だったウィッグは茶色のふわふわのに替えて、ハンドメイドのサイトで買った白いレースのドレスです。
いろいろ余裕がなくてこんなギリギリになってしまったけど、ようやくお人形を愛でる気持ちになりました。
「タラさんはひとりじゃないよ、みんなついてるよ」「生きていればどうにかなる」と、合宿でご一緒した仲間、先生からメールをいただきました。
ケーキを受け取りに行ったら店員さんがとても感じよく、帰りに寄った駅の売店の店員さんもニコニコしてて優しかった。
クリスマスが終わる。
みんな、ありがとう、大好きです。

クリスマスなのに。

2011-12-25 15:52:03 | タラの日記

メリークリスマスです。

友達からカードやメールをいただいて、救われる思いで過ごしています。
ありがたいです。

私にしてはこのところ予定が詰まっていたせいもあり、もともと年末年始は例年不安定になりがちなのもあって、調子を崩しています。

おととい、合宿(10月の山中湖の)のフォローアップセッションがあって、朝から夕方まで学校で合宿のときのメンバーで話をしていたのですが、5時に終わって帰ろうとしたところ、教室でいきなり意識がなくなり倒れてしまいました。
昔から精神的にキャパシティオーバーになると意識が飛んでしまうということはあったのだけど、最近はずっと大丈夫だったので、「私、強くなったんだー」と思っていたのだ。それなのに。ガッカリしてしまいました。ああ、みんなに迷惑かけちゃったし、ほんとに問題児なんだなあ。

母にクリスマスプレゼントを贈ったのだけど、喜んでほしいなって脚を棒にしていろいろ見て回って一生懸命さがして決めて送ったのだけど、まあそんなの私が勝手にしたことだしありがたがってもらわなくてもいいことなんだけど、何ていうか、母からの電話で心底、「この人にとって私って何なんだろう」って、打ちのめされた。
母にとっては私は、母のために喜んで尽くして当然の、どこまでも便利に使える下女なんだな。何をしてあげても当たり前で、どこまでも要求してくるっていうか。
図に乗り続けて娘の気持ちなんて考えもしない母に、「今に始まったことでもない」と諦めながら、「私を何だと思ってるの。あなたのために存在しているのではないのよ」と言えないまま、それでも諦めきれるわけでもなく、結局は恨みが募るばかり。
「バカなの? 早く死ねばいいのに」
って、自分に対してか母に対してか(多分どっちもなんだろう)繰り返しつぶやきながら、悲しくて悔しくて、泣いた。
この歳になってなお、親に「死ねばいいのに」って思う私こそが、地獄に堕ちろよって話だよ。

どこまでも進歩がないなあ、私。

おととい昨日と、子どもも私も出かけていたので、家族でのクリスマスは今日やります。
「もう家でクリスマスって歳でもないし、今年はやらなくていいか」っていう話をしたんだけど、子どもたちが口をそろえて「友達とクリスマスもいいけど気を遣う。連休のうち一日は家族でそろって、のんびりケーキ食べたい」と言うので、先週あわててケーキとケンタの予約をしたのです。
「家がいい」と言う言葉はうれしくなくもないけど、ちょっと「この子たち、将来大丈夫なのか?」と心配になってしまうのだった。

最近、癒されているのは、万華鏡、オルゴール、アロマ。
そしてストレスで洋服を買い捲り。
何ヶ月もかけて食生活を変えたので(野菜と豆類中心。飲み物は黒豆茶。豆乳と青汁と野菜ジュースとホンチュっていうお酢を毎日飲んでいる)、前みたいな甘いもののドカ食いはしなくなった。
あ、でも今日はケーキを食べるから、「やっぱケーキはいいなあああああああ! うおおおおお!」みたいになって、また砂糖中毒の日にもどってしまうかも?

なんだかクリスマスっぽくない暗い話題(ってか愚痴)で埋め尽くしてごめんなさい。

みなさんが楽しいクリスマスを過ごされますように。

ではまた。


ここにいる。

2011-12-17 00:37:22 | タラの日記

人と自分の距離をとれるようになること。自分とごっちゃに考えないこと。
それが私の課題のひとつだった。

自分は自分。
自分のことすら全部はわからないのだから、その自分の目を通して、人のことなどわかるはずがない。
少しの情報から、想像するしかないことを、「理解」と呼んではいけない。
自分にそう言い聞かせてきた。

人をわかりたいと思う。
わかろうとする気持ちを、持ち続けたいと思う。

でもきっと、わかることはできないよね。

私は謙虚な気持ちを、つい忘れてしまう。
何もかもを投げ打って(ちょっと大袈裟)、助けになりたいと思ってしまう。

そんなに立派な人間でもないのに。
私の知る世界はとても狭いし、別に人生経験が豊富なわけでもない。

何ができるわけでもない。

つらい思いをしている友達がいる。
苦しくて、何かしてあげたいって、強く思った。
でも、驕ってはいけない。
彼女は私よりずっと強いかもしれない。
私よりずっと、がんばりやさんだし、自分で、あるいはご家族や身近なかたに支えられて、乗り切っていける力のある人だって、そんなふうにも思う。

どうか彼女が今より悲しい思いをしないですみますように。
平穏で幸せな暮らしが、早く戻りますように。

それでも泣きたくなったとき、もしもぶつける相手が見つからなかったら、受け止めきれないかもしれないけど、非力だけど、私はここにいるよ。
すぐ近くだと迷惑かもしれないから、少し離れているように気をつける。
でも、呼んでくれたら、声の届くところに、きっといるから。

人にはそれぞれの悲しみがあって、私が知ることのできるのは私の悲しみしかない。
ただ、私でない人の悲しみに、思いをはせる、そうして、ここにい続ける、そんなふうにあれたらと思う。

生きるって苦しいな。




ハニワ!

2011-12-10 12:55:22 | タラの日記
今朝届いた、小さなカレイドスコープ(万華鏡)。
あまりにかわいくて買ってしまった。
身長約4cm。
和む。
将来のことをなんとなく(しかしかなり真面目に)考えるこのごろ。
今の学校のことを決めたのも、去年の今ごろだったような。
動き出さないと。人生は永遠ではないのだから。