卯月です。
先週の金・土と学校でした。
土曜日は必修講座2つ取ったので、10:00~16:30、お昼休みはあったけど、ずっと机についていた感じでした。
でも、基本デスクワーク好きな私にとっては、この「机について授業を受ける」という形がとても楽で、黙々とお話を聴き、メモを取りました。
受けたのは「カウンセリング概論」と「カウンセリング哲学」という講座でしたが、私たちが学ぼうとしている「カウンセリング心理学」というものがどういうものなのか、その入り口に今、確かにいるんだ、ということを感じられた気がしました。
「卯月タラ」は、「広い心を持ちみんなの気持ちを受け止め受け入れる人間」を目指していましたが、それをいったん、ここですべて捨てようと思います。
卯月の考えてきた「広い心」「受け入れる」は、現実的でなく幻想でした。
「人を受け入れる」って、卯月が夢見ていたのとは違うと思い始めました。
「受け入れられる」と思ってたのも、驕りであり錯覚であり、大きな勘違いであったと思います。
全部捨てて、一人の「心の狭いわがままな人間」から始めようと思います。
息子が幼稚園入園前に親子で通ってた公園で、必ず息子の持っているおもちゃを取る子がいました。いつも同じ子なんですが。
お気に入りだから持ってきてるのに、いつも息子は何も言えずにいました。
相手の子のママは、そのつど子どもに「あら○○ちゃん、黙って取ったらダメよ。『貸してね』でしょ?」と言ってましたが、まあその子は毎回何も言わずに取っていったし、、「貸してね」と言ったにせようちの息子が「いいよ」と言わないのに持っていくのは「貸す」「借りる」とは違うじゃん、とイライラしながら見ていました。
家に帰って、「嫌なことは嫌って言っていいんだよ」と何度か息子に言いましたが、やっぱり息子は言えないままでした。
それって、今の私じゃん、と思います。
「やさしい」って何だろう。相手をつけあがらせること?
相手の言い分も聞く。でも自分の意見も言う。それが対等ということ。
「あなたの気持ちを尊重してくれない相手なら、その人の気持ちを尊重する必要はない」と何かで読んだ。
「やさしい人」が憧れだったけど、真の「やさしさ」って何だかわからないので、「やさしい人」を目指すのはやめる(今は)。
私を尊重してくれる人だけを尊重して暮らします。
「なんか卯月、性格悪くなった」「あんなんだと思わなかった」「イメージ壊れた」「ガッカリ」
と思われたなら、それが今、私が目指そうとしている方向に歩き出した、前に進んでる、というしるしです。
タラさん流に、マイペースで、学んでいって欲しいです。
まさに、ゼロからの出発!
新たな世界だからね、あまり気負わない方がいいんだね。
一皮むけたタラさんが、これからどうなっていくのか楽しみ(^-^)
私はいつでも、応援しているよ\(^O^)/
↓ゲシュタルトの祈り
私は私のことをします。
あなたはあなたのことをします。
私はあなたの期待にそうためにこの世界にいきているのではありません。
そして、あなたも私の期待にそうためにこの世界に生きているのではありません。
もし、私とあなたが会い、互いに何かをする機会があったら、それは素晴らしいことです。
もし、そんなことがなくても、素晴らしいことです。
・・・
暗唱しているのが英語で(だって日本語訳っていろいろなのがありすぎるんだもん)、今、パット訳してみた感じですが、意味分からなかったら、私の国語力か英語力のなさのせいです。
アル中からの回復者から教えてもらったものです。
お返事が遅くなり、ごめんなさい。
私って誰だろう?というところに、今、います。
「タラ流」「マイペース」すら、ぶち壊して進もうと思っています。
うまく言えないんだけど、「タラ流」っていうことそのものが、私を縛っていたもののひとつかと。
私らしく、という指針を、捨てました。
だって私ってどういう人間なのか、正直わからないので。
誰でもない私を模索していきます。
お返事遅くなってごめんなさい。
ゲシュタルトの祈り、本質をついている、と思いながら読みました。
私が今、思っていること、そのままの気がします。
私は私のことをする。
まずそこから始めます。
ありがとう。